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豊臣兄弟 18話・羽柴兄弟と家臣選抜試験の史実を元教師が検証

こんにちは、なおじです。

5月に入って、あっという間に18回目。

「あれ、もう18話?」って感じですよね。

なおじもそう思っています(笑)。

今回は、豊臣兄弟!第18話「羽柴兄弟!」をたっぷり深掘りしていきます。

石田三成・藤堂高虎・片桐且元・平野長泰という
4人の若者が「選抜試験」に挑むシーンが印象的でしたね。

「この4人、史実ではどんな武将だったんだろう?」

「三成の三献の茶って、史実なの?」

「藤堂高虎がなぜ秀長の家来なの?」

そのあたりを全部、元社会科教師なおじが史実と照らし合わせながら確かめていきましょう。

この記事でわかること

  • 第18話「羽柴兄弟!」あらすじと見どころ
  • 秀吉に直参がいなかった理由と史実
  • 選抜試験に残った4人の武将は史実でどんな人物か
  • 石田三成・三献の茶は本当にあったのか
  • 藤堂高虎がなぜ秀長の家臣になったのか
  • 残り7か月・ドラマの展開はどこに重点を置くのか
目次

18話「羽柴兄弟!」長浜城主が誕生した回

浅井朝倉を滅ぼし、長浜の城主になった兄弟

浅井・朝倉を滅ぼした後、秀吉は信長から北近江三郡を与えられました。

そしてなんと、小谷城をそのまま使うのではなく、琵琶湖のほとりに新たな町「長浜」を築くことを選んだ。

「戦だけではなく、人が集まり栄える町をつくる」。

この発想が、農民出身の秀吉らしいところですよね。

えっ、せっかく城を手に入れたのに別の場所に作り直す?

