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風、薫る31話・病院実習での看病婦の壁と「届かぬ声」の真実を元教師が考察

こんにちは、なおじです。

「看病婦」という人たちが、明治時代の病院にいたのを知っていましたか。

風薫る第31話では、りんと直美たちがいよいよ病院実習をスタートさせましたね。
ところが、院長の多田も、先輩の看病婦たちも、冷ややか……。

いわば「来なくていい」的な空気です(笑)。

なおじ、この場面を見ながらちょっとイライラしつつも、すぐに思ったのです。
「そういえば、『看病婦』って何者なんだろう?」と。

この記事では、風薫る31話の看病婦という存在を手がかりに、明治時代の看護の歴史も一緒にのぞいてみます。
元社会科教師として35年、歴史を教えてきたなおじが、ちょっとだけ深堀りします。

この記事でわかること

  • 「看病婦」という言葉がいつ頃から使われたか
  • 「看病婦」と「看護婦」の決定的な違い
  • 実習生が煙たがられた理由と背景
  • 多江・忠蔵・園部それぞれの変化の意味
  • なおじが教育現場で感じた「同じ空気」
目次

「看病婦」という言葉はいつからいつまで?

江戸末期〜明治初期が起源

「看病婦(かんびょうふ)」という言葉の起源をたどると、江戸末期から明治初期にさかのぼります。

戊辰戦争(1868年)のころ、横浜の軍陣病院や壬生城内の前線病院に女性の「看病人」が雇われたという記録が残っています。

このときはまだ「看病人」「看病婦」「看護人」など、呼び名がバラバラだったようです。

「訓練を受けた看護婦(トレインドナース)」という概念が日本に入ってきたのは、もう少しあとのこと。
明治10年代(1880年代)に入ってから、体系的な看護教育が始まります。

ちなみに、日本で二番目の看護婦養成機関として設立された「京都看病婦学校」(新島襄が1886年創立)という名前にも、この「看病婦」という言葉が使われています。

「看護婦」より先に「看病婦」がいたという証拠ですね。

「看護婦」への統一は明治後半〜大正

言語学的な研究によると、明治前期から中期にかけては「看病人」「看病婦」が主に使われていて、「看護婦」という語の登場はこれより遅かったとされています。

明治中期以降は「看病婦」と「看護婦」が並行して使われる時代が続きました。

そして、明治後半から「看護婦」に集約されていきます。

法律上では、1900年(明治33年)に東京府が「東京看護婦規則」を制定し、ここで初めて「看護婦」という資格名称が制度として定められました。

さらに1915年(大正4年)に全国統一の「看護婦規則」が制定されて、「看護婦」という呼称が正式に定着します。

つまり、おおざっぱに言うと——

「看病婦」が使われていた時期:明治初期〜明治30年代ごろまで(一部は大正期まで残存)

風、薫るの舞台である1888年(明治21年)は、まさに「看病婦」と「看護婦」が並存していた時代のど真ん中、ということになります。

「看病婦」と「看護婦」の決定的な違い

ここが今回の肝心なところです。

項目看病婦看護婦(トレインドナース)
訓練・資格なし(経験・慣習のみ)専門の養成所で訓練を受けた
業務内容患者の世話・雑用全般科学的知識に基づく看護
位置づけ使用人的な存在専門職
社会的評価低く見られることも多い確立途上

風、薫るに出てくる「看病婦」は、訓練を受けていない、いわば「慣習でやってきた先輩たち」です。

そこへ、バーンズ先生から厳しい近代看護の教育を受けたりんや直美が実習生として入ってくる。

そりゃあ、摩擦が起きますよね(笑)。

実習生が煙たがられた本当の理由

「忙しいときに来るな」という空気

りんたちが看病婦から歓迎されなかった場面、なおじにはものすごくリアルに刺さりました。

実はこれ、教育現場の教育実習とまったく同じ空気です。

なおじも35年間、毎年のように教育実習生を受け入れてきました。

そのたびに感じたのが、「いまこの授業の佳境なのに、実習生が付くのは困る」という教員の本音……。

看病婦の立場から見れば、「自分たちのやり方を否定されるかもしれない」という不安もあったはずです。

加えて、りんたちは若い。バーンズ先生という外国人の権威を後ろ盾に持っている。

それが余計に、面白くなかったのでしょう。

  看病婦 実習生にも 壁がある   (なおじ)

受け入れる側目線‥、苦笑しながら詠みました(笑)。

医者も患者も「看護婦」をわかっていない

さらにやっかいなのが、医者も患者も、看護の専門性をほとんど理解していないという現実です。

1888年当時の日本では、「病院の仕事は医者が治す。看病婦は世話をするだけ」という認識が一般的でした。

「看護とは患者の生命力の消耗を最小限にするよう整えること」というナイチンゲールの概念は、日本にはまだ十分に浸透していなかった。

バーンズ先生から徹底的に訓練を受けてきたりんや直美には、病室の環境の劣悪さが一目でわかってしまう。

でも、古参の看病婦たちは誰もそれを「問題」とは思っていない。

このギャップこそが、第31話の核心だとなおじは思います。

👉関連記事:風、薫る26話感想|バーンズ先生の厳しさはシーツ引きから!

