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幼児教育の根幹はPQ教育にあり

唾つけるな

 有名すし屋で、別の客が注文した鮨につばをつけた。陳列してある湯飲みをなめ回して戻した。それを臆面も無くYouTubeにアップした。まったく考えられない。品性無し、社会的規範無しの若者がニュースになっていた。「三つ子の魂百までも」と言われが、この青年が幼少期に親から受けた教育に、大きな欠陥があったのではなかろうか。日本を立て直すには、幼児教育へのてこ入れが必要だと感じる。その際に「幼児教育と脳」は必読の書であろう。

目次

幼児教育と脳 

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 人間は、幼児のときの環境が一生影響を与えることを感覚的に知っている。

 それを「脳科学の観点」から証明したのが本書『幼児教育と脳』だ。この本を読むと、幼児教育の大切さ、必要性がよく分かる。
 今、子育てをしている人には必読の良書。御子様の人間性を含めて知性を健全に、そして豊かに育てるために、本書を一読することをお勧めしたい。

知性も人間性も脳がつくる。多くの人は、知能指数IQが「脳力」であることは当然のことだと考えているだろうが、脳がつくるのはそういった知能だけではない人格も感情も脳がつくるし、「運動神経」といわれる運動能力も実は脳力だと言ってよい。

幼児教育と脳より

 筆者は、『幼少期に脳を豊かに、上手に育むこと、「幼児脳教育」こそが、人間形成にとって最重要の課題』だ主張する。

どの時期にどのような点に注意することが、「幼児の脳によい影響」を与えるのか

 幼児脳教育を成功させるキーワードは「PQ」だという。

人間として最も大切なのは、決して知能指数IQではない。EQはそこそこに重要だが、この知性も人間にとってごく部分的なものでしかない。脳と人類進化の両方を総合すると、最も重要なのはPQなのだ。このPQを豊かに育むことこそが、幼児脳教育の根幹であるべきで、IQやEQは二次的なものである。

幼児教育と脳より

EQとは何か PQとは何か

 幼少期に、「適切な英才教育」を行うことは重要。IQもEQも大切なことは疑いない。IQ教育もEQ教育もそこそこに行なうべきだが、じつは、両方ともPQに従属するものにすぎない。PQこそが人間の脳力の中心だという。

 IQは、知能テストでもおなじみなので、一般的だろう。
 EQは、感情的知性(感情をうまくコントロールする知性)
 ではPQとは、一体何なのだろうか。筆者は次のように説明する。

(PQとは)「スーパーバイザー」として、自分のもつ多重フレームの能力(様々な知性)を把握して、うまく操りながら将来へ向けた計画を立て、社会関係と自他の感情を適切に理解・コントロールしつつ、社会の中で前向きに生きるための知性。

 幼少期にPQ教育をしっかり行えば、子どもたちの未来は明るい。しかし、そのPQ教育が現代日本では学校教育でも、家庭教育でも最もなおざりにされている。
 PQ教育の欠如のために、子どもたちに色々な「問題行動」が起きているのだと言う。

幼児期とは、具体的に何歳から何歳までを指すか

 本書では、「幼少期」を、0歳から8歳くらいまでとしている。脳科学の観点からいって、8歳くらいまでが「幼児脳教育」の正念場であることを、まず抑えておきたい。

知性とは何か

知性の多重フレーム

 知性にはさまざまなものがある。一般にいう「知能(IQ)」のみを指すのではない。スポーツや運動をうまく行なうのも知性の一つ。性格や理性などを含む「自我」も実は知性の一つ。幼児教育の目的は、そういう多くの知性(「多重知性」)を豊かに育むことにある。

「知性」の本質とは何か

 小中学校の授業科目には、 「国語、算数(数学)、理科、社会、音楽、図工、体育など」複数の種類がある。

 これは、「認知心理学」からみても正しい。

知性は、いろいろあるんだよ、

 ということを前提とするカリキュラム構成となっているからだ。

 認知心理学とは、1960年代になってから急速に発展した「心の科学」の総称で、心を科学的に明らかにしようという目標の下に発展した。

 近年、心を理解するためには脳を知らなければならないので、「心の脳科学」、「認知脳科学」が発展しつつある。

認知心理学が明らかにしたことは何か

もっとも注目すべき成果は「知性の多重性」

 アメリカの著名な認知心理学者、ハワード・ガードナーは「われわれの知性は一つではなく、多数の並列した知性からなっている」という多重知性理論を提唱。

 ガードナーによれば、私たちの知性は言語的知性や空間的知性などの六つの知性に分けられる。ただ、彼のオリジナルな考えは1983年に出されたものなので、やや古い。
 最新の認知脳科学では、私たち人類の知性は大きく八つに分類できる。

幼児教育と脳より
「幼児教育と脳」を元に作成:『多重知性』(尚爺)

