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太田光代の母が信仰していた新興宗教から、光代を救ったのは義父

太田光代さんは、爆笑問題・太田光の妻であり、芸能事務所「タイタン」の社長。
1964年7月6日生まれで、年齢は2024年で60歳

高校卒業後、モデルとして芸能界デビュー。
その後、「太田プロダクション」にスカウト。

1990年9月26日には、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんと結婚
1993年に芸能事務所「タイタン」を設立し、代表取締役社長に就任

この光代社長の生い立ちは、複雑だと語る。
とりわけ、その信仰については複雑なようだ。

さて、彼女自身が複雑だと語る信仰にまつわる生い立ちとは、どのようなものだったのか。

目次

光代の実の父と母にまつわる生い立ち

https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/kibou/004_1/

光代は、自身の実の父について、次のようま内容を語っている。

 私の実の父は、長崎の壱岐島出身でした。(壱岐という土地柄からか)信仰心を強く持っていた人だと想像します。でも母は、父とは違う宗教を信仰していたのです。

 私は、母と実の父が別れた後に生まれました。
 母は、離れていった父に対抗するように、父の信仰していた宗教とは違う宗教に入信しました。
 そして、生まれて間もない私も、母と同じ宗教に入信させせたのです。

 生まれて間もない私には、当然、宗教を自ら選ぶ自由などなく、気付いたら入信していたという状態でした。
【意訳】

【元文】は以下の通り。

光代が、何と言う宗教に入信させられてしまったのかは不明。
創価学会とも、その他の新興宗教だったとも言われる。

問題は、光代さんが「私の意思を確認することも無く、母に無理矢理入信させられた」という気持ちを強く持っている点だ。

おそらく、光代の母は、女手一つで光代を育てることになり、不安が大きかったことだろう。
そんなときに、救いを求めて宗教に入信してしまった。

そして、高額な仏壇を買わされるなど、新興宗教にまつわるよくある話に発展してしまう。

赤ちゃんの光代を襲った苦難

さらに、光代を待ち受けていた苦難、それは『先天性股関節脱臼』
生まれながらに、股関節が脱臼していて足を動かせなかった。

おそらく、赤ちゃんの状態の時、母親は異常に気付いただろう。
だが、母一人子一人状態の家庭で、光代が治療を受け始めたのは、1歳半の時だったという。

光代の場合、なかなか股関節の脱臼状態の改善が進まず、ギブスを付けたままだった。
その間、入院状態が続いたのだという。

3歳ともなれば、通常の乳児なら歩ける。だが光代は「股関節脱臼」を改善するためギプスを付けているので歩けない。

その姿をみて、同じ病院に入院中の子ども達からいじめられる日々が続いた。
幼い光代にとって、相当に過酷な日々だっただろう。

このような状態で、光代の母親はますます宗教にのめりこみ、救いを求めるために貢ぐ行動が増えていく。
高額な仏壇の複数回の購入や、たび重なるお布施…。

救ってくれたのは、育ての父・鉄三

38歳で、シングルマザーとして光代を出産した母は、保険の営業・セールスレディーとして働き生計を立てていた。

光代が小学公入学を間近に控えた頃、光代の家庭に変化が起こる。
母が再婚をすることになった。

光代は、最初は母の再婚に反対していた。
だがすぐに、新しく育ての父となった鉄三と打ち解け、母以上に気心を赦すようになっていく。

光代は、義父・鉄三が、頻繁に訪れる宗教関係の人を、何度となく理詰めで追い返す姿を見覚えている。

『この人は、信頼できる人だ。私も義父と同じように何を信じるかは自分で選びたい。』

と考えるようになっていったという。

そして、光代が小学校の4年生になったころから、義父と宗教関係の人とのやりとりが始まった。

宗教団体の脱会に、1年かかる

「私が、宗教団体を脱会できたのは義父のお陰」

と、光代は言う。

「この子は、自分で宗教を選べない状態で入信させられた。それは違法だ」。

と、義父・鉄三さんは言い続けた。

何度も、何度も母が入信する宗教関係者と話し合ってくれた。
その期間は、光代が小学校の4から5年生の約1年間に及んだという。
そして、光代は脱会することができた。

光代は、義父・鉄三に感謝している。

2022年、統一教会擁護者として世論から叩かれた光代の夫・太田光(アーリン)をかばっての発言だが、その発言のなかで、光代は、義父・鉄三への感謝の念も表明している。

光代の独立

だが、母親が数千万(?)の仏壇を買ったことで義父は、母との離婚を決意した。

光代は、高校2年の時に家を出る。
このまま、母と暮らしていたら母を殺してしまうかもしれないという恐怖心からの行動だったという。

現在、鉄三はこの世を去った。
光代は、母親と同居している。

「母親が、宗教活動をやめる」ことが条件だったようだ。

だが、母に対して「今も距離を置いたまま。話もしない。」
未だに母を許せないという思いがある、という。

自身の心に対する壮絶な戦いは、今も続いているのかもしれない。

太田光代

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