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ペンディングトレインの結末は楳図かずおの「漂流教室」型か、山中伸弥教授の「子育て論」型か

ペンディングトレインから日本の教育論を考えてみた。
ペンディングトレインは、楳図かずおさんの「漂流教室?」昭和中期年代の人の何%かはそう感じたのでは?。現代に帰れない救いの無い物語になるのか、それとも救いは訪れるのか。バラバラの集団の中で、頑張る優斗や紗枝の行動から「山中伸弥先生の子育て論」が思い出された。ペンディングトレインと「良い人間、良い集団を育てるための日本の教育論。」について。

目次

ペンディングトレイン

金曜ドラマ『ペンディングトレイン―8時23分、明日君と』(TBSテレビ)が始まった。主演は各ドラマに引っ張りだこの「山田裕貴」さん、「上白石萌歌」さん、そして「赤楚衛二」さん。

何の変哲もないある日の朝、都心へ向かう「つくばエクスプレス」に乗り合わせる3人。途中で地震が発生し、どういうわけか、主人公たちが乗り合わせた電車の一両だけが、30年後の未来の世界にワープしてしまう。

そこは、文明から完全に遮断(ペンディングトレイン)された世界だった。飛ばされた車両には、100人以上の人が乗り合わせていた。

その人たちが、強制的にサバイバル生活を始めることになる。
この「隔離された異常世界で、人々はどう生き抜くことができるのか」

このあたりが、物語のテーマだろうか。

🔶物語の設定

山田裕貴さん扮する萱島直哉

山田裕貴さん扮する美容師の萱島直哉(かやしまなおや)は、表参道の美容室で働くカリスマ美容師という設定。
直哉は、罪を償い出所する実の弟に会うべきかどうか迷いながら、電車に乗っていた。

上白石萌歌さん扮する畑野紗枝

上白石萌歌さん扮する高校教師の畑野紗枝は、高校教師としての生き方を変えてくれた恩人である赤楚衛二さんを駅のホームで偶然見つけ、気付かれないように同じ車両に乗り込む。

赤楚衛二さん扮する白浜優斗

赤楚衛二さん扮する消防士の白浜優斗は、過去の火事の現場で自分の判断ミスから先輩消防士を半身不随にしてしまった経験をもつ。

その悲しい経験が、彼の生き方に影響を与える。
彼は、

「どんなに苦しくても、自分は先輩の分まで働く。」
「自分が、一人でも多くの人を助ける」

と先輩に誓う。

この経験が、

「明日また、やれるだけやってみよう」

と、自分自身に繰り返して語りかけ続けている言葉となっていた。

◈優斗のつぶやきが、紗枝を救う

優斗は、消火訓練のために紗枝の働く高校を訪れていた。
訓練を終えた優斗は、校庭から見えるところに表れた虹を見ながら呟く。

「明日また、やれるだけやってみよう」

この言葉を、たまたま聞いていた紗枝。
その頃紗枝は、高校教師として生徒とコミュニケーションが取れない自分の実態に悩んでいた。

そんなときに偶然聞いた優斗のつぶやきに、救われる。
そして、その後優斗の言葉は、紗枝の「座右の銘」となっていった。

明日また、やれるだけやってみよう

🔶物語の「テーマ」を暗示する三人の会話

突然訳の分からない場所に飛ばされた電車に乗り合わせた人々は、思い思いの行動を取り出す。

それらの人々に向かって、優斗が叫ぶ。

「戻って危険ですから。」「みんなで計画して行動を!」

人々は、優斗の言葉に耳を傾けない。
それを見て、直哉が言う。

「いいだろうもう。」
「好きにさせろよ。」
「自己責任だよ。」
「そりゃ理性も飛ぶよ。」
「死にたきゃ死ねばいいし、他人の命をあんたが背負う必要はないだろう。」

直哉は、弟と二人で育った。
幼い弟を大変に良く面倒を見、弟は大きくなった。
だが、青年期を迎えた弟はグレて大きな犯罪を犯し、留置されることになる。

罪を犯し警察に捕まる弟を見て、直哉は無力感に襲われただろう。
そして、心にもない言葉が脳裏をよぎったはずだ。

「死にたきゃ死ね。お前の命を俺が背負う必要なんてない。」
そう言いながら、自分を責めた・・。
直哉の過去のトラウマが、優斗や紗枝との会話の裏にある。

直哉の言葉を聞いた優斗は、直哉に言う。

「それでも背負うんだよ。約束したから先輩と」
「俺はあきらめない。必ず皆を助ける。」

直哉は突然立ち上がり、優斗の袖口をつかみ、鋭い顔つきで優斗をにらむ。

「助ける、あんたが、皆を、一人でか。」
「思いあがんなよ。」
「世の中そんな、甘くねえよ。」

そして、悲しそうに呟く。

「助けられないよ、だれも。」

弟を救えなかった過去、誰も自分たちを助けてくれなかった過去が、直哉にこの言葉を言わせたのだろう。

そのとき、紗枝が言う。

「私は助けられました。」
「学校で、白浜さんに会って」
「(白浜さんの言葉を聞いた)その日から、生徒に声かけてます。『おはよう』って。」
「ガン無視されてるけど。」
「やれるだけ、やってみようって」