言語的知性・・言葉を見たり聞いたりして、それを理解し、記憶する。そしてそれらに基づいて言葉を話し、文字を書くことなどの行為を行なう知性。会話や読書、執筆での基本的な知性。
*絵画的知性・絵画に代表される視覚対象の形態やパターンを理解し、記憶する。そして絵画や図形などを描く知性。絵画の鑑賞や画家にとってなくてはならない。
*空間的知性・・モノがどのような位置にどのような速度や関係で存在しているのかという知覚とその記憶、そして、それに基づいて行動を組み立てる知性。日常生活で普通に使われる。目的地まで歩いたりドライブしたりするときにも必要。山歩きやハイキングでもこの知性がうまく働かないと道に迷いかねない。
*論理数学的知性・・さまざまな数学的記号の理解とそれを論理的に操作する知性。計算や暗算で使われる。数学者には必須。
*音楽的知性・・音楽を聞いて知覚し、理解し、記憶する。そして、それらに基づいて歌ったり、演奏したりする知性。とくにミュージシャンではよく発達していることが実証されている。
*身体運動的知性・からだの姿勢や運動の様子を知覚し、記憶する。そして、それらに基づいて運動をうまくコントロールする知性。優秀なスポーツ選手になるにはこの知性を最大限に伸ばす必要がある。
*社会的知性・・人間関係に代表される社会関係の知覚、理解、記憶。それらに基づいて適切に社会的行動を行なう知性。結婚生活などを含めた社会関係を適切に営むのに必要。
*感情的知性・・他者の感情(表情を含む)や自分の感情を理解・記憶し、自分の感情を適切にコントロールする知性。「EQ」におおむね対応。
さらに、これら八つの知性を総括しコントロールする知性、いわば「超知性」としての「自我」がある。この超知性『自我』は、多重知性の監督者、スーパーバイザーのような役割をもっている。『人格』と言ってもよい。
*自我・・自分のもつ多重知性を総括してうまく操作し、将来へ向けた計画を立てつつ前向きに生きるための知性。(PQ)

幼児教育と脳より

 知性は複数ある。そして、それぞれが別個に並列して働くことができる。このことは「脳教育」を考える上で重要なポイント。

「知性」は、並列して、多重に働く。

性格も親に似る

 人の器官や組織は、遺伝子に書き込まれた設計図からつくられる。脳も同じ。基本的にはそれぞれの親から受け継いだ遺伝に沿ってつくられる。よって、知性も遺伝する。

知能指数IQの60%くらいは遺伝に依存する。

幼児教育と脳より

 IQが遺伝することからも明らかなように、多重知性のそれぞれに関しても40~60%は遺伝する。たとえば言語的知性や空間的知性は60%くらい遺伝に依存している。

 作家の子どもが作家になるのは決して環境のせいだけではない。多重知性は8項目、すべてが遺伝する。多重知性の一つである自我にしてもそうだ。

「自我のひとつの特性である「性格」も遺伝する。「性格要因」の数や内容に関しては諸説あるが、最も少なくみつもって三つの主要な性格要因がある。

「外向・内向性」と「神経質さ」、「衝動性」

である。
この三要因の程度の「組み合わせ」によって、ある人の性格は決まる。

3つの性格要因の遺伝

 50~60%は遺伝に依存(80%というデータさえある)。だから、両親ともに外向的な場合、子どもも外向的になることが多い。
 その他の性格要因も同様で、少なくとも30~40%、データによっては60~80%は遺伝によって、子どもの性格が形成されるという。

 各性絡要因の組み合わせで性格が決まるので、個々人の性格は少なくとも60%程度は遺伝によって決まっている。

脳構造も遺伝するか

 結論から言えば、脳の構造も遺伝する。
 遺伝することははっきりしている。だが、それだけなら、数学者の子どもは数学ができ、スポーツ選手の子ともはそのスポーツが得意で、音楽家の子どもは音楽能力が発達し、作家の親をもつ子どもは作家になる確率が高い、といったことになってもいいはずだが、現実はそれほど単純ではない。

知性は、遺伝だけで決まるわけではないことも、また、明らか。

 たとえば、両親とも音楽家の子どもが音楽とは全く無縁に育ったら、音楽的知性を発達させるきっかけさえつかめない。

 ここにこそ、育児や教育の意味がある。環境の大切さも経験の必要性もこの点にこそある。

人間の脳は、変容する

 脳の神経系は、社会環境を含めた環境にうまく適応するようにつくられている。
「脳の配線は、変わる」これを「変容」という。そして、「変容」は、脳を含む神経系の本質。

 何千、何万年という歴史の中で、人間が生まれ、育つ環境があらかじめ決まっていて一定なら、神経系の変化など必要ない。だが、実際は絶えず変化し続けてきた。それに対応するために、「脳」も「変化する」という性質を獲得している。

 遺伝は確かにある。しかし、個人の脳は、それにもかかわらず「変容」することが可能なのだ。遺伝だけでは無い、というこの事実は、救われた気持ちになる。

 「脳」の「変容」は、幼少期にもっとも著しい。この厳然たる事実を見れば、「幼児脳教育」がいかに重要かが分かる。

 幼少期の大脳皮質の変容は、生誕前後に起こる驚くべきできごとから始まる。ニューロンの大量死である。
 一度死んだニューロンは新たに生産されない。少数ながら例外はあるが、基本的に人間の脳のニューロンは減り続ける。

 だが、その代わりに、大規模な細胞死が起こる時期の後半から、シナプス豊富かつ急速に形成される。このとき、生き残ったニューロンも樹状突起をのばして豊かに発達し、ネットワークを広げていく。そして、シナプスは生後数歳になるまで増え続けたあと、急速に減少して15歳ころには大人の密度に近づいてしまう。

大量のニューロンの死と、シナプスの急速な形成と減少

 ダーウィンが提唱した自然選択と同じようなことが、幼児の脳内で起こっているということである。乳幼児の脳内には、生まれたとき、雑多なニューロンが多量につくられている。
 その後、適当なものが急激な勢いで選択され、必要ないとされたものは死滅していく。

