水戸光圀や斉昭らが作成した「大日本史」などに示される「水戸学の思想」を踏まえて歴史を学ぶことが、いかに日本人にとって大切か。徳富蘇峰氏の講義録から学びます。
徳富蘇峰・深作安文
徳川光圀・斉昭と水戸学の思想
この本は、徳富蘇峰と深作安文の二氏が、水戸学について講演した記録を書き起こしたものです。
全般は徳富氏が『水戸史学に帰れ』という演題で講演されました。
今回は、この徳富氏の講演の記録を取り上げます。
徳富蘇峰とは
徳富氏は、明治・大正・昭和の3代にわたるジャーナリスト、歴史家。熊本生。本名猪一郎(いいちろう)。文久3年(1863)3月14日生まれ、昭和32年(1957)11月2日死去された方です。(コトバンクより)
水戸学に帰れ
講演内容の主訴は、「水戸学に帰ることで日本の国史がよく分かる」ということです。
徳富氏は、「徳川の時代から歴史は二派に分かれた」と指摘します。一つは、尊皇派の史学、もう一つは尊幕派の史学です。
そして、尊皇派の史学の代表として水戸史学の「大日本史」をあげています。
それに対して、尊幕派の史学の代表は林羅山などの林家が編纂した「本朝通鑑」や新井白石の「読史余論」でした。
尊幕派の史学を編纂するときの3つの方針
尊幕派の史学には、3つの方針があると述べています。
方針と言うのは、歴史を編纂する上での方針ということです。
1 現状維持
2 権力崇拝
3 利害得失
1 現状維持
「今の時勢が最も結構な時勢であって、これ以上のものは無い」という考え方です。
藤田幽谷と対立関係になった幽谷の師、立原翠軒の考え方と同じです。
2 権力崇拝
「政権を取っている者が最も偉い者であるから、その言うことさえ聞いていれば間違いない」という考え方です。
この考え方も、まさに翠軒の考え方ですね。
3 利害得失
「利害得失を考慮して彼らに頭を下げている方が得であって損がない」という考え方。
この3つの考え方が、尊幕派が歴史を書くときの根本(方針)だと指摘します。
尊皇派が歴史を編纂するときの3つの方針
これに対して、尊皇派が歴史を編纂するときも三つの方針があると指摘しています。
1 万世一系の皇室尊重
2 日本国体は世界唯一無二
3 忠奸正邪の識別
1 万世一系の皇室尊重
まず最初は、「万世一系の皇統を尊重する」ということです。藤田東湖の言う、「万古仰天皇」です。
2 日本国体は世界唯一無二
「日本の国体を世界に唯一無二の独特のものとして扱う」という考え方です。日本の国体は、中国にも、インドにも、世界中どこにもない、日本だけのものとして取り扱う、という考え方です。
本居宣長の国学以前は、中国の歴史、中国の考え方を日本の歴史や考え方と混同しがちでした。ですから後期水戸学は、より一層「国体」意識が強くなったようです。
3 中奸正邪の識別
「歴史という者は、利害得失を示すものではなく、忠奸正邪を識別することによって、万世の鑑戒となすべきものである」といっています。
尊幕派の歴史書、林家の「本朝通鑑」を読んで光圀が言った言葉がすばらしい
本朝通鑑は寛文10年(1670)成立した林羅山など林家を中心に編纂された歴史書です。この歴史書は1670年に完成したのですが、発刊されたのは、何と明治の終わりのころです。どうして世に出なかったのでしょうか。
それは、水戸光圀公に関係しています。
このようなお話が載っていました。
寛文十一年に、林家が「本朝通鑑」というものを作って、これを幕府に差し出したとき、たまたま、水戸、尾張、紀伊の御三家の方々が、幕府に居られたので、御老中の面々が「こういう結構な本が出来る」といって、その原稿を見せました。皆が、「これは実にめでたいことだ」という中、光圀公がその初めの一、二巻を開いて読まれると、「日本の祖先は呉の太伯の後胤であると書いてあったのです。
それで彼は愕然として、「これは何事であるか。呉の太伯というのは、周の文王のせがれではないか。しかもその後裔が我が朝廷のご先祖であるなどというのは言語道断である。かつて後醍醐天皇のとき、円月という僧侶があって、そういうことを書いたことがあるが、その本は詔によって焼かれた。それなのに今さら、そういう者を出すとはけしからん」
と、光圀が言うので、幕府はその本の出版を取りやめたというのです。
さすが黄門様、小気味よいですね。
水戸学に帰れ
歴史を観察するときにも、「彼は強い」「彼は弱い」「これは有利」「これは不利」という態度で見ていると、歴史を見誤ります。
この歴史観で歴史を見ると、歴史は、いわば力の崇拝、覇道の福音書となります。
水戸学の歴史観である中奸・正邪の観点とは相容れません。「勝った負けたではなく、何が正しいのかという視点で歴史を見るべきだ」というのが水戸学です。
徳富氏は、さらに別の言い方で、「水戸流の歴史観においては、歴史を倫理として扱うのに対し、尊幕派は、歴史を経済として扱った」と述べています。
明治天皇の御叡慮
水戸学(尊皇派)と尊幕派の二派の考え方に対して、明治天皇は次のように考えをお示しになりました。
歴史というものは利害損失で定めるものではなく忠奸邪正で定めるべきである
と。
これによって、大友皇子は、弘文天皇と諡されました。
それなのにウィキペディアには、「実際に即位したかどうかさだかでなく、大友皇子と表記されることも多い」と書いてあります。
水戸学を学ぶ者として実に悲しい表記です。大海人皇子(天武天皇)は確かに勝者です。しかし、勝ち負け、損得で語るべきではない、「天皇の死、即皇太子の即位」という忠奸正邪の視点で見れば、大友皇子は、弘文天皇となられます。
それを北朝の明治天皇が、「忠奸正邪の視点でみれば、大友皇子の即位は正である」と御叡慮され述べられたことからも明らかです。明治天皇の御叡慮は本当に素晴らしいです。
徳富氏は、歴史が、「力の崇拝、権力の崇拝、覇道の奨励」であってはならないと述べます。
「歴史が単に強いものを賛美しさえすれば宜しい」ということになれば、「日本精神の源としての歴史」は消えてしまう、と嘆きます。
徳富蘇峰氏の考える水戸学とは
「水戸の哲学」
「漢学でもない、国学でもない、儒学でもなく、仏学でもなく、神道でもない。真に日本の歴史の根拠に立脚した日本学」
このように述べておられます。
終わりに
徳富蘇峰氏の講演をおこしたこの本は、実にわかりやすく水戸学を解説してくれています。
ページ数も少なくすぐに読むことが出来ます。
現代の学校で教える歴史も、できる限り中立的に書かれていますが、「勝者の歴史」であるという点は否めないと思います。
また、水戸学の神髄である忠奸正邪の視点は全くありません。無味乾燥です。この点は教師がいかにアレンジするかにかかってくると思います。
知識を知る(漢字・分かる)の状態を創り、その上でいかにハテナを設け、(ひらがな・わかる)の状態まで子どもたちの智を高めることができるかが勝負になるでしょう。
教師が忠奸正邪など、価値判断の視点つまり水戸学の視点を授業づくりで意識できれば、未来に生きる歴史学習の可能性が高まるでしょう。
ありがとうございました。
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