MENU

【朱子学・陽明学・古学の違いは何か】、『山鹿素行学(古学)』を視点として

山鹿素行

 今年の大河は「どうする家康」。その表題の通り戦国の世では、それに見合った「判断・決断」が必要だった。「多くの決断」の結果、家康の天下が定り平和の世が訪れた。そうなると、「平和のための思想」が必要になる。江戸幕府存続装置として生み出された朱子学の林羅山、朱子学に疑問を感じて生まれた中江藤樹学(陽明学)や、山鹿素行学(古学)の思想体系。本稿は、山鹿素行学を中心に、朱子学・陽明学・古学の思想体系の違いを、簡単に説明する。

目次

江戸時代初期の3人の儒学者について【簡単なまとめ】

近世前期(江戸前期)は、日本思想史の中でも、きわだった新星が輩出した時代である。世界史の中でも、伊藤仁斎や新井白石のような思想家は、トップクラスといって間違いない。また、松尾芭蕉がおり、近松門左衛門がいる。天才の時代と総称していいだろう。

「日本を創った思想家たち」

 このような天才の時代の初期、戦国の世から平和の世への転換期に、三人の儒学者が現れる。一人は、官学日本朱子学の祖、林羅山。そして、陽明学の中江藤樹と古学の山鹿素行だ。

 三人とも、学問の基礎は朱子学である。しかし、藤樹も素行もそこから、それぞれに違った思想体系を生み出していく。

 羅山の朱子学は、江戸幕府の安定に寄与し、藤樹と素行の思想は、江戸末期に幕府そのものを倒す思想の根幹となっていく。

 三人の儒学者の思想体系は、何がどう違ったのかを簡単に説明していく。

 林羅山(朱子学)

林羅山

 時代の変わり目には、前の時代とは全く違った思想が必要になる。1600年代初期、戦乱が終わり平和を維持するための思想が必要になった。徳川260年の平和の礎を築いたのが、林羅山の「朱子学」だった。羅山は、「武家諸法度」も起草している。

 朱子学の説く、「忠孝」の思想などで、「安定した身分」「安定した世には秩序が必要だ」という常識が行き渡る。この常識の定着は、「江戸幕府による秩序維持は善である」という朱子学思想による。この思想を人々の心に対着することに成功したことによって、長い平和の世が実現した。

 朱子学を一言で言えば「理」の思想と言える。

中江藤樹学(陽明学)

中江藤樹

 朱子学が浸透した江戸時代ではあるが、実は早い時期に朱子学に疑問をもつ学者も出てきていた。例えば、中江藤樹陽明学

 藤樹も朱子学を学んだが、藤樹の場合は師に付かず独学だった。独学なのにか、独学だからかは分からないが、30代に入り藤樹は、羅山朱子学の考え方に疑問をもつようになる。

 羅山先生は、「世の中には、『究極の理(例えば、江戸幕府に『忠』を尽くすことが天が決めた「理(原理・原則・正解)」だ』と言うが、おかしくないか。天が決めた『理』を追究し、それに従うのではなく、大切なのは「自らの『意(心・考え)』」の方でしょう、と考え朱子学を批判した。 

 陽明学を一言で言えば「良知」の思想と言える。

山鹿素行学(古学)

 同じように、林羅山の朱子学に疑問をもった学者がいる。山鹿素行である。素行は、もしかすると、自らを儒者(古学)と認識してはおらず、兵学者と認識していたかもしれないが、この時期の大思想家の一人であったことは間違いない。

 素行の思想体系を一言で言えば「用」の思想と言える。

山鹿素行とはどのような人物か

¥3,080 (2023/02/13 15:02時点 | Amazon調べ)

 江戸初期の3人の儒学者の思想体系の違いをまとめるに当たっては、上記「山鹿素行の思想(立花均:創栄図書印刷)」を基とした。

山鹿素行

 山鹿素行は、会津に生まれ、6歳の時江戸に出てきた。儒学を林羅山に、兵学を小幡景憲と北条氏長から学び、他に神道や和学も学んでいる。

 21歳の時には、「兵学者」として独立している。
 素行が生まれたのは、大坂夏の陣の7年後の1622年。自分は、平和の中で生まれたが、まだまだ戦国の世を知る武士が身近に多数生きていた。このような時代背景の中で幼少期を過ごした。

 平和に生きる武士の存在根拠を儒教に求め、武士のあるべき姿として「士道」を提唱している。

 後の世の葉隠「武士道」とは、一風違った思想体系でできあがった素行の「士道」と、葉隠「武士道」との違いについては、後日別稿で触れる。
 赤穂浪士の討ち入りは、赤穂藩にも在籍していた素行の思想が影響している。