普通そうはならないですよ(笑)。

でもなおじは、このシーンに秀吉の「本質」を感じました。

ただ城を持つんじゃなくて、人が動いてくる仕組みを一から設計しようとしたわけですから。

教師でいうと、着任早々に「クラスのルールを全部作り直す」タイプの先生です。

賛否は分かれますが(笑)、後から見ると「あの先生は先が見えていた」ってなるやつですね。

「羽柴」姓の由来と小一郎の立場

今回のドラマで、兄・秀吉だけでなく弟の小一郎(秀長)も
羽柴」姓を名乗ることになりました。

「羽柴」の由来は、「丹羽長秀」の「羽」と「柴田勝家」の「柴」をあわせたもの。

これ、史実として伝わっています。

でもちょっと待って。

後に秀吉と激しくぶつかる柴田勝家から名前をもらってるって、なかなかですよね。

「先生の名前をもらったのに、後で仲が悪くなった生徒」みたいな話で(笑)。

戦国時代の名前って、本当に面白い。

小一郎は長浜の城下統治を任されますが、ドラマでは「人材が足りない」場面が描かれていました。

竹中半兵衛の「子飼いの家臣を増やすべきだ」という一言が、今回の選抜試験へとつながっていくわけです。

👉関連記事:豊臣兄弟!秀長の真相|史実と全話感想で読み解く補佐役の実像【ハブ記事】

直参ゼロの秀吉・家臣団を一から作った史実

農民出身だから「代々の家来」がいなかった

「秀吉は農民出身なので、直参の家来がいない」。

このドラマのセリフ、なおじはしっかり史実通りだと受け止めました。

織田信長の家臣団は、代々武士の家に生まれた者が多く、先祖からの「直参」がいました。

ところが秀吉は違う。

百姓の家に生まれ、草履持ちから信長に仕え、自分の力だけで這い上がってきた人物です。

言ってみれば、
**転校してきたばかりで、まわりに知り合いが一人もいない状態で、いきなり学級委員に任命された子**

みたいなもの(笑)。

周りはみんな「昔から知ってる仲間がいる」のに、自分だけゼロからスタート。

それでも結果を出してきたのが秀吉という人物ですね。

だからこそ、この長浜城主の時期に「子飼いの家臣を育てる」必要があったわけです。

選抜試験という形の史実的な解釈

ドラマでは選抜試験という形で家臣を集める場面が描かれました。

これが「史実通り」かというと、正確には諸説あります。

ただ「この長浜時代が秀吉の家臣団形成の原点になった」
という点は史実の共通認識です。

豊臣家の家臣団がゼロから組み立てられたこの時期に、
石田三成・藤堂高虎ら後の重臣たちとの縁が生まれた、という流れはおおむね妥当です。

👉関連記事:豊臣兄弟15話感想|小一郎が信長救った姉川大合戦の真相

最終試験に残った4人の武将・史実での姿

蜂須賀小六

蜂須賀小六に、バンバン突き殺される試験。「すげえなこれ」、と唸ってしまったなおじ。

でも、カラクリがあったけど‥。

そして、今回のドラマ最大の見どころのひとつが、選抜試験に残った4人の若者の登場シーン。

武将名演じる俳優史実での立場
石田三成松本怜生豊臣政権の奉行・関ヶ原で西軍の中心人物
藤堂高虎佳久創秀長の家臣・後に築城の名人として名高い
片桐且元長友郁真賤ヶ岳七本槍のひとり・大坂の陣で豊臣を去る
平野長泰西山潤賤ヶ岳七本槍のひとり・豊臣家への忠義を生涯貫いた

