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ブギウギ:福来スズ子(笠置シヅ子)と茨田りつ子(淡谷のり子)の確執

ブギウギでは、福来スズ子と茨田りつ子がまんまと記者の誘導に引っかかり、ケンカ状態をつくられてしまった。

この鮫島という記者を憎々しげに演じる「みのすけ」さんも、演技上手。
ところで、スズ子(笠置シヅ子)とりつ子(淡谷のり子)の確執は、史実ではどうだったのだろうか。このブログでは、二人の仲の真実を追究する。

目次

淡谷のり子のプロフィール

ブギウギの中で、記者鮫島によって不仲説をでっち上げられてしまった福来スズ子茨田りつ子

その二人の仲がどうだったのか、その真実にせまる前に、菊地凛子さんが演じている「茨田りつ子」のモデル淡谷のり子さんについて、そのプロフィールをまとめる。

淡谷のり子さんは1907年(明治40年)、青森の豪商「大五阿波屋」の長女として、裕福な家に生まれた。

だが、3歳の時に発生した大火災により、店は全焼してしまった。
その後、何とか再生を試みたが、淡谷のり子さんが10代のときに破産してしまう

どうやら、父親がいわゆるダメ親父で母親のみねさんが、愛想を尽かしてしまったらしい。
1923年に、みねさんは、淡谷のり子さんと妹を連れ上京する。

淡谷さんは、努力をして東洋音楽学校(現在の東京音楽学校)に進学を果たす。

自身は、オペラ歌手の三浦環(たまき)さんの大ファン。
朝ドラ「エール」では、柴咲コウさんが演じた双浦環のモデルとなった人。

当然、声楽科を受験したいという思いはあった。
だが教師達から「難しくて受からないし、プロになるのも難しいよ」と言われ、声楽科をあきらめ、ピアノ科を受験し無事入学した。

入学当初は、音大を出て音楽教師になり、余暇でクラシック音楽を楽しめればいい、程度の将来像をもっていたので、学校の先生なら「ピアノ」と思ったのだろう。

だが、ピアノ科にも声楽の授業はあった。
その先生が、淡谷の歌を聴き、速『声楽科への編入試験があるので、受けなさい』と勧めたという。

その年、編入試験に挑戦するのは17人。だが合格者出来るのはたった一人という狭き門。

淡谷さんは、その狭き門を見事にクリアし、声楽科に編入を果たした。
こうして淡谷さんは、音楽大学でクラシック音楽の基礎を学び、やがてオペラ歌手を目指すようになる。

学費が無く、ヌードモデルのバイト

ところが、貧しい淡谷さんには学費が無かった。

そこで、1年休学してバイトで学費を稼ぐことになる。
そのバイトとは、画家の絵画の裸婦モデルだった。

「当時私ほど売れたヌードモデルはいないの。多分肌の白さが気に入られたんでしょうね」

と、淡谷さんはそのバイトについて語っている。
この当時、人前でヌードになることに抵抗をもつ人も多かったと思う。
だが、淡谷さんは、そのような一般常識的な意見に屈しない反骨精神の持ち主。

戦中、『反戦歌手』とレッテルを貼られても、全く動じずに自分の歌を歌い続けた淡谷さんならではの潔(いさぎよ)さを感じる。

淡谷のりこさんの歌手デビュー

大学復帰後、淡谷さん一人(生徒一人)に、教授が一人。
マンツーマンの教育が始まる。
大学側も淡谷さんの才能を認め、『10年に一人の逸材』と評価していた。

そして、大学を卒業。
大学側の要請もあり、大学の研究科に席を残しつつ、クラシック歌手としても活躍する生活に入いる。だが、生活するために、流行歌も歌わざるを得なかった。

1931年(昭和6年)ポリドールから日本コロムビアに移籍し、映画の主題歌など外国のポピュラーソングを歌っている。

この年、ピアニストの和田肇さんと結婚したが、4年後に離婚している。
娘がひとりいる。だが、この娘さんは、和田肇さんの娘ではないという。
娘さんや、父親はだれかなど家族に関するプライバシーについては、ほぼ情報が無い。

服部良一との出会い

1931年のコロンビアへの移籍に伴い、淡谷のり子にも運命の出会いが訪れる。
師・服部良一との出会いだった。

服部は、ソプラノのクラッシック歌手の淡谷に、何と低音の「別れのブルース」を書き下ろす。

淡谷は、

「私はソプラノよ。こんな低い音、アルトでも無理じゃない」

と、服部に文句を言ったという。

だが、服部は、

「ブルースは魂の声だ。マイクに近づいて、この音程で歌ってもらいたい」

と、譲らなかった。

そこで、淡谷は、1日中たばこを吸い続け、わざとソプラノのきれいな声を潰して、ブルースを歌える声を創り,この曲を歌った。

さすが、根性の入ったプロだ。

こうして、笠置より早く服部の弟子となった淡谷は、『ブルースの女王』と呼ばれるようになる。

淡谷のり子の、笠置に対する批判コメント

笠置シヅ子に関して、淡谷のり子が辛辣な意見を述べていたのは事実。
また、淡谷が笠置をライバルとして意識していたことも事実。

鮫島のモデルとなった「週刊朝日」の記者や「朝日新聞」の記者が、淡谷の笠置に対する辛辣な記事を複数回書いている。

東京ブギウギがヒットした直後の1948年の1月、

「最近人気が沸き、自分でも日本一のつもりでいるようですが、未だ苦しそうで、日本人の誤ったジャズ観が、あの人を台無しにしてしまうような気がします。私と合い舞台で邦楽座で初めて一本立ちでデビューしたころのあの人が懐かしく思われます。」(「週刊朝日」1948年1月18日号」)

