歴史雑感– category –
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紫式部と藤原道長の生い立ち:まひろと三郎の関係は真実か
光る君」を見て、『紫式部と藤原道長は、幼少時代に本当に出会っていたのだろうか。本当はどうだったのだろう』と、悩んでいる人も多いのではないでしょうか。この疑問について解説いたします。 -
ブギウギすず子「モデル笠置」、大切な人々の死を乗り越えふるさと公演
笠置は、義母うめ(ツヤのモデル)と弟八郎(六郎のモデル)の墓を建て、音吉の墓も建てた。笠置は、人情の篤い人なのだ。さらに、笠置は、音吉のために香川凱旋公演を行っている。このブログでは、ブギウギで描かれない義父・花田梅吉(柳葉敏郎)のモデル『亀井音吉』と笠置シヅ子の真実について語る。 -
笠置シヅ子と美空ひばりの確執の真相の裏に、マネージャーの影
笠置シヅ子と美空ひばりは、戦後の歌謡映画スターとして活躍した二人です。しかし、二人の間には、深い確執があったとささやかれ続けてきました。ひばりの母である加藤喜美枝氏は笠置が後援会に東大総長をあてていることを批難し、「後援会はファンだけで... -
茨城県の読み方は、なぜ「いばらき」なのか:茨城の本当の意味は何?
どうして「茨城」は「イバラキ」と読むのでしょう。実は、「茨城」の古代の読み方「牟波良岐」に由来。『茨城』は「茨(イバラ)で造った城(キ)」のことだと言います。はたして本当でしょうか。「茨城」には、隠された別の意味があるのです。それは何? -
笠置シヅ子と穎右の母「吉本せい」との関係:死因・葬儀から考える
穎右の死のわずか3年後、吉本せいもこの世を去ってしまう。せいの死の原因は何だったのか。笠置シヅ子と、せい残されたわずか3年の間に、二人は和解することが出来たのか。「せい」の葬儀に笠置と穎右の忘れ形見「ヱイ子」は参列することができたのか。 -
ブギウギ:福来スズ子(笠置シヅ子)と茨田りつ子(淡谷のり子)の確執
スズ子(笠置シヅ子)とりつ子(淡谷のり子)の確執は、史実ではどうだったのだろうか。このブログでは、二人の仲の真実を追究する。 -
知っておきたい!ラクチョウのオミネのモデルは『お米』か、『お時』か
ラクチョウのオミネ(田中麗奈)のモデル「ラクチョウのお時」または「ラクチョウのお米」とは、どのような人物だったのだろうか。また、史実でも「ラクチョウの姐さんの殴り込み」は、あったのだろうか。 -
『愛子様の天皇可能性を議論せずは、本質外し』の記事、本質がずれてる
「国民の76%が支持する『愛子様、天皇待望論』に従って、『女性天皇』『女系天皇』に目を向けないのは、本当に歴史の枝葉末節だけを見ていて、『本質を見ていない』」ときう主張は正しいのか。皇位継承の『本質論』』について追究する。 -
穎右の母「吉本せい」は、笠置と穎右の結婚、そして妊娠をいつ許したのか?
1943年(昭和18年)ごろ、笠置シヅ子こと亀井静子(ブギウギのスズ子)は運命の人吉本穎右と出会った。二人は翌年の1944年(昭和19年)には結婚する約束が出来ていた。このとき、吉本関係者、とりわけ穎右の母親『吉本せい』は、二人の結婚に反対したとされる。『吉本せい』は、最後まで二人の結婚に反対だったのだろうか。また穎右の子『ヱイ子』は、どうなったのだろうか。 -
美空ひばりデビューのために踏み台にされた悲運の歌姫、ブギウギの「笠置シヅ子」
朝ドラ「ブギウギ」で元気いっぱいの歌声を披露する花田鈴子。この鈴子のモデル笠置シヅ子は、ブギの女王と言われる。一斉を風靡した歌姫笠置シヅ子ではあったが、1957年(昭和32年)に、あっさりと歌手を引退している。シヅ子の引退の陰には「ベビー笠置...