 何がその人にとって必要なのか、あらかじめ分かっているなら別だが、人間はどういう環境に生まれるのか分からない。そこでとりあえず、多くの環境に対応できるよう、様々なニューロンが脳内に存在している。

 適切な結合をしたニューロンとシナプスが環境要因によって選択される。幼児の脳では、環境要因によって「刈り込まれる」という形で神経回路が形成されていく。

このことは幼児脳教育を考える上でも重要。

 ある程度は脳内の死ぬべきものと生き残るべきものが、遺伝的に決まっているかもしれないが、どのニューロン・シナプスが生き残るかは、大きく環境要因による。

環境要因とは何か

 「脳の働きと結びついて、環境は環境要因になる。」
 外に、単に存在しているものは、そのままでは環境では無い。どんな環境要因も脳の働きと結びついて、はじめて環境と成り得る。自然環境も、脳の働きがなければ、環境とはならないのだ。

 環境要因は、ニューロンの活動によって処理され、脳内で「組織化された活動」

環境要因イコール組織化されたニューロン活動

 だという。
 ニューロンの死滅も活動に依存している。活動しないニューロンは、やがては死んでしまう。

 逆に、よく活動し、情報がよく伝わるシナプスやニューロンは存続する。さらに活動させればさらに発達して、ますます情報をうまく処理できるようになるのだ。

 こうして、「組織化した活動」としての環境要因は神経回路を変化させてゆく。
 例えば、視覚野の場合は、神経回路の変化は、4歳ころまででいちじるしい。この期聞を「臨界期」あるいは「感受性期」という。
 視覚については、4歳ぐらいまでが感受性期なのである。つまり、4歳までに視覚を使う環境を調えていない場合、人はそれ以後いくら頑張っても「見えない」という状態になってしまう。

 同じように、感覚(五感)と運動の基本能力の発達は、生後2歳ころまで。
 言葉で、物事や関係を概念化する行動(脳力)の発達は、12歳ころまで。
 そのあとに、概念を論理的にあやつる働きが発達してくる。

 言語的知性が比較的大きく変容する期間は12歳ころまで。

 この期間に、言語を使った表現力なり、思考の深さや広さが脳力(大脳皮質形態)として、ほぼ決定づけられてしまう。
 さらに深刻な問題を考えれば、この期間に適切な言語刺激がなかったり、言語を使わなかったりしたら、言語は十分に発達しないことになる。

 これは、第二言語の習得にもいえる。例えば英語は、7歳までに移住した人はネイティブな人(現地住民)と同程度の英語能力をもつ。
 年齢が8歳を過ぎると英語習得の能力が急速に落ちる。ネイティブになることは難しくなる

 15歳を過ぎてしまうと、英語習得のネイティブとしての英語習得は、大変な努力を要するようになる。

 言語的知性のネイティブとしての習得は、7歳まで。それ以後15歳ころまで急速に減少し、その後の減少速度はたいして変わらなくなり、英語を学習として習得せざるを得なくなる。

 細胞死やシナプスの刈り込みは、学習や経験の結果を脳に刻みこむために起こっている。この点を脳教育に生かさなければならない。

ヒ卜の脳を進化させた要因は何か

 チンパンジーと私たち人類を決定的に分けている脳領域・機能とは何か?
 結論から述べれば「前頭連合野」とその働きだという。

 脳の30%を占める前頭連合野こそが、ヒトの脳を特徴つけている脳領域なのである。したがって、脳レベルでみれば、人が人に進化したのは、「前頭連合野の進化」と言ってよい。

 そして、「前頭連合野」の働きこそ、「自我」なのである。

 自我には大きく二つの側面、あるいは機能がある。自分に関して意識すること、つまり「自己意識」と、
 自分の行動や心・感情をコントロールすること、つまり「自己制御」である。

 つまり、「自分自身に関する情報を意識内に保持しつつ、組み合わせて(自己意識)、自分をコントロールすること(自己制御)が自我の働き」である。

『自我とは』
 自らの多重知性の内容を意識しつつ、それらをコントロールする(操作・統合・使い分けする)働きだと言ってよい。

 いわば、多重知性の統率者、「スーパーバイザー」である。そして、この『自我』をもつ者が『人間』である。

『自我』は、「ワーキングメモリ」という認知機能と密接に関係

 こうした働きは「ワーキングメモリ」という認知機能と密接に関係している。

 ワーキングメモリは近年の認知脳科学で大きく注目されているが、元来は、認知心理学によって明らかになった認知機能である。

 メモリ(記憶)には大きく分けて二つある。短期記憶と長期記憶でだ。情報は、まず短期記憶に保持されてから、長期記憶へ移行する。
 短期記憶はまさに数秒から数分程度の短期的な記憶しか出来ない。脳レベルではニューロン活動によって維持される。

 長期記憶は、もっと長期的なもので、数時間から数年、数十年間にわたって保持される。脳のレベルでは、ニューロン活動の変化というよりも、神経回路の構造的な変化が起きることで記憶が保持される。