このメンツ、なかなか豪華ですよね。

「七本槍が2人もいる!」と思った方、正解です。

片桐且元と平野長泰は、
後の賤ヶ岳の戦いで活躍する「賤ヶ岳七本槍」のうちの2名。

4人の中に将来の重臣・奉行・名将が一気にそろった、
という場面でした。

石田三成とはどんな人物か

石田三成(1560〜1600年)は、近江国坂田郡に生まれた武将・官僚です。

豊臣政権では奉行として行政の中心を担い、「算術・実務の天才」として知られています。

後に徳川家康との対立が深まり、関ヶ原の戦い(1600年)では西軍の中心人物として挙兵。

敗北後に捕らえられ、処刑されています。

なおじが三成で一番好きなエピソードは——
処刑前に「柿を食べますか」と聞かれて
「柿は痰の毒になる」と断った、という話。

最期まで几帳面すぎる(笑)。

もう処刑されるんだから柿ぐらい食べなさい、という話ですが、
それが三成らしさということかもしれません。

ちなみに、今回のドラマで三成の登場に際し「三献の茶」のエピソードを描かなかった点については、後ほどしっかり触れます。

藤堂高虎とはどんな人物か

藤堂高虎(1556〜1630年)は、近江国出身の武将で、後に築城の名人として有名になります。

宇和島城・今治城・津城など、高虎が設計・築城した城は全国各地に残っています。

「主君を7人変えた」という話が有名ですが、実際に裏切ったことは一度もなく、仕えた主君が亡くなるたびに次の主君を選んだという形です。

なおじ的には、「転勤が多い先生」みたいなもので(笑)、
どこに行っても実力でしっかり結果を出すタイプですね。

今回のドラマでは秀長(小一郎)の家臣として登場しましたが、これは史実通り。

浅井家滅亡後に流浪していた高虎が、秀長の人柄に惹かれて仕えることになります。

秀長の死後も後継者を後見し続けたという義理堅さも、史実として伝わっています。

片桐且元とはどんな人物か

片桐且元(1556〜1615年)は、後に「賤ヶ岳七本槍」として名を上げる武将のひとり。

豊臣政権では大和国・摂津国を治め、茶道にも精通した文武両道の人物でした。

ところが大坂の陣の直前、豊臣家と徳川家の交渉役を任されながら板挟みになり、最終的には大坂城を出て徳川方に去るという選択をします。

「豊臣を裏切った」と見る向きもありますが、むしろ「どうにかして豊臣を救おうとして孤立した」
という解釈が近いかもしれません。

35年間教壇に立ってきてわかるのは、板挟みで追い詰められた人間を「裏切り者」と呼ぶのは少し酷だということです。

平野長泰とはどんな人物か

平野長泰(1559〜1628年)も「賤ヶ岳七本槍」のひとり。

七本槍のなかでは比較的地味な存在として描かれることが多いのですが、なおじ的にはここが面白いところです。

長泰は豊臣家への忠義を生涯貫いた武将として知られています。

大坂の陣でも豊臣方として戦い、最後まで豊臣家の側を離れませんでした。

目立った活躍よりも「静かに筋を通す」人物。

こういうタイプ、教室にも一人はいませんでしたか。

派手ではないけど、クラスで一番信頼できる子(笑)。

なおじはそういう生徒が,実は一番好きでした。
好きというより、頼りになったという方が近いか‥。

👉関連記事:豊臣兄弟16話・比叡山焼き討ちと万丸人質を史実で検証する

石田三成の「三献の茶」は史実か創作か

よく語られる「三杯のお茶」の逸話

石田三成と秀吉の出会いといえば、「三献の茶(三杯のお茶)」の逸話が有名ですよね。

鷹狩の帰りに喉が渇いた秀吉が寺に寄ると、寺の小僧(幼少の三成)が出てきて——

最初はぬるめのお茶をたっぷり。

次は少し熱くして小さめの茶碗で。

最後はさらに熱く、少量で。

その心遣いに感じ入った秀吉が
「この子を召し抱えよう」となった、という話です。

「温度と量で相手の状態を読んだ三成、天才では?」

と思う人も多いでしょう。

なおじも初めて授業で教えたとき、
「なるほどな」と思いました。

ただ‥、

この話を裏付ける一次史料が存在しない、
というのが現在の研究者の見解です。

あまりに有名な逸話ですが、
「三成が幼い頃から才覚があり、秀吉がそれを見抜いた」
という事実を、後世の人が物語に仕立てた可能性が高いとされています。

よく語られるから正しい、とは限らない。

これ、社会科の授業でも一番大事なことなんですよね。

35年教師をやってきて、
一番難しいのは「有名な話ほど疑ってみること」を
生徒に伝えることだったと思います。

ドラマがあえて三献の茶を描かなかった理由

今回のドラマ「豊臣兄弟!」は、三献の茶のシーンを描きませんでした。

選抜試験という形で三成を登場させて、あの有名なエピソードはなし。

なぜ外したのか、制作者の真意はなおじにはわかりません。

ただ、なおじはここに、ひとつの「判断」を感じました。

「三献の茶」は史料の裏付けがない後世の逸話である可能性が高い。

それをあえて外し、別の形で三成を登場させた。

「有名だから使う」のではなく、「物語として必要な形で描く」という姿勢があったのかもしれません。

もし制作者がインタビューで意図を語っているなら、ぜひ聞いてみたいところです。

👉関連記事:豊臣兄弟10話・1568年の信長上洛・光秀初登場と史実

藤堂高虎がなぜ秀長の家臣になったのか

浅井旧臣から秀長家臣へ・流浪の末の出会い

今回のドラマで、
「なんで高虎は秀吉じゃなくて秀長の家来なの?」
と思った方もいるかもしれません。

史実でも、藤堂高虎は豊臣秀長の家臣として仕えたのは確かです。

高虎はもともと浅井長政の旧臣でした。

浅井家滅亡後に流浪の身となり、縁あって秀長に仕えることになります。

秀長の「温厚で誠実な人柄」が、高虎の義理堅い性格と合ったのでしょう。

そして秀長が亡くなった後も、高虎は秀長の後継者を後見し続け、法要も続けたといいます。

「主君を7人変えた」というイメージがありますが、実際は裏切りではなく
「主君が亡くなるたびに次の道を探した」というのが正確なところです。

義理堅さが際立つ人物なんですよね。

高虎が後に「築城の名人」になった理由

藤堂高虎といえば、近世城郭の設計で有名な武将です。

宇和島城・今治城・津城・篠山城——
高虎が手がけた城は全国各地に残っています。

その特徴は、
防御を重視した「実用的な設計」。

当時の城といえば「見栄えのする天守」が注目されましたが、高虎は守りやすさ・攻めにくさを徹底的に追求しました。

ここにも高虎の「地味だけど確実」な性格が出ている気がします(笑)。

なおじが校長時代、
「派手な行事より毎日の掃除」を大切にした先生を思い出しました。

地味でも、そういう人が学校を支えていたんですよね。

👉関連記事:藤堂高虎が主君を7人変えた真相|変節漢か戦略家か

残り7か月の展開・小一郎の死まで

2026年5月〜12月に描かれる歴史的出来事

今回第18話の時点で、長浜城主になっています。

史実では、秀長(小一郎)が亡くなったのは1591年(天正19年)