 当時復古的主張(古学)を主張した儒者に、伊藤仁斎がいる。素行とほぼ同時期の人ではあるが、それぞれ独自に主張しているので、必ずしも、二人の論は一致しない。

 素行の主な著書としては、『山鹿語録』『中朝事実』などがある。

尊皇愛国の思想とされる『山鹿素行学』だが・・・

 『中朝事実』という本で、素行は皇統の歴史を論じ、『日本の朝廷は、万世一系で他国に英を見ない。日本は卓越性を持った国で、日本こそ、中華と呼ぶにふさわしい』と主張している。

 この点が幕末の志士に素行の「中朝事実」こそ、『尊皇思想』のバイブルだ、というイメージを植え付けた。

 だが実は、素行は武家事紀(ぶけじき)」という本も書いていて、その中には、「朝廷が政治を怠り、統治能力を失ったので、武家が政治を担当するようになった」と書き、武家政治の正当性、つまり徳川幕府の正当性も主張している。

 だが幕末期は、この点は無視されたようだ。

中朝事実

素行学の思想を一言で言えば、「用」

 素行の思想体系を一言で表現すると、「用」の思想である。

「用」とは何か

 素行が言う「用」とは、物(モノ)の「働き」、とか「機能」とかを指す。

その物(モノ)が、外部に対して、どのような「用(働き・機能)」を果たすか

 素行は、これを極めようとした。

「物」とは何か

 『その物(モノ)が、外部に対して、どういう働きをするのか』という場合の、素行の言う「物」とは、いわゆる「物体」としての物だけに限らない。

 例えば、「忠義」であるとか、「親孝行」であるとか、「仲間との関わり」であるとかいう、抽象的な関わりなども「モノ」に含まれる。

素行学では『格物致知(かくぶつちち)』をどう解釈するか

格物致知

 「格物致知」は儒学の基本的な言葉である。

「格」は『いたる。いたす。きわめる。ただす。』などの訓読みがある。

 素行学では、『物(モノ)』、つまり、『一つ一つの問題場面』で、それを「ただす・きわめる・検討する・工夫する」ことで、『知(そのモノの正しい「働き・機能・在り方」は、どうであるかという)』に至ることができる。

 という解釈となる。

素行学の追究対象は、客体である「物(モノ)」の「用」

 素行の思想は、客体である物(モノ)に焦点化される。その「用」つまり、その問題場面で、「モノ」がどう働き、機能すれば、正しく「用いる」ことができるか、ということが大切だよ、という思想だ。

朱子学の「格物致知」の解釈は

 では、朱子学の『格物致知』の解釈は、というと、

 すべての物には、すでに『天から与えられている究極的一理究極の一理)』が存在している、と解釈している。

 だから、人の工夫(研究)の対象は、天が定めた「定理」を探ることにある、とする。

 さらに、それを探る人間の心も、「天が定めた善なる心がすでにある」ので、その「善なる心」を探ることも工夫(学問的追究)の対象としている。

 つまり、朱子学の追究対象は、「客体としての究極的一理(天が定めている定理)」と、「主体としての善なる意」の両方となる。

素行は、朱子学の何を批判したのか

 すべての物(モノ)は、常に変化し続けている。(生々無息)
 常に変化しているモノに、「常に変わらず適用できる定理など無い」(「究極的一理」の否定」)

 モノ(ごと)は、常に変化するのだから、その時々の問題場面で、「モノ」をどう機能させればよいか、という点に的を絞って工夫(追究)するのがよい。

 形而上学的な「一理」などを、工夫(学問的追究)の対象とする朱子学は、おかしい、と批判する。

 ただし、「モノ」を追究対象として掲げている点は、認めている。
 それに対して、陽明学については全否定している。なぜなら、陽明学は、古学の山鹿素行学とは追究対象が反対だからだ。

陽明学の追究対象は「主体」としての「意」

陽明学の基本的な言葉に「良知を致すという言葉がある。

この言葉の出典は、孟子の

人の学ばずして能くするところの者はその良能なり。慮らずして知るところの者はその良知なり

孟子:盡心(じんしん)篇

 である。

 王陽明全集に、

「知を致す」というものは、後儒(朱子学の朱熹など)のいわゆるその知識を充広するの謂のごときにあらざるなり。我が心の良知を致すのみ。

『大学問』『王陽明全集』

 陽明学は『良知』の学問である。

『格物致知』について

 「物」について思う自分のを「格す(ただす)」ことととらえる。
 つまり、工夫(追究)対象、思想体系は、『主体である自分の「意(心・考え)』に焦点が当てられている。

 追究対象を『客体である「モノ」の働き・機能』であるとする素行学(古学)とは、全く真逆である。

 よって、素行は、朱子学以上に陽明学を批判している。

 当然ながら、逆もまた真なり。
 陽明学の立場からすれば、素行学も、朱子学も批判対象である。追究の対象が三者三様で違うのだ。

 簡単に図解すると、下のようになる。

山鹿素行

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次