 「ワーキングメモリ」は、短期記憶の一種。だが、通常の短期記憶にはない大きな特徴が少なくとも二つある。

 一つは、ある目的(行動や決断)のための「使われる記憶」であるということ。
 通常の短期記憶は必ずしも使われるとは限らず、そのまま忘却されることが多い。

 ワーキングメモリの第二の特徴は、『使われる記憶』の組み合わせる操作し『答え』を持ちびく。
 短期的に蓄えられた、いろいろな「使われる記憶」を取り出し、統合するなどの操作をして、決断や行動制御、いわば「答え」を生み出す働きをする。

 つまり、ワーキングメモリは、「行動や決断に必要なさまざまな情報を一時的に保持しつつ組み合わせ、行動や決断を導く認知機能」である。
 これは思考や言語、理解、理性など、ふつうに言う「精神活動」の中心を占めている。

 前頭連合野、とくにその背外側部(中でも46野)は、このワーキングメモリに中心的な役割を演じている。

自己意識の形成

自我とワーキングメモリの関係である。

 自己意識とは、「自分自身の過去・現在・将来の意識」である。
 ワーキングメモリの本質的な働きは、将来の行動・計画を導き出す、という点にある。

 自分に関する過去の情報は、顕在記憶として脳内に長期的に蓄えられている。そして、自分自身の現在の状況は、各種感覚器官を介して大脳皮質の感覚性領野と感覚性連合野(側頭連合野や頭頂連合野)で処理され、感覚・知覚や短期記憶として絶えず生起している。

 しかし、これだけでは決して自己意識とはならない。
 こうした情報を操作・統合することによってこそ、自己意識が生まれる。

 そして、その結果、自分自身に関するデータとして、現在の自分の状態や行動、将来の行動、計画、展望などが出てくる。

 こうした一連の働きが自己意識である。ワーキングメモリの働きがあるから、自己意識生まれる。

霊長類の大脳皮質の前頭連合野の進化は、「社会関係」による

 そもそも、なぜワーキングメモリが人類にとって大切なのか。それは、人間は、社会関係の中でしか生きていけないからだ。
 社会の中でうまく立ち回るためには他者に関する情報を保持しつつ組み合わせて、適切な答え・行動をする必要がある。

 そして、社会関係を考慮して、適切な行動をするためには、自分自身に関する情報を十分かつ意識的に処理する脳力が無ければならない。

 自分の行動を適切に制御することによってこそ、社会関係をうまく営める。
 しかるに昨今、一部のユーチューバーが社会的な規範から外れた行動をして面白がっていたりする。これは幼少期の大脳連合野の生育に何か大きな間違いがあったと見て、ほぼ間違いない。

前頭連合野の発達の「鍵」は自我

 自我の働きは「自分自身に関する情報を意識内に保持しつつ組み合わせて(自己意識)、自分をコントロールすること(自己制御であり、これは、自らの多重知性の内容を意識しつつそれらをコントロールする(操作・統合・使い分けする)働きでもある。いわば、多重知性の総括者・監督、「スーパーバイザー」である。

幼児教育と脳より

 『自我』の働きは、社会関係の中で適切に行動する上で必要不可欠。

 サルでは、今がまんすれば数分後にもっと美味しい餌をもらえる状況でも、目の前にある餌をとってしまう。数分後のことすら見通せない

 私たち人類は、本来、数時間どころか数年、数十年先まで意識して現在の行動を制御できるはずなのだ。

 社会関係の中心は『自我』である。『自我』は、人間の『多重な知性』の統率者としての役割を果たす。自分自身のもつ多数の『知性』の能力を把握し、うまく操り、将来へ向けた計画を立て、実践する。

類での脳教育は、だから、この能力こそを中心にすべき

  • 私たちの知性は多量であり、複数の知性が並列している。
  • 多重知性の実体は脳内の多重(並列階居的な神経システム)である。
  • 多重知性は60%程度遺伝するが、環境要因によって可塑的に変容し得る。
  • 多重知性の可塑的変化は幼少期で著しい。
  • 多重知性の基礎をつくる上で最重要な時期としての感受性期も幼少期に集中してい
  • ヒト進化の観点からみて、私たち人類の本性の一つは飽くなき好奇心である。
  • 多重知性の少なくとも一部は社会関係をうまく行なうために進化してきた。
  • 私たち人類の最も本質的かつ重要な能力は「スーパーバイザー」としての自我の能力であり、この能力は前頭連合野と結びついている。

 これらのことを踏まえれば、脳教育がどうあるべきか、脳をいかに育てるべきか、という問題に対する答えはほとんど自動的に導ける。

◆脳教育における基本

 私たちの知性とその脳内システムである(多重な知性の性質から見れは、知性をいかに育てるべきか。

  • ≪本書の主張点≫
  • 各々の知性をまんべんなく、そして幼少期から育てるべき、
  • 多重知性には少なくとも八つの知性と一つの超知性がある。
  • これらのうち、社会的知性と感情的知性、そして自我(スーパーバイザー)は従来あまり省みられてこなかった知性

言諮問的知性、絵画的知性、空間的知性、論理数学的知性、音楽的知性、身体運動的知性について

 これらの多重知性は、幼少期から意識的にそれなりの教育をするべきである。幼少期というのは、言うまでもなくO歳からである。そして、8歳まで、長くともせいぜい12歳ころまでがポイントとなる。

