
風、薫る第67話(第14週「ウソと誠」)で、りん(見上愛)は院長・多田(筒井道隆)から看護婦取締役の立場を罷免されてしまった。
ヒデの退職に続き、りんは指導責任を問われる形で、まさかのポジション剥奪という衝撃の展開。
「えっ、りんが罷免? それはさすがにやりすぎじゃないか!」と思った視聴者も多いんじゃないだろうか。
多田院長のあの判断、気になるよ。
こんにちは、なおじです。
社会科教師として教育現場に35年携わってきたが、「指導者の責任の取らされ方」が理不尽に見えるとき、教師時代を思い出して、あの怒りがふつふつと湧いてくる。
読み終わるころには、67話のりんの罷免の意味と直美の内面、そして多田院長が象徴する「明治の男社会」の構造が、スッキリ整理されるはずです。
この記事でわかること
- りんが「看護婦取締役」を罷免された理由と経緯
- 多田院長(筒井道隆)の判断に怒りを感じる理由
- 直美(上坂樹里)の精神状態と強がりの意味
- 長屋の大家さんが果たした「人情」の役割
- 第14週「ウソと誠」全体の構図と今後の見どころ

まず結論から答えます
Q1. りんはなぜ看護婦取締役を罷免されたのか?
看護科の学生・ヒデ(池田朱那)が病院を辞めた責任を指導者として問われ、院長・多田から突然解任を言い渡された。ツヤに続いて学生を失ったことが決定打となった。
Q2. 多田院長の判断は正当なのか?
ドラマ上の時代設定(明治)では院長の絶対権限が通る構造だが、現代的視点から見れば「結果責任だけを問う」一方的な裁量で、視聴者の怒りを引き出すよう意図的に描かれている。
Q3. 直美は67話でどんな状態なのか?
普段はクールな直美だが、67話では内心では相当消耗している様子が描かれた。長屋の大家さんがその強がりに寄り添う場面が、この回の人情的な見どころのひとつだ。
ヒデ退職からりん罷免まで何が起きたか

第67話のあらすじは、大きく3つの流れで動いた。
看護科学生のヒデ(池田朱那)が病院を去る。
前回66話でヒデの「やめる」発言が衝撃を与えていたが、67話でその退職が現実となり、指導担当だったりんは激しく落ち込む。

直美(上坂樹里)はそんなりんの様子を心配そうに見守るが、あえて深追いしない。
このあたりの「距離感の取り方」が直美らしいよね。
言葉はかけない、でも目で追っている。なおじが35年教師をやってきて思うのは、こういう「沈黙の気遣い」が一番難しい、ということだ。
虎太郎の登場でりんが本音を話す

仕事で帝都医大病院を訪れた虎太郎(小林虎之介)に、りんは胸の内を打ち明ける。
幼馴染という関係の強さがここで発揮された。
「虎太郎の前だから、りんはチラッと本音が出せた」わけだ。
シマケン(佐野晶哉)とは違う、虎太郎の包容力。
えっ?これ、恋の天秤がじわじわと虎太郎側に傾いているんじゃないですか?
虎太郎押しのなおじの勝手な読みだけど(笑)。
👉関連記事:虎太郎×シマケン初対面!恋ライバル対決の風、薫る60話
多田院長からの呼び出し、そして罷免
虎太郎に励まされて少し落ち着きかけたりんに、院長・多田(筒井道隆)からの呼び出しが来る。
「君の看護婦取締役を解任する。君の指導には問題がある。」
この一言。
重い。
短い。
容赦がない。
多田院長にイライラするこれだけの理由

多田院長(筒井道隆)のこういう判断、なおじはどうしてもイライラしてしまう。
結果責任だけを問い、プロセスを一切見ない。
これが「明治の男社会」の典型だろう。
ツヤが辞め、ヒデが辞めた。
でもその原因を掘り下げれば、看護婦という職業が社会にまだ根付いていない時代の構造的な問題のはずだ。
それをすべて「指導者・りんの責任」に帰結させるのは、理不尽すぎる。
元教師として感じる「指導責任論」の歪み
教育現場でも似た構図を見ることがあった。
クラスで問題が起きると、まず担任に責任が向く。
家庭環境、友人関係、社会的背景——そういうものをすべて棚上げにして「指導力の問題」で片付けようとする。
多田院長のあの判断は、まさにそれだ。
男のなおじでもイライラするんだから、女性の視聴者の方はなおさらイライラしているだろうと思う。
でも別の視点から見ると、ドラマとしての「怒りの設計」が実にうまい、てっことか‥。
👉関連記事:看護婦デビューの4人に「取締」の役が!風、薫る61話
多田院長の判断にモヤッとした方へ。
学校現場でも「結果責任だけを強く問われる」場面は少なくありません。
『学校にリーダーシップやマネジメントは必要か?』は、横浜市の公立小学校277校のデータと事例から、「スクールリーダーがどう学び、どうチームで学校をつくるか」を考える一冊です。
結果とプロセス、その両方をどうバランスさせるか――教育の現場から、りんの状況を少し違う角度で眺めてみたい方に合う本かなと思います。