「笠置の歌を、どうにも聴いていられないときがある」
「笠置の不自然な発声法とオーバーすぎるジェスチャアと、不必要に怒鳴り立てる大きな声から受けるもの」
「歌を勉強したものにとっては、恐ろしささえ感じます」
(1950年5月21日付朝日新聞の芸能欄)

と、鮫島のモデルの朝日の記者が取材している。

「華やかな生活が出来るときは、だれでも大切にされますが、もし人気を失ったとき相手にされなくならないよう心がけて、素直な気持ちをもってほしいと思います。今人気のある彼女のためにも憎まれ口をひとくさり…。」

この言葉は、新進気鋭の美空ひばりが、笠置と同じブギを歌って人気をさらったことを指している。

さらに、このことについては、次のような主旨のことも語っている。

自分たち戦前派の歌手は、若く勢いのある戦後派の歌手に道を譲るべきだ。

笠置シヅ子の、歌手廃業宣言

実際、昭和20年代後半になると、ブギが下火になる。
また、美空ひばりや江利チエミや雪村いづみが台頭してきた。
時代は、この3人娘の全盛期を迎えることになる。

東京ブギの流行から8年後の1956年(昭和31年)1月、笠置の仕事が突然減る。

昭和31年末のNHK紅白歌合戦の大トリで「へいへいブギー」を歌ったことを最後にほぼ歌手としての活動をしなくなった。

そして、迎えた1957年(昭和32年)早々、「笠置は歌手を廃業、女優業に専念」することを宣言する。

淡谷の言葉が、現実となった形。

後年、自らの歌手廃業宣言について、笠置は次のように語っている。

自分が最も輝いた時代をそのまま残したい。
それを自分の手で汚すことはできない
40を越えて、太ってきて踊れなくなった

と述べている。

自ら廃業宣言をした後、笠置は人前で一切歌っていない。
また、

「これまでの歌手・笠置シヅ子の高いギャラは要りません。これからは新人女優のギャラでこき使ってください。」

と、自分を役者として使ってくれる関係各所に、自らのギャラダウンの交渉をしている。

ギャラアップの交渉をする人間はいるが、ギャラダウンの交渉をするのは笠置さんが初めてだ。

と、関係各所で笠置にびっくりする声が聞かれた。

そして、戦前から”笠置シズ子と表記されていた芸名を廃し、女優タレント”笠置シヅ子と名乗るようになった。

笠置シヅ子と淡谷のり子は、本当は仲が悪かったのか

笠置シズ子と淡谷のり子の仲は、悪かったのだろうか。

笠置の歌手廃業に対する淡谷のコメント

笠置と淡谷は、服部良一門下の先輩後輩にあたる。
川木は、人を見る目が鋭く、毒舌家であった。また、裏表がない姐御肌の人物だった。

笠置が歌手を廃業して女優に転身した当時、笠置は、淡谷から次のようなコメントをもらったと述べている。

「笠置さんはズルイ。目先を利かせて、うまいこと看板を塗り変えたわね」

また、

「すっかり、お母さん女優が板についたわね。案外やるじゃないの」
と、ごまをすられて襟筋がむずむずしました。」

と。

笠置さんのこのコメントを見ると、決して淡谷さんと仲が悪かったのではない。

確かに、『「静」のブルースと「動」のブギ』、『お嬢様生まれと、下町娘の生まれ』、『声楽科出身と少女歌劇団出身』と、対極にあるような二人だが、服部門下の先輩・後輩として、ステージをともにし、戦時中はともに「反戦歌手」とレッテルを貼ら、それでも反骨精神をもって屈服せず、父親のいない娘を育てる同士でもあった。

淡谷さんの笠置に対する痛烈な批判に思えるコメントも、実は、淡谷さんの信念から発せられる言葉であり、決して笠置を憎んでいて発せられた言葉では無い。

笠置シヅ子の娘さんの、淡谷さんのイメージ

笠置と淡谷の関係性については、笠置の一人娘ヱイ子(ブギウギの愛子)さんが語る言葉が端的に表現している。

母と淡谷さんは、晩年になっても交流がありました。淡谷さんは、時々家にも遊びに来られて、そのたびに私は淡谷さんから、お母さんに感謝しなさいよ、と言われました。

互いの性格を知り尽くし、ともに戦前戦後を生き抜いた先輩・後輩の年をとった友情が感じられる。

二人は、数々の困難をともに生き抜いてきた朋友だった。

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