 幼児脳教育はO歳から、というと奇妙かもしれないが、脳のレベルでみればO歳での神経回路・シナプスの変化はドラスティックであり、脳教育の意義は大きい。

 ソニーの創設者の一人である井深大氏は『O歳 教育の最適時期』(ごま書房)という著書で、O歳児の教育がいかに大切であるかを説いている。これは的を射た意見だ。

 だが、あえて教育をしなくても赤ん坊は自発的にこれらの知性を伸ばそうとする。これは重要な点で、そもそも知性とは自発的に伸びるものだ。だから、「押し付け」はよくないことは言うまでもない。

 その上で、『単に自発性にまかせていればよい』というものではない。多重知性の各々をいかに伸ばすか、具体的な方法に定説はない。だが、原則的なことは言える。

『環境要因が重要』と言うことである。赤ん坊が自発的に知性を伸ばそうとしても、それに適切な環境がなければ伸びない。

 だから、押しつけでは無い、こちらからの働きかけも重要だ。働きかけは、重要な環境要因の一つなのだ。

 環境によっては、伸びる知性も満足に伸びないのである。よい例は言語的知性である。

言語的知性に関する『幼児教育』

 特別な教育をしなくても、子どもは自発的に母国語を理解し、話すようになる。その場合でも、環境要因は重要な働きとなる。
 母国語にさらされるという環境要因があるからこそ、子どもたちは母国語を理解し、話すようになる。この環境要因なくして言語的知性は発達しない。

 音楽的知性の、「適切な環境」

 音楽的知性を育てるには、良質な音楽をO歳児から、絶えず聞かせるといった環境が必要。楽器を演奏することも大切だ。このようにすればいわゆる「絶対音感」も獲得することができる。

 逆にいえば、絶対音階を得るためには、感受性期にきちんとした音楽的な訓練をほどこす必要があって、その後にいくら絶対音感を学習しようとしてもほとんど不可能

 ちなみに、聞かせる音楽としては、とくにモーツァルトやバッハなどのクラシックがよい。モーツァルトを聞かせるだけでIQが10ポイントも伸びると言われる。

 母親の子守り歌も大切、母親が子守り歌を聞かせることで、音痴になりにくくなることが分かっている。

絵画的知性の育成

 絵画的知性には、もちろん、ほんものの絵画に囲まれて育つ環境が必須である。幼児に絵画など分かるか、などとは言わないこと。
 赤ん坊でも良質の絵画に固まれれば、ピカソもモネも理解しその影響は脳内に刻まれる。

 描くことももちろん絵画的知性の発達には大切で、多彩な色を使って、自由に絵を描かせること。
 絵を描くのは、チンパンジーですら好むことで、幼児にとっても好ましく大切な行動である。

 描画に関しては、大きく広い紙(あるいは地面だってよい)と、そこそこの絵の具・クレヨンなどがあればよいので、用意する環境も簡単。
 さらに、描いた絵の内容によって、幼児の精神状態(脳状態)すら分かるので、この点からも描画には大きな意味がある。

空間的知性と論理数学的知性の育成

 積み木やロゴのようなものがよい。
 これらを様々に組みあわせて創意工夫しながらいろいろな立体物をつくるには、空間的知性がかなり強く必要とされるので、この知性はうまく鍛えられる。

 空間的知性と論理数学的知性は互いに並列した知性とはいえ、実は、かなり密接に関係している。

 赤ん坊には論理数学的知性の教育など不可能だと思っている方もいるかもしれないが、そんなことはない。

 空間的知性を伸ばすのに適切な教育・遊びは、論理数学的知性をも伸ばし得るのだ。

身体運動的知性の育成

 身体運動的知性を伸ばすポイントは、裸に近い状態で自由に運動をさせることだ。自由な身体運動を妨げる厚着などは論外である。
 裸足で野原や公園を歩かせることもとても大切で、身体運動に関係する脳領域が活発になる。「高い高い」と身体を持ち上げたり、逆さにしたり、適度に体を振り回すことも意味があり、身体運動的知性に重要な要素。とくに平衡感覚が発達する。

 かりにあるスポーツの優秀な選手に育てたいなら、幼少期において、そのスポーツの少なくとも基礎はきちんと教えるべきだ。

言語的知性の育成

 言語的知性をそれなりに発達させたければ、それなりの環境が必要だ。

 特別なことをしなくても、母国語にさらされるということだけで、幼児は母国語を理解し、話すようになる。

 英語などの外国語を習得させたいなら、やはり適切な環境が必要である。

 真のマルチリンガルに育てたいなら、幼少期に母国語の他に外国語の環境にさらすことが必須となる。もちろん、ネイティブの外国語環境である。
 英語なら、ネイティブ英語を話す人が身近にいることがベターだ。

 ちなみに、パイリンガルを含めたマルチリンガルには大きく二タイプある。
 「初期マルチリンガル」と「後期マルチリンガル」である。

 初期マルチリンガルは、「真の」マルチリンガルで、複数の言語のそれぞれをネイティブと同様に話し、理解する。
 後期マルチリンガルの場合は、母国語こそネイティブだが、他の言語はたとえいかに流暢に見えてもネイティブには絶対に及ばない。

 マルチリンガルに二タイプある理由は、初期マルチリンガルは言語的知性の感受性期、生後から8歳ころまでに、複数のネイティブ言語の環境に育ち習得した人だ。

 一方の後期マルチリンガルは、感受性期の後、つまり8歳をすぎてから、母国語以外の言語を習得した人なのである。

 言語的知性の感受性期に複数のネイティブ言語の環境にさらされない限り、真のマルチリンガルには決して育たない。

 英語の教育は、遅くとも幼稚園や保育園からはじめ、小学校低学年までに集中して教育する必要がある
 教える側はネイティブ英語を話す人にすべきなのだが、このような環境はなかなか難しい。
 YouTubeなどで代用するしか無いかもしれない。

