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美空ひばりデビューのために踏み台にされた悲運の歌姫、ブギウギの「笠置シヅ子」

ハイヒールで踊る笠置シズ子(1948・大映映画より)

朝ドラ「ブギウギ」で元気いっぱいの歌声を披露する花田鈴子。この鈴子のモデル笠置シヅ子は、ブギの女王と言われる。一斉を風靡した歌姫笠置シヅ子ではあったが、1957年(昭和32年)に、あっさりと歌手を引退している。シヅ子の引退の陰には「ベビー笠置」と言われた美空ひばりとのエピソードがあった。このブログでは、笠置シヅ子と美空ひばりの間に、どのようなエピソードがあったのかを紹介する。

目次

笠置シヅ子は、「美空ひばりが、自分のものまねで歌うのを嫌っていた」?

ブギの女王笠置シヅ子は、決して美人でない。八の字の眉毛に大きめの口。だが、見ようによってはチャーミング。

その歌声も美声とは言えない。ハスキーなアルトの地声で、ガラガラ声に近い。だがその歌声を聞くと、陽気で明るい気持ちになる。黒人のジャズソングを聴いているかのような錯覚に陥る。解放感と包容力溢れる歌声なのだ。

天性の才能を感じさせる不思議な歌声、ダンサーとしての素養、表情の豊かさ、ひとたび言葉を発すると、彼女の語り口には絶妙のぼけと突っ込みがあり、喜劇女優としても抜群のセンスをもっていた。

笠置シヅ子が、戦後の大スターブギの女王にのし上がったのは、戦後の焼け野原の広がる混沌とした時期だった。
彼女は、まるで稲妻のように時代に登場し、瞬く間にブギの女王としての地位を獲得する。

時代が、彼女を求めた。
何も無くなった戦後の敗北の時代、占領下の日本にとって、笠置シヅ子の歌声が必要だった。

笠置シヅ子が世に出した歌の数

シヅ子がレコードとして世に出した歌の数は、約60曲(舞台や映画の中で歌った曲を合わせると70曲程度)。

その歌のほとんどは、服部良一が作曲した。(ブギウギでは草彅 剛が演じる羽鳥善一

だが、1952年(昭和27年)になるとブギウギのブームは去ってしまう。シヅ子は、56年(昭和31年)を最後に自ら歌手の廃業宣言をする。

笠置シヅ子が歌う映像は、ほとんど残っていない

笠置シヅ子は、歌手廃業宣言をした翌年の1957年(昭和32年)に歌手を引退した。日本にテレビが普及する数年前の引退だった。そのためか、テレビ局にも笠置シヅ子が歌う映像はほとんど残されていない。

その後彼女は女優笠置シヅ子としてとして、歌をいっさい歌わずに女優業に専念した。

1950年、『ベビー笠置』が本家の笠置シヅ子を脅かしていた

1950年ごろ、昭和の大歌姫美空ひばりが登場する。
この頃、メディアは笠置シヅ子を「大ブギ」と呼び、美空ひばりを「小ブギ」と呼んだ。
「ブギの女王と、ブギの豆女王」と、笠置と美空をセットで呼ぶようになっていた。
当初、笠置の人気が美空を大きく上回っていたが、やがて二人の人気が逆転することになる。
この逆転劇の裏には、プロモータの闇がかかわっていた。
まるで、今のジャニーズ騒動を彷彿とさせるが、当時は強い物には泣き寝入りの状態だった。笠置シヅ子は、もろに強者の餌食となった。

「ブギウギ」で水城アユミ(美空ひばり?)を演じる吉柳咲良

スターは、スターを踏み台にして誕生する

笠置シズ子を、「笠置シヅ子の子供版」あらわるとして美空ひばりを売り出したのは、横浜の劇場で当時支配人をしていた30代後半の人物だった。

当時11歳の無名少女のマネージャーだったその男は、少女に「ベビー笠置」というキャッチコピーを付けて売り込んだ。

少女は、笠置シヅ子の歌を真似し、瞬く間にスター街道を駆け上がった。美空ひばりの誕生である。
男は、臆面も無く笠置シヅ子を踏台とした。
さらに、ひばりを押すルポライターが登場し、ひばりの母親の根も葉もない暴言を鵜呑みにして、笠置を悪者にた記事を大衆に広めた。
『笠置シヅ子は、有能な美空ひばりが自分の歌をものまねで歌うのを嫌っている。』『笠置シズ子は、心の狭い人物だ。』と。
そして、この記事が事実として大衆に信じられてしまった。

ジャーナリズムの荒廃は、この頃からすでに問題だった。
今回の朝ドラで取り上げられるまで、笠置シヅ子は正当に評価されない不遇の歌手だった。長い間、天才少女に嫉妬し、デビューを邪魔したと、言われてきた。
おそらく60歳以上の人は、今もそれを信じている人がいると思う。

今回のNHKの朝ドラ『ブギウギ』で、笠置シヅ子の間違った評価が幾分でも回復すればよいのだが。

当の本人、笠置シヅ子は、この噂を全く意に介していなかった

苦労人笠置シヅ子が人間的にすごいのは、「ひばりにかかわる人間から被ったデマ」を無視していたことだ。

日本人らしい潔さで、歌手廃業宣言をし、実際に引退後は一切歌を歌っていない。この潔さは、相当にカッコいい。

その後の女優人生の中でも、文句らしいこと、恨み言らしいことを一切口にしていない。

笠置シヅ子は明るいのだ。浪速のおばちゃんソウルをもった役者だった。
笠置シヅ子は、1985年(昭和60年)3月30日、死去した。
死因は、朝ドラ前作「らんまん」の主人公牧野富太郎の妻、牧野壽衛子さんと同じ卵巣癌だった。

享年70歳。

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