多江の成長と啓発活動のはじまり

「いっちょ前のことを言えた」多江

第31話で、なおじが密かに感動したのが多江の成長です。

環境を整えることがいかに大事か、多江がちゃんと言えるようになっていた。

最初は「ツンケンするだけ」だった多江が、看護の意味を言葉にできるようになっていたのです。

これ、教育でいうと「転移(てんい)」ができたということ。

バーンズ先生に教わった知識・技術が、多江の中で本当の「理解」になった証拠。

この成長、地味だけど実はすごいことなんですよね。

👉関連記事:風、薫る27話・「全て看護」多江の反乱と直美の癒し

環境を整えることが看護の出発点

「清潔を保つ」「換気をよくする」「騒音をなくす」——これらはナイチンゲールが「Notes on Nursing」で繰り返し説いたことです。

バーンズ先生がりんたちに叩き込んできた「シーツ敷き」も「窓の開け方」も、すべてはここにつながっている。

でも、明治の病院の現場では、こうした「環境整備」は看護師の仕事とは思われていませんでした。
「それって、雑用でしょ?」という感覚です。

啓発活動として、りんたちがまず環境を整えることから始めたのは、理にかなった戦略でした。

忠蔵と園部が気づきはじめた瞬間

忠蔵の「ああ、違う」という感覚

苔癬(たいせん)の患者・忠蔵が、直美の看護を受けたときの場面。

患部をまず水で丁寧に洗い、それから薬を塗る。

これ、当たり前のようでいて、当時の看病婦はやっていなかったことです。

忠蔵が感じたのは「あ、この人は自分の体を、ちゃんと見ている」という感覚だったのではないでしょうか。

「見る」ではなく「看る・観る」——直美が看護学校で学んできた、まさにその核心です。

👉関連記事:風薫る24話|「看」と「観察」で見えた看護の本質

肉腫切除後の園部とりんの静かな攻防

肉腫の切除手術を受けたばかりの園部(野添義弘)の担当になったりん。

りんが園部をしっかり「観察」していることに、園部はまだ気づいていない。
でも、少しずつ気づく時が来る——そんな予感が第31話にはありました。

患者が看護師の価値に「気づく瞬間」を待つのは、教師が生徒に「あの授業、わかった!」と言われる瞬間を待つのに似ています。

なおじ、そこが楽しみでしかたない(笑)。

今日のイライラと、なおじの結論

「でも、解決の時を待とう」

正直に言うと、第31話はちょっとイライラしましたよね。
煙たがられる。冷たくされる。わかってもらえない。

でも、こういう「摩擦の場面」こそが、ドラマとして一番おいしい部分だとも思います。

教育現場でもそうでした。

最初は嫌がられた実習生が、気づけば子どもたちに人気になっていく。

「あの先生の授業、わかりやすい」と保護者から言われるようになっていく。

評価というのは、時間と実績の積み重ねでしか変わらない。

そして、指導していた側も教育実習生達の成長とともに、自分自身を成長させていたことに気付く‥。

りんたちも、今はただ誠実に動き続けるしかないんです。

  伝わらぬ 声も積もれば 道になる   (なおじ)

「届かぬ声」というサブタイトルの深さ

第7週のサブタイトルは「届かぬ声」。

今はまだ届いていない。でも、届かせようとしている声がある。

このタイトルには、りんたちの奮闘だけでなく、看護という仕事そのものが社会に認められていくプロセスが込められている気がします。

「看病婦」という言葉が「看護婦」に変わり、やがて専門職として認められていく——その歴史的な転換点を、このドラマは描こうとしているのでしょう。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「看病婦」という言葉は今も使いますか?

現代では、ほぼ使われません。
「看護婦」という呼称も、2001年の法改正により現在は「看護師」が正式な呼称となっています。
「看病婦」は明治期の史料や時代劇・歴史ドラマの中でのみ目にする言葉です。

Q2. りんたちが実習した帝都医科大学付属病院は実在しますか?

ドラマ内の架空の設定ですが、モデルとなっているのは帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)と考えられます。
1888年(明治21年)、ここに「看病法練習科」が創設され、アグネス・ヴェッチという外国人教師が実際に看護教育を行いました。
バーンズ先生のような外国人指導者が実在した点は、史実と重なります。

👉関連記事:朝ドラ風薫る全26週130回と実在モデル2人の史実

Q3. 当時、看護婦という職業はどう思われていたのですか?

明治初期〜中期は「汚い仕事」「賤業」と言われることもあった、社会的評価の低い職業でした。
それが日清戦争(1894〜95年)での赤十字看護婦の活躍をきっかけに、「憧れの職業」へと変わっていきます。
りんたちが生きている1888年は、ちょうどその転換の手前、最も苦しい時代です。

Q4. 多江の成長はどういう意味があるのですか?

多江は看護学校時代から、プライドが高いために、偏見が強いキャラクターとして描かれてきました。
それが第31話では、環境整備の意義を自分の言葉で語れるようになっていた。
これは単なる「知識を知識として覚えた」ではなく、知識が本当の理解に変わった証明です。
教育現場でいう「学習の転移」が起きた、地味だけど実は最も重要な成長です。

Q5. 第7週「届かぬ声」というタイトルは何を意味するのですか?

りんや直美たちの「看護の本当の意味を伝えたい」という声が、まだ誰にも届いていない——そういう状況を指していると思います。
ただ、サブタイトルに「届かぬ」とあっても、届かないまま終わるわけではないはず。
声が届くまでの苦しいプロセスを描くのが今週のテーマだと、なおじは読んでいます。

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筆者紹介|なおじ

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。

社会科・歴史を長年教えてきたので、明治時代の制度や歴史的背景の読み解きが得意分野です。教育実習生を毎年受け入れてきた経験から、今回の「実習生が歓迎されない」場面は、他人事とは思えませんでした。

現在は8つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を書いています。

看護実習生

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