ごく少ない例を除いて、こうした公教育はなされていない。

 多重知性の育成(まとめ)

 0歳から8歳までに、多重知性の各々を発達させる環境を用意し、しっかりと教育することが重要。

 幼少期こそ徹底的かつ体系的な教育を行なうべきであり、その方が教育効果ははるかに大きい
 脳内の神経団路自体が大きく変容し、その変容は生涯にわたって維持される。

「まんべんなく」か「ある分野の天才」か

 幼少期に集中して教育する、というのは決して外してはならない鉄則。しかし、「複数の知性をまんべんなく」というのは鉄則ではない。
 これは親の価値観による。別の言い方をすれば、親に選択が迫られる。

 どのような人間として育てたいか、育てるべきか、という価値観。
まんべんなく」よりもむしろ「ある特定の知性を集中的に」という方法もあり得る。

 少なくともその知性の発達に関しては大きな成果が期待できる。その知性は他の知性を圧倒して大きく伸びるはずだ。

 IQは、モーツァルトの音楽を十分間聞くだけで10ポイントも上昇することが実証されている。IQ偏重の英才教育に精を出すことは、この一点だけで無意味に等しい。

 親が陥ってはならない間違いの例としては、『多重知性理論からみれば、IQ偏重のみの英才教育は、IQで測定できない重要な知性を犠牲にする可能性がある』という点だ。

 多重知性の理論をきちんと押さえていない英才教育は、子どもたちの生涯にわたって深刻な影響を及ぼしかねない。

 しかし、「適切な英才教育」は大きな意味がある。

 意味があるどころか、むしろ積極的にどんどん進めるべき
 もしある子どもの特定の知性を伸ばしたいのであれば、適切な英才教育はむしろ必須である。

「適切な英才教育」をするための 注意点

子どもの得意とする知性の発見と、その遺伝性のチェック

 任意の知性を英才教育によって伸ばすことはできる。
 しかし、子どもたちにはそれぞれ得意とする知性があり、その知性こそが天才的なレベルまで高まるのだ。

 親や教師が、任意の知性を勝手に選んで英才教育をほどこすのではない。得意とする知性を自分で自然に発見しその知性を発達させるのだ。

 だから、得意とする知性を見つけることが何よりも大切。
 そして、多重知性の各々は60%ほど遺伝し、互いに関連が薄いので、ある子どもにとってもっとも得意とする知性が生まれながらにあることが多い。

「多い」というより、ごく特殊な例外をのぞけば、それが普通である。

親の得意なモノは何かを見て、伸ばす

 その知性をいち早く見つけ、幼児のころから英才教育をほどこせば、その知性は環境要因による影響により、豊かに発達することは疑いない。

 その知性を見つけるコツは、両親の知性を見ることだ。

 子どもを注意深く観察することだと思うしれないが、1~2歳の幼児では、その幼児が得意とする知性を見つけることは困難である。

 しかも、集中的な脳教育は早く始めれば始めるほどよい。そして、その期間は8歳ころまでだ。

 開始は0歳児からがベターであるが、O歳で「得意な知性」を見つけることなど不可能に近い。

 したがって、両親の多重知性の能力を見れば、どの知性が得意なのかを推定することができる。

 もちろん、両親のそれぞれが得意とする知性が異なっている可能性もある。父親が論理数学的知性を得意とし、母親が音楽的知性に優れているかもしれない。

 その場合は、とりあえず、両方の知性を育てるべく英才脳教育をほどこせばよい。

 自分たち夫婦の多重知性の能力をよく見れば、最も得意とする知性を見つけることはできるし、その知性こそが自分たちの子どもが最も得意とする知性であることが多い

 「英才教育」という感覚より、「個性を伸ばす」という感覚が近い。
 

子どもが熱中するモノは何かを見て、伸ばす 

 0歳児でも、よく観察していると、熱中することや喜ぶことがあることに気付く。その興味・関心を把握することもとても大切。

 熱中すること、あるいは、楽しく喜ぶことを見つけ、それをさせることも知性フレームを豊かに発達させるコツなのだ。

 多くの場合、自分が得意とする知性に関係することをすれば熱中し、楽しむ。

 このことが「教育の押し付け」がまずいことの大きな理由でもある。押し付けられたことなど、熱中しないし、楽しくもないではない。

 そもそも、「つまらないことをする」というのは、時間の無駄だけではない。脳を無駄にしてしまう。

 その本質上、脳は好きでもないことを学ぶようにはできていない。自分にとって好ましく意味のある情報をもっぱら処理するようにできており、それを通して知性フレームは発達する。

前頭連合野には「超知性」である自我フレームが存在する

 自我の役割の一つは、多重知性フレームのコントロールである。
 したがって、ある知性フレームにエネルギーを集中させる機能としての集中力も、自我の属性の一つだ。

 忘れてならないことがある。自発性である。
 自発性にまかせればよいというものではないが、それでも自発性の重要さは強調してもしすぎることはない。

 自発性とは、自分で自分の得意で好きな事柄を見つけ、それに集中する、ということ。

 好奇心を削ぐような言動・教育を極力抑える

 子どもが好奇心を発揮できる環境を積極的に用意してあげる。

 幼児は、遺伝的に強くもっている好奇心に任せて、いろいろなことに首を突っ込む。その中には一見危険なものがある。
 すると、親や教師たちは「危ないから」と止めさせようとする。あるいは、幼児は昆虫や蛇を含めたいろいろな動物に好奇心を発悟得する。その際にも「危ない、汚い、きらい」という理由で、その好奇心を抑える人もいる。

