日本らしさ– category –
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本居宣長が完成させた『国学』とは、どんな学問
国学の礎を築いた本居宣長は、朱子学の「理」の学問を批判し、日本人的な真心の「妙理」を解いた。 -
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「日本」が「日本」という国号になったのは いつからか
日本が日本になったのはいつか。荒く言って6説ある。① 推古朝説(601~607年ごろ)② 孝徳朝説(大化の改新645年ごろ(③ 斉明朝説(659年ごろ) ④ 天智朝説(670年ごろ)⑤ 7世紀後半説(670年~702年の間)⑥ 8世紀初頭説 ア)文武朝説(702年ごろ)イ)元明朝説(712~720年ごろ) 私個人は、7世紀後半説で天武・持統朝の680年から690年代と考える。 -
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国学の四大人の一人『賀茂真淵』の国学とは、そして復古神道とは
賀茂真淵は「度量の広い人」と言われる。本居宣長のわがままを許し、主である田安宗武とも平気で論争する「ますらおぶり」。小気味よい人物であり、日本の宝の一人と言って間違いない。 -
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【朱子学・陽明学・古学の違いは何か】、『山鹿素行学(古学)』を視点として
日本の気品は、江戸期の学問によるところが大きい。その中でも、江戸初期の儒学者、林羅山の朱子学、中江藤樹の陽明学、そして山鹿素行の古学は、その後の日本人の生き方に大きく影響した。しかし、朱子学と陽明学と古学は、どこがどう違うのか。それぞれの工夫の対象(学問上の追究対象)にポイントを絞り、違いを解説。 -
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陽明学の祖 中江藤樹の『孝』、行動する思想家 熊沢蕃山の『借学(蕃山学)』
近頃は、町中にも餃子の無人販売機がある。「金を払わずに餃子を持ち逃げした」というニュースがたまに流れると、『本当に、日本人の仕業か?』と思うのは、私だけではないだろう。日本人は、誰も見ていなくとも、人の物をちょろまかすことなどしない。そんなことをしたら、『心に恥を感じてしまう。』それが日本民族。さて、この無人販売を始めたのは、近江聖人中江藤樹先生。先生は、『心を磨くことの大切さ』を説いた陽明学の祖。 -
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『「道元」の自力本願』、親鸞と真逆の教えを説く
鎌倉初期、『日本を創った思想家』を三人に絞るとすれば、『空海・親鸞・道元』であろう。道元は、「自分の教えは、民衆に受け入れられる必要はない。ごく少ない人数でよい。お釈迦様のなさった修行を、自らも行いたいという志をもった者だけが、修行を通して自力で自らを救う。」と、他力救済を説く親鸞とは、真逆の『自力救済思想』を示した。 -
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親鸞は僧でありながら、なぜ日本で初めて結婚したのか
『比叡山や興福寺のみならず、世間の人々が、あなたの敵になるでしょう。それでも、結婚する覚悟はあるか?』法然は静かに言う。『それで、お師匠様が教えてくださった真実の仏教が、世に明らかになるならば、私はやります。』親鸞31歳、日本で初めて僧侶でありながら公然と結婚をし、肉食を実行した僧侶であった。 -
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日本を創った思想家 『法然上人』の新しい仏教解釈
男は、宿敵明石定明に襲われ、深い傷を負った。男の名は、漆間時国(うるまときくに)。死が目前に迫る時国の前に、9歳になる息子「勢至丸(せいしまる)」が涙ながらに,けなげに宣言する。『父上、敵は必ず私が討ち果たします。』息子の言葉がうれしくはあった。しかし、時国は、苦しい息で息子を諭す。『敵討ちなど考えるでない。敵を憎んではならない。父の遺言通り、勢至丸はその後出世し、日本仏教史・思想史に残る宗派を生み出す。 法然上人である。 -
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『藤原定家とは どんな人か』 を知るための 5つのポイント
藤原定家と後鳥羽上皇が繰り広げた作歌論争は、現代も議論が続いている。背景がわかった時に、「アハ感覚を味わう」定家の歌、めんどくさいけど面白い。 -
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鴨長明は貧乏を楽しむ『優雅な生活』の中で、『方丈記』を書き上げた
鴨長明の草庵住まいは、今で言えば、キャンピングカー住まいのような感覚だったのではないか。貧乏を楽しむ「優雅な生活」。長明は、新たな日本文化・新たな和魂を築いたのでは。