ドラマがそこまでを描くとすれば、残り7か月でカバーするのは膨大な出来事です。

  • 本能寺の変(1582年)
  • 山崎の戦い・清須会議
  • 賤ヶ岳の戦い(片桐且元・平野長泰が活躍!)
  • 小牧・長久手の戦い
  • 関白就任・天下統一
  • 九州征討・小田原征伐
  • そして小一郎の死

これを7か月で詰め込むとなると——

「残り20分で江戸時代をやれ」と言われた授業みたいな状態ですよ(笑)。

先生も大変、脚本家も大変。

でも今回の「豊臣兄弟!」は、あっさり流す場面とじっくり描く場面のメリハリがうまいドラマなので、きっと上手くまとめてくれると思います。

なおじの予測では、本能寺の変は比較的早めに処理して、
小一郎が「大和大納言」として活躍する後半——
とくに、九州征討あたりに重点を置くのではないかと見ています。

この時点で兄弟はそれぞれ何歳だったのか

ドラマでは「信長に仕えて20年」という話が出ていました。

史実では、秀吉が信長に仕えたのは
1554〜1555年頃とされています。

長浜城主になったのが1573年頃とすると——

  • 秀吉:この頃おおよそ36〜37歳
  • 秀長(小一郎):おおよそ34〜35歳

まだ30代半ばなんですよね。

「えっ、そんなに若かったの?」と思うかもしれませんが、戦国時代の30代半ばはもう立派な「中堅」です。

なおじが35年教壇に立って定年を迎えた年齢のほうが、よっぽど「おじさん」でした(笑)。

人生の密度が違う、という感じですね。

Q&A|豊臣兄弟18話・よくある疑問に答えます

Q1. 選抜試験で最終的に残った4人は誰ですか?

A. 石田三成(松本怜生)・藤堂高虎(佳久創)・片桐且元(長友郁真)・平野長泰(西山潤)の4名です。

4人のうち秀吉が3人を採用するという形で、
互いに調略で1人を脱落させるという難題も課せられたようです。

史実では三成・高虎・且元・長泰はいずれも後に豊臣政権を支える重要な人物になります。

この4人がこのタイミングで一堂に会するシーンは、ドラマの演出として印象的でした。

Q2. 石田三成の「三献の茶」をドラマが描かなかったのはなぜですか?

A. 三献の茶は裏付ける一次史料がなく、後世の創作と見られています。

「豊臣兄弟!」の時代考証を担当する黒田基樹先生・柴裕之先生の姿勢として、「学術的に説明できる線だけを採用する」方針があることが語られています。もしかして、選抜試験に相当する何らかの根拠があったのでしょうか?
でも、選抜試験は、ドラマでしょうね‥。

この方針のもと、史料のない逸話として外したと思われます。

Q3. 藤堂高虎はなぜ秀長の家臣になったのですか?

A. 史実でも高虎は秀長の家臣です。

もともと浅井家の旧臣だった高虎が、浅井家滅亡後に流浪の末に秀長に仕えることになります。

秀長の誠実な人柄と高虎の義理堅い性格が合ったとされており、秀長の死後も後継者を後見し続けたという点でも「真の忠義者」という評価があります。

Q4. 片桐且元・平野長泰はどんな武将ですか?

A. 2人とも後の「賤ヶ岳七本槍」のひとりとして有名な武将です。

片桐且元は大坂の陣直前に豊臣・徳川の板挟みになり、最終的に大坂城を去りました。「裏切り者」と言われることもありますが、実態は豊臣を救おうと孤軍奮闘した人物です。

平野長泰は生涯豊臣家への忠義を貫いた武将として知られます。

Q5. 今後のドラマで最大の山場はどこだと思いますか?

A. なおじ的には「本能寺の変」と「秀長の死」の2点が最大の山場と見ています。

本能寺の変は秀吉を天下人へ駆け上がらせる転換点であり、秀長の死はドラマのタイトルそのものに関わる最終場面です。

この2点がどう描かれるかが、残り7か月の最大の見どころになるはずです。

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筆者紹介|なおじ

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。

社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景や史実との比較が得意分野です。
指導主事として授業研究にも携わり、教え子からは「歴史が面白くなる先生」と呼ばれていました。

現在は8つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を書いています。

豊臣兄弟18話

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