「やっぱり帰りたい。戻って学校で『おはよう』って言いたい。戻りましょうよ、みんなで。」

紗枝のこの言葉が、この物語のテーマだろう。

ペンディングトレインの人々は、戻れるのか。
戻れるとしたら、この人たちに、どういう条件が必要なのか。

楳図かずおの「漂流教室」との類似性

この物語の構図から、楳図かずおさんの「漂流教室」を思い出した人もいるだろう。

相当古い漫画で、子ども時代に読んだときは、「怖い」という印象をもった。
設定としては、ペンディングトレインと同じように、小学校が荒廃した未来に飛ばされるという設定。

そこで、サバイバル生活が始まる。子ども向けの漫画(だと思う)なのだが、サバイバル生活の中で、小学生がバンバン死んでいく。

小学生たちと一緒に飛ばされたオトナの方が現実対応能力が低く、狂った先生に小学生たちが多数殺される。
オイオイ、と思ったものだ。
その他、怪物に殺されたり、虫に殺されたり、とにかく死ぬ。
さらに、漂流教室では、
飛ばされた人たちは、誰一人現在の世界に帰ってくることはできない。

救いが無い。
無法状態の暴力。人々の狂気。人間の浅ましさがこれでもかと描かれる。

ペンディングトレインの直哉の台詞からは、「漂流教室」の「人間は信じられない」「誰も助けてくれない」「勝手に死ねばよい」という思いも、読み取れなくは無い。

では、ペンディングトレインの物語世界は、漂流教室化していくのだろうか。
おそらく、そうはならないだろう。
直哉は内心は弟思いで、心優しい。
直哉の表面的な「人間は信じられない」「誰も助けてくれない」「勝手に死ねばよい」という言葉は、優斗や紗枝との関わりの中で変わっていくのだろう。

では、どうすれば人は変わるのか。集団は変わるのか。

突飛かもしれないが、ヒントは、IP細胞でノーベル賞を取った山中伸弥先生の「山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る」の中にある気がする。

苦しい時に「助けて」と言える人間

山中伸弥先生の「子育て論」に救いを求めたい

集団が極限状態の時

「自分の好きなように行動すれば良い」
「誰も助けてくれないのが当たり前」

という集団秩序だと、その集団は遅からず消滅する。

もしかしたら、力の強いものは一時は生き残れるかもしれないが、自分がトップの状態を維持し続けるのは、ほぼ不可能。

では、集団として生き残るにはどうすれば良いか。
そのヒントが山中伸弥先生の著書、「山中教授、同級生の小児脳歌学者と子育てを語る」の中にある。

○乗り越える力
・自己肯定感
・社会性
・ソーシャルサポート

○自立するとは、どういうことか。
・「助けて」と言えるチームは強い。
・ピンチのときに真価が問われる。
○職業や学歴より「人」が大事
・「ええかっこしい」を止める。

🔶勝手に動き回った 高校生は直哉が落ちそうになった崖から転落?

先が見えないとき、人は「自分だけは生き残りたい」「自分だけ食べたい。飲みたい。良い思いをしたい。」と考えるのは当然。

しかし、こういうふうに行動すると、当然漂流教室のようになる。ペンディングトレインでも、おそらく自分勝手に行動し始めた高校生は、直哉が転落しそうになった崖から、すでに落ちてしまっている。
「漂流教室」のような、死を予感させる。

ペンディングトレインの世界でも、「協力」出来なければ、滅ぶ。

🔶山中伸弥教授は、どのように育てられたか

山中伸弥教授

ノーベル博士の山中先生は、「ほったらかされていた」という。そして、この子ども時代の親からのほったらかしは、先生のところで働く多くの研究者に共通しているのだという。

「ほったらかし」は悪いことではなく、「子どもを伸ばす」と言い切る。
子ども時代、両親が仕事で忙しく、家では一人で過ごす時間が長かったそうだ。必然的に、自分の事は自分でする。自分で考えて行動するという自主性が育ったと。

先生の親の口癖は「何でも自分でしなさい」だった。「親はとてもしっかり見守ってくれてるのだが、いいかたちで手を放し、仕事の忙しさはもちろんあったろうが親子の距離感が絶妙だった」、と自身の子ども時代を振り返っている。

