MENU

主体的・対話的で深い学びを実現させるための、学習問題とは

目次

学習問題と、学習課題の違い

 小学校では「問題」、中学校では「課題」という語が一般的に使われます。
 「問題」は主観的です。それに対し、「課題」は客観的です。

小学校でつかわれる「学習問題」とは

 「問題」は主観的です。
 小学校では特に、子どもたちの「調べたい」「不思議だ」という主観に訴える「問い」を準備する必要があります。
 そのためには、「問い」が「自分の生活に本当に関わっている」という思い「自分のこと」にも通じるという思いを醸成しなければなりません。
「問い」が「自分の生活にも通じる疑問だ」という「切実感」が生まれれば、生き生きとした追究が期待できます。まさに「主体的に」学習に取り組む意欲を生むことが出来るでしょう。

中学校で使われる「適切な『学習課題』」とは

 中学校では、授業で扱われる「問い」に、より「客観性」が求められます。
 「社会的な課題」「『学力の基礎・基本』を身に付けるにふさわしい課題」が、教師が授業で設定すべき「適切な課題」です。


 ここで注意すべき点は、中学生の扱う課題について、生徒たちに「切実感」を持たせる工夫はいらない、ということではないということです。
 中学校の学習時間は、ぎりぎりです。コロナ禍の現在ならなおさらです。学校行事や、不慮の学校閉鎖・学年閉鎖・学級閉鎖で授業時間が失われることがあります。よほど上手に計画を立てておかないと、授業時間不足に陥る危険性もありますよね。
 そんな中でもやはり、「学習課題」を「学習問題化」する工夫、つまり「教師が課する「課題」を、生徒自身が「確かにこれは問題だ」と「問題意識」として認識させるようにする工夫は大切です。
 では、どうしたら「学習課題」を「学習問題化」することができるのでしょうか。

小学校でも、中学校でも、教師自身が「学習課題」は何かを明確に捉えること

「問い」と「問題」と「課題」の違い

 小・中学校の実践に、「KJ法による追究問題の設定」という学習プロセスがあります。
 「主体的な学び」を実現するための工夫として、子どもたち自身が「何を追究するのかを自分たちで決める」学習です。
 さて、このときに授業に位置付けられる子どもたちの「疑問」はどのような性格を持つでしょうか。
 この「疑問」によって調べられるのは「個々の事実」になります。このような『個々の事実に行き着く「疑問」を「問い」』と呼びます。
 「問い」のレベルの追究では、社会的事象の持つ、「社会的な意味」には行き着きません。そこで、「社会的な意味」、というレベルの知識に行き着くための「問い」が必要になります。それが、「課題」です。「課題」は社会科という教科があらかじめ学習指導要領や解説に規定している「学力」に到達するように仕組まれた「客観的な問い」でなければなりません。
 その意味で「課題」は教師が単元のねらいを分析し、教師の責任で設定しなければならない「問い」なのです。教師が必ず自分の口で言うということではなりません。教師が設定するにせよ、子どもが設定するにせよ教師の頭の中には既に「課題」が意識されてはいけないのです。
 これは、小学校でも中学校でも変わりません。
 そして、「この単元でねらうべき、学力に迫る『課題』」を教師が意識しつつ、児童・生徒の問題意識を加味しながら、『「課題」に「子どもたちの切実性」を加味した「問い」』が、「問題」です。

「主体的・対話的で深い学び」を実現するための教師の役割

どうしたら「学習課題」を「学習問題化」することができるの

「学習課題」を「学習問題化」するポイント
  1. 教師が、事前に本単元の「学習課題」は何か、をつかんでおくこと
  2. 「学習課題」は、ある程度の事実認識が無いと設定できないこと、を教師が知っていること
  3. 「事実発表」の中で表現される「矛盾」から、「学習課題」を設定すること
  4. 「矛盾」に対する仮説を持たせ、対話させることで「問題意識」を醸成すること

 教師が、「適切な課題」を意識しておく


 「主体的・対話的で深い学び」を実現させるための最大のポイントは、教師がその単元の「適切な課題」は何か、を自覚しているかいないか、です。
 課題設定は、決して子どもたち自身の主体性任せきりにしてはいけません。教師の指導が、今風に言えば、「課題設定のための」支援が大切です。

基本的には、事実調べ・事実発表の段階で「適切な課題の設定」が可能となる

 「適切な課題」の設定は、ある程度の事実認識が無いとできません。小学校なら、「問い」の「追究」、そして追究したことの「発表」の中で、事実的な知識がある程度共通理解された時に設定されます。「ちょっと待って、それ(ある事実)おかしいよね」というような疑問として、教師のねらう「学習課題」、子どもの側からすると教師の指導という手のひらの中で「切実感をもった学習問題」が設定されます。ですから、小学校では「教師のねらいとする学習課題」、子どもにとっては「切実感をもった学習問題」は、単元の中盤あたりで設定されます。
 中学校に於いては、一つの単元がおそらく5、6単位時間でしょうから、単元の長さに見合った中盤あたりに「課題」が設定されます。
 改めて言うまでもありませんが、「課題」は「適切」でなければなりません。「何に対して適切か」といいますと、その単元でねらう「学力」に行き着く「課題」として「適切」でなければならないという意味です。

矛盾の提示と、仮説を持たせて対話する時間の設定

 中学校でも教師の意図する「学習課題」は、生徒にとっては切実性をもった「学習問題」である必要があります。
教師の意図する「学習課題」が生徒にとって「学習問題」となるためには、「事実認識の解釈のずれ」「矛盾」が生徒間に自覚されなくてはなりません。
 そして、その解釈の違い仮説の違いについて、対話的な時間が設定されます。その上で、生徒が「自分自身の考えの正誤」について、追究できる時間を仕組みます。
 ここでの追究活動は、事実調べがメインでは無く、「自分の考えの正誤調べ」がメインとなります。社会科は事実調べで終わってはいけません。『生徒が「自分の考えについて追究」する指導』ができれば、生徒の学びは、単なる事実追究・事実認識の授業から、「主体的・対話的で深い学び」となるでしょう。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次