 こうしたことに関して思い当たるふしがあるだろうか。
 私が、小学校の要員をしていたころ、有る高級ブランドの服を毎日着てくる子がいた。ある日、その子の親から電話がきて、「服が汚れるので、外遊びをさせないでください」というのだ。

 汚れること、危険なことをさせたくない、という親心だろうが、結果的にそのお子さんは、「むごく育てられる」ことになる。

 申し訳ないが、このような親になっていただきたくない。
 好奇心にもとづく行動には、危険なこともあるし、自分たちの常識や好みでは容認できないものもあろう。
 しかし、その度に好奇心を抑えていては、別の事柄に関する好奇心も決して育たない。好奇心も脳の活動であり、「活動すればするほど発達する」「活動レベルが下がれば萎縮する」という原理によって、好奇心そのものが衰退してゆく。

 幼少期に好奇心をしっかり育てておかないと、大人になってからの好奇心も貧弱なままだ。 

好奇心を積極的に伸ばすにはどうしたらよいか?

 これにもまた「適切な環境」が必要となる。子どもが好奇心を発揮しようにも、発揮する事柄・行動がなければ、発揮しょうがない。
 だから、子どもを「豊かな環境」「多様な環境」に積極的にさらすことが大切になる。

 好奇心を育てる、というのは親や教師の好奇心や能力に大きく依存する。
 たとえば親が昆虫に興味をもっていれば、子どもは昆虫を見たりさわったりする機会・環境に恵まれる。

 絵画や楽器、あるいは星などの天文学等々も同様である。

 好奇心を育てるには、親や教師の実力が大きく問われる。
 豊かな好奇心を、自らがもっていない親に育てられなかったら、その子どももまた、豊かな好奇心を発達させることは難しい。

目的志向性を育てる

 自発性は多重知性フレームを豊かに発達させる上で重要であり、好奇心の育成は人類の「本性」から見ても大切だ。

 未来に向けた目的意識、未来志向性があれば、自発性はより確固たるものになる。体系立った努力も自発的に行なうようになる。

 好奇心は、自発性の駆動力・ベースとして重要である。しかし、自発性をさらに持続させるには好奇心だけでは不十分である。

 好奇心に育まれた自発性をさらに体系立て、将来へ向けて結実するには、未来志向性にもとづく努力が必須なのだ。

自発性のレベル

 自発性にもいくつかのレベルがある。好奇心はその原初的なレベルであり、他の晴乳類でも大抵はもっていて、「遊び」として現れる。

 次の、より高次なレベルが未来志向性・目的志向性であり、このレベルは人類に特有なものだ。

 では、どうすれば目的志向性をもつようになるのか?
 目的志向性が人類の特徴である限り、放っておいても目的をもっ可能性はある。

 目的志向性は、自発性の第二レベル。
 したがって、第一のレベルである好奇心によって、子どもに自分で自分の得意で好きな事柄を見つけさせ、それに集中させることが前提となる。

好奇心を育てる

 子どもが目的志向性をもつようにするには、親や教師は、幼児の「夢」を聞くクセを身につけ、いつも未来のために努力するよう導くことだ。

 幼児にとって「目的」は「夢」のようなものだ。好奇心を通して何かに興味をもち、熱中した結果、「画家になりたい」とか「科学者になりたい」「音楽家になりたい」といった目的を持つようになる。

 こうした目的をもつのは、人類の本性、自然のことだが、それを「パカ言ってんじゃない」などと安易に否定してはいけない。

 夢を語らせ、その夢のために少しでもがんばることを誉めてあげる。

 最初は小さな目的・夢でもよい。
 「こうしよう」「ああしたい」という短期的な目的・夢をもたせ、そのために努力するクセを身につけさせること。
 そして、その目的・夢を達成できた時は少し大げさでもよいから誉めてあげる。

 当たり前のことだが、このことにも認知脳科学的な理由がある。目的・夢をもち努力することも、もちろん脳の働きである。好奇心と同様に、自我フレームの働きの一つ。

 だから、「働くほど発達する」「幼少期に最もよく発達する」という原理が成り立つ。目的志向的に努力することも幼児脳教育の要であり、そのためにはやはり「適切な環境」が必要。

適切な環境とは、親や教師による温かい導き

 この場合の適切な環境とは、親や教師による温かい導きと、誉めることである。
 誉めることは多重な知性の発達にとって、とても大切。

 達成感もそうだ。怒られることや挫折感は、とくに幼少期ではたいへんまずい

 感情的に怒ることは避けねばならない。怒られるときに脳内に分泌される物質は知性フレームの発達にとってよくない。「幼児虐待」など論外である。生涯にわたって深刻な悪影響を脳内にもたらし続ける。

 目的・夢に向かって自発的に努力するクセがうまくつけば、あとは簡単である。
 大きな夢・目的をもつように導き、その大目的・夢に向けた中目的、小目的を段階的に設定して努力するようにしてあげればよい。もちろん、そのためには親や教師が具体的な目的とその達成のための筋道を示さねばならない。