良い意味での「ほったらかし」は、子育てにも、当然に社会人となった後の人間関係でも重要と言うことだ。だが、単なるほったらかしは、自主性も育てるが、わがままも育てる。

🔶人に(親に)本音を言えない子どもが山のようにいる

一人で弟の面倒を見る直哉

社会には、家族の仲が悪い家庭もたくさんある。そして、そういう家庭に育った子どもの中には、自分の本音を人に出せない子どもがたくさんいる。

特に、親に自分の本音を言えない。
子どもは親が好きなのだ。
困った親でも、好きな親に、「自分が困っているという本音を言えない。」

そういう育ちをしてしまった子どもは、「自己肯定感」が大抵低い。悲しいことに、子どもの時に「自己肯定感」が低いと、大人になってから自己肯定感を高めることは大変に難しくなる。

そうならないように、「教育的な介入支援」が大切だと言う。
乗り越える力(レジエンス)」を育てることが、「介入支援」としての子育てのポイントだと。

乗り越える力(レジエンス)

🔶乗り越える力(レジエンス)とは

ペンディングトレインの世界観では、まさに「乗り越える力」が問われる。
では、「乗り越える力」とは何か。

「自己肯定感」
「社会性」
「ソーシャルサポート」

の3つのパーツからなる力だという。

「自己肯定感」や「社会性」は使い慣れている言葉だ。
だが、「ソーシャルサポート」という言葉は聞き慣れない。

「ソーシャルサポート」とは、
「周りから助けられている」、ということを『実感する力』。
「おかげさま」と『思える力』。

問題のある人は、おしなべて、「ソーシャルサポート」の力が低いという。

「自己肯定感」は、訓練してもなかなか向上しない。
だが、「乗り越える力」の3つのうち、どれか一つでも伸びると、相対的に他も向上する傾向が見られる。
そのためにも、「ソーシャルサポート」を伸ばす介入支援(働きかけ)が必要。

🔶必要な「自立」 【「自立」とはどういうことか】

自分で考えて、自分で行動する力は重要だ。

ところで、「自立」とは何だろうか。
多くの親が子育てで、子どもに望む自立とは、

自分でお金を稼いで、家賃を払い、自力で生活できることが自立

と考える。

だが、この本で山中先生たちが指摘する「自立」は

自分ができないことをちゃんと理解して、誰かに『助けて』って言えること

だという。

人間、出来ないことはある。
いつでも、心も体も万全などという人間はいない。
心が弱っているとき、体が弱っているときもある。

そんなとき、
「助けて」と言えることが自立なのだ、と。

ペンディングトレインの劇中で、直哉が優斗に言った、

「助ける、あんたが、皆を、一人でか。」
「思いあがんなよ。」
「世の中そんな、甘くねえよ。」

という台詞は意味がある。

熱血漢の優斗も、「自分だけで何とかしよう」とするだけだったら、必ず潰れる。
一人の無力を知っている直哉に、紗枝に、そして運命を共にする乗客たちに理解してもらえなければ、結果は漂流教室になる。

「助けて」が言えるチームは強い

アメリカンフットボールには、大きく分けるとフォワードとバックスという2グループがある。
試合で劣勢になると、互いのグループは仲が悪くなり「負けているのは、そっちのせいだ」という感じになりがちだ。

だが、勝ってくると、互いに仲が良くなる。
仲が良くなると、助け合いが始まり、さらによくなる。

人も、組織もピンチの時に真価が問われる。
うまくいかないときに、どうやってフォローし合えるか。

素直に「助けて」と言える感覚こそ、大事。
こここそが、「チーム」の分かれ目となる。

だから、コミュニケーションが大切になる。
コミュニケーションを取ることが苦手な人がチーム内にいたとしたら、周りがどうカバーできるか、心を開かせてあげるか。

面倒だとか、照れくさいとか言われてもスルーしてコミュニケーションをとり続ける。

🔶職種や学歴より「人」が大事

「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるような人に育てる。

私事で恐縮だが、3歳になる娘を育てている長男の嫁が、常々そう言っていることに感心している。

学歴重視の教育ママになるより、「医者になれ、研究者になれ」という職種優先ママより、「人」が大事、と教育する若き母である嫁に感謝したい。

願わくば、ペンディングトレインのストーリーも、最終的に「人」を大切にする組織として、現在へ無事帰ることが出来るエンディングを望む。

優斗の言葉を聞き、戻ることを決めた女子高生

優斗の

「おい、行くな。ここで、やれるだけやってみよう。」

という言葉が、未来につながりますように。

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