10のデータと事例から考える
直美の「強がり」が胸に刺さる

67話のもうひとつの大きな見どころは、直美の精神状態だ。
普段クールな直美だが、この回では内心かなり消耗していることが画面から伝わってきた。
「参っているのに、参っていると見せない。」
それが直美という人間の生き方だからこそ、見ていて胸が痛い。
長屋の大家さんの「人情」が効いた

そんな直美の強がりに気づき、そっと寄り添う長屋の大家さんの描写。
多くを語らない。
押しつけない。
ただ「隣にいる」という存在感。
強がりの 背中にそっと 置く温もり
これが人情というものだよね。
直美が「さびしい」と打ち明けたのは48話だったが(👉関連記事:風、薫る48話「さびしい」と言えた直美の大成長)、あの成長があってもなお、直美は強がる。
だからこそ、寄り添いが「効く」。
直美のように「参っているのに参っていると見せない」人って、現代にもすごく多いですよね。
なおじも教師時代、生徒や若い先生の中にこういうタイプを何人も見てきました。
『人に頼む技術 コロンビア大学の嫌な顔されずに人を動かす科学』は、「助けてほしい」と言えない心理と、気持ちよく人に頼るためのコツを、社会心理学の実験と事例で分かりやすく整理した一冊です。
直美に自分を重ねてしまった方が、「少しだけ人に頼ってみようかな」と思ったときのヒントになる本かなと思います。

コロンビア大学の嫌な顔されずに人を動かす科学
第14週「ウソと誠」が問いかけるもの

第14週のタイトルは「ウソと誠」だ。
これは単純な「嘘をつくことの是非」ではなく、本音を隠して強がることと、誠実であることの間の葛藤を描いているように見える。
りんは責任を問われても、「私のせいだ」というだけ。
その言葉の裏にある本音をなかなか人に言えない。
直美は消耗していても、それを見せない‥。
「誠」を見せることが、この時代の女性たちにとっていかに難しかったか。
ドラマの時代背景(明治20年代)と「ウソと誠」というタイトルが、じわじわと重なってくる。
👉関連記事:朝ドラ風薫る全26週130回と実在モデル2人の史実
「ウソと誠」というタイトルの背景には、明治の男社会の中で、本音を隠しながら生きざるを得なかった女性たちの現実も見えてきます。
幕末から明治にかけて、その最前線に立たされたのが会津の女性たちでした。
『幕末から明治に生きた 会津女性の物語』は、戊辰戦争や斗南移住をくぐり抜けながら、日本最初の女子留学生や女子教育・社会事業に進んだ会津女性たちの姿をまとめた一冊です。
「風、薫る」の世界と重ねながら、明治の女性たちの実際の生き方をもっと知りたい方に相性が良いと思います。

67話で浮かび上がる3つの構図
67話を俯瞰すると、3つの構図が見えてくる。
| 構図 | テーマ |
|---|---|
| りん vs 多田院長 | 結果責任 vs プロセス |
| りん × 虎太郎 | 本音を言える関係性 |
| 直美 × 大家さん | 強がりと寄り添い |
この3つがわずか15分の中に圧縮されているから、朝ドラという密度の高い尺が生きている。
よくある質問(Q&A)
看護婦の業務管理や新人の指導監督を担う立場。病院の院長から任命される管理職的なポジションで、責任が重い分、ヒデのような学生の辞職が直接「指導責任」として問われてしまう役割だった。
前話(66話)で示されたように、看護婦という職業への重圧や人間関係の疲弊が積み重なっての退職と描かれている。ツヤに次ぐ退職で、りんに大きな打撃を与えた。
りんを遠くから気遣いながらも多くを語らず見守った。また長屋の大家さんに、自分でも気づかぬうちに消耗している内面を寄り添われる場面が描かれた。
67話では虎太郎がりんの本音を引き出す場面が印象的で、恋愛的な意味での存在感が増したか?? 一方、シマケンとの関係も継続中で、第14週以降の三角関係の行方が注目される。
ドラマの時代背景(明治男社会)において、院長の絶対的な権限のもと、指導した学生が辞めたことを「指導者の失敗」として一方的に結論付けた。ヒデの退職が決定的な引き金となった。
【筆者紹介|なおじ】

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。
社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景や「指導責任の問われ方」が史実とドラマでどう違うか、考察するのが得意分野です。多田院長の明治式マネジメント、教室でよく言い聞かせた「結果よりプロセスを見ろ」と真逆で、毎話ドキドキしながら見ています。