 このことに関しても、親や教師の見識と実力が大きく問われることになることは言うまでもない。

英才教育を適切に進めるためのポイント

「基本+英才教育」が理想的な幼児脳教育になるといってよい。

◆英才教育のポイントはいくつかあるが、

  • まずは幼児の得意とする知性を見つけること。
  • 知性は遺伝するので、両親の得意とする知性が何かを押さえることで、見つけやすくなる。
  • 幼児の好奇心を育み、自分で自分の得意で好きな知性を見つけさせる。
  • そのためにも多様な環境が大切になる。

 その後に必要となるのは、目的志向性である。
 「大目的・夢」を自分で抱き、その夢に向けて自発的に努力すること。

 そして、その夢へ向けた小目的、中目的を設定してあげ、達成する度におおげさなくらいに誉めてあげる。

 

PQ教育こそが幼児脳教育の根幹

 社会的知性と感情的知性の複合体がPQである。
 そして、PQこそが「人間らしさ」をつくる。

 したがって、PQ(自我+社会的知性+感情的知性)を発達させることこそが、幼児脳教育の根幹になるといってよい。

それでも、PQは「人間らしさ」の源だ。

 PQのおかげで、数年先、数十年先を見越して、計画や展望、夢を抱くことができる。そして、その将来のために今の行動をコントロールできるのだ。これこそが、最も「人間らしい知性」である。

PQは、自発性・主体性の柱

  • 将来へ向けた計画・展望、夢。
  • 自主性・主体性、独創性、集中力。
  • 幸福感、達成感。

これらは全て、人間として生きる上で最も大切なこと

PQの感受性期

 PQに関係する前頭連合野でのシナプス数の変化は、生後増え続け、4~7歳がピーク。15歳で大人のレベルに近づく。

 PQを豊かに育てることこそが幼児脳教育の根幹になることはほとんど自明だ。PQを育むことこそが幼児脳教育の根幹であることは、強調してもしすぎることはない。

 PQは私たち人類にとって最も重要な知性群である。人間らしさや幸福感と深く結びついており、他の多重知性群を自主的・主体的に育む役割も担っている。

 PQも幼少期でもっともドラスティックかつ可塑的に変化するし、感受性期も幼少期にある。だから、幼少期にPQフさえうまく育てられれば、あとは放っておいても子ともたちは自分で自分を伸びやかに育んでゆくはずなのだ。

PQフレームを幼少期にいかに発達させたらよいか?

 「適切な環境」が重要である。
 PQも他の知性と同様に遺伝する。しかし、環境要因によってかなりの程度変容し得る。したがって、少なくとも0歳から8歳くらいまでの聞に「適切な環境」にさらすことによって、PQフレームは豊かに変容・発達することができる。

 適切な環境とは、何かと言えば、実は何と言うことはない「普通の環境」のことなのだ。

 音楽的知性や論理数学的知性のような、文明の誕生以降になってから必要性が増した知性とはわけが違う。もちろん、私たちの多重知性のそれぞれはかなり昔からそれなりの役割と意味をもっていたはずだが、PQほど進化的な基盤が強い知性は他にない。(例外として言語的知性)

「普通の環境」とは何か?

 人類は、歴史的に何万年もの間、同年齢、あるいは年齢的に離れた兄弟姉妹、いとこ、遊び仲間、おじさんやおばさん、おじいさんやおばあさんが多数身近にいる環境で生活してきた。
 もちろん、身近に日常的にである。こうした環境がPQにとって「普通の環境」であり続けてきたのだ。

 子どもは、「ガキ集団」の中で育つ。それが普通だった。近所の同年輩や多少年齢が離れた子ともたちがつくる数人から十人程度の集団。
 このような人間関係がPQにとっての「普通の環境」だ。

 子ともどうし、兄弟姉妹どうしの関係。おじおばとの、そして近隣の人たちとの関係。そして両親からの父性と母性をベースにした多様な関係。そういった豊かな社会関係に固まれることがPQにとっての「普通の環境」であり、こうした環境は進化的にみて数百万年以上にも及ぶほど起源が古い。
 PQフレームの感受性期の問、つまり、生後0歳から8歳くらいまでで、そういった環境に置かれなければ、生涯にわたってPQフレームは未熟のままであり続ける。

 大人になってから、どんな立派な本を読んだり、優れた人物や宗教にふれでもほとんど無駄である。
 表面的にはなんとかなったとしても、「脳内」という根本のところでは未熟のまま終わるのだ。

なぜ、現代社会は、荒廃した出来事が多いのか

 幼児教育はある人の生涯にわたって深い影響を及ぼし、大人になってからは容易に変容できない。
 その影響は単なる知的能力を超えて、人格や主体性などの人間性、のみならず幸福感にも及んでしまう。
 幼児教育が失敗したら、ほとんど取り返しがつかない。

 「社会的病状」のほとんどは「PQ教育の欠如」の結果であることは明らかだからだ。

 だから、私たちは、会津の「什」、薩摩の「郷」などの、「ガキ集団の復活」一歩進んだ「縦割り集団」の復活を目指さなければならない。

 全国の校長先生、教育長様方に、勇気をもって「日常的な縦割り集団活動」を、カリキュラムに位置付けてくれたら、日本が変わるように思える。

唾つけるな

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