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大河ドラマ「光る君へ」の背景:平安時代の宮廷日記が描く道長と紫式部

平安時代の貴族社会はなんとも豪華絢爛(ごうかけんらん)!
日記って言っても、まさに古代のInstagramといっても過言じゃないかもしれない。貴族たちって、食事の写真をアップするんじゃなくて、月明かりの下で和歌を詠んだり、季節の移ろいを詩的に表現したりしてたんだって!政務や儀式の詳細な記録から、感情や人間関係まで、平安時代の宮廷日記はまさに一大エンターテインメントだったようだね。

平安時代の代表的な日記としては、藤原道長の「御堂関白記」や藤原行成の「権記」、藤原実資の「小右記」などが挙げられるかな。これらの日記は、当時の社会や文化、政治の状況を今日に伝える貴重な史料としてチョー重要。
この日記の中には、「光る君へ」とはちょっと違う道長と紫式部の真実が書かれているよ。
さて、どんな内容かな。

目次

平安時代の代表的な日記って、何!

道長(NHK「光る君へ」より)

ここで上げる平安時代日記とは、藤原道長の「御堂関白記」、藤原行成の「権記」、藤原実資の「小右記」などを指すよ。

これらの日記から、当時の社会や文化、政治の状況を読み解くことができるんだ。
「光る君へ」も面白いけど、リアルな道長と紫式部との関係がある程度分かるのも、これらの日記が現在まで残っていたおかげ。

日記に描かれた、道長と紫式部

道長と紫式部の縁ってマジ神秘的?!

あれやこれやに想いを馳せてみると、藤原道長と、『源氏物語』の生みの親紫式部って、ビリビリな関係なんだよね。道長の気持ちをチラ見すれば、彼の『源氏物語』に捧げる愛がビンビン伝わってくるって!

え、紙や筆、墨まで提供してるってマジ?硯までって余裕すぎじゃない!?(笑)さて、道長の紫式部への「思い」はホント気になっちゃうなぁ。
さて日記には、どんな内容が書かれているのか、ワクワクするね♪

藤原実資「小右記」を書く(NHK「光る君へ」より)

道長の献身、『源氏物語』への本気度がスゴい!

「道長、お前凄すぎ!」てなるわけよ!

『源氏物語』にガチで尽くしてる姿勢、マジ感動モンだって!
そう、紙や筆、墨だけじゃなくて硯まで提供しちゃうんだから、さすがは道長っつーところかしら。

紫式部にはチョ~頑張ってもらって、エンタメ楽しませてもらおっかなぁ。紫式部ちゃんの「源氏物語」読むのワクワクしてきたぞ!

道長の紫式部に対する気持ちって、そういう気持ちだったようなんだよ。

もう、道長と紫式部ってコンビが最強じゃん!?

道長ってさ、なんかすごい熱い男だよね。紙や筆から硯まで提供するって、まじで紫式部ちゃん、「あれ、渡しのこと好きなの?」と感じちゃってたかも。
光源氏もビックリの献身ぶり。

大天才の紫式部でも、「源氏物語」を書き上げるのは大変なことだったと思うワケよ。
けど、道長のサポートがあるなら、「きっと素敵な作品が生まれるに違いない!」って、思ってたかな。

がんばる紫式部ちゃんの作品を読んで、
「もう期待が膨らむ!新展開楽しみだな~♪」
と、作品に恋い焦がれる道長が、なんか可愛い感じ。

藤原行成「権記」を書く(NHK「光る君へ」より)

権力者としての道長の日々

道長、実はそこらへんの権力者じゃなかったんだよ。感情豊かすぎて、普段から公的な行事やプライベートな集まりでハッスルしてたんだ。射儀ではうっとりして詩を詠んで、「悦気は甚だ深い」とか言って感動のあまり、さすがの道長も涙拭いちゃってたらしいんだ。まさかの感傷家じゃん!

貴族のエピソードとして、射儀での感動エピソード以外にも、道長のちょっとした日常トピックスをのぞいてみようかな。

道長の日常:射儀の巧技に感激

平安時代の宮廷文化は、豊かで華やか。
宮廷貴族たちは贅沢な雰囲気の中で日々を過ごしているって感じかな。

藤原道長は、公的な行事や私的な集まりに積極的に参加し、宮廷社会で活発な役割を果たしていたんだって。
ある日、土御門第で行われた射儀で道長は詩詠みに感激し、「悦気は甚だ深い」と感嘆したと伝えられているんだ。

射儀の巧技に触発された道長は、満座の涙を拭いながら感激し、引出物を下賜すると騒動から一転して作文会や宴飲が行われたんだって。

射儀というのは、平安時代の貴族たちが日記の記録から読み解くと、狩猟のようなもので、矢の的を射る技術を競うゲームってところかな。

まるで古代版”アーチェリー大会”。
今で言うところの”狩猟ゲーム”のような楽しさが詰まった、それでも歴とした公的行事。

平安貴族たちは、射儀を通して自分たちの腕前を誇示したり、的に正確に矢を射ることで勇壮な姿を表現していたわけだね。

この射儀の”的”の裏側には、目に見えない政治情勢やスキャンダルなどが隠れていて、現実の矢と同時に空想の矢を射ちまくるジェジェジェな文化が息づいていたわけ。

紫式部の日常:怪奇な出来事と文学的創作

紫式部も日記を書くことが習慣となっていたわけよ。
何と言っても文才がある彼女、身の回りの出来事を詳細に記録していたんだねえ。

ある日、紫式部は「御物怪がくやしがってわめきたてる声などの何と気味悪いことよ」という状況下で、彰子の産気が起こった際に、隣の部屋で控えながら、産養の過程を細かく記録しちゃっているんだ。

その後も、九日間にわたる産養の様子を詳細に日記に残し、彰子のために『楽府』や『新楽府』の作成にも取り組んでいたことを書き残しているんだね。

紫式部と道長の関係

紫式部と道長の関係は、歴史的な謎めいた蜃気楼のようで、まるで宮廷日記のなかで逢瀬を重ねる月と雲のように交錯していたんだ。

紫式部が『源氏物語』の創作に取り組むきっかけは、道長からの依頼だったと言われているんだけど、それが純粋な文学支援か、それとも心の底に秘めた恋の予感があったのか、その真相は宮廷の深淵に消えてしまって今となってはわからないんだね。

だから「光る君へ」では、脚本家大石さんが腕を振るえるわけ。

源氏物語の完成にかかわる二人の関係

『源氏物語』の完成において、紫式部と道長の関係は文学と支援と微妙なバランスで絡み合っていたことは事実。

実際に、道長は『源氏物語』の書写や冊子作りにおいて多大な支援を行い、紙から硯まで提供したことが記録されているんだね。

この支援の裏には、単なる文学愛だけでなく、何かしらの感情の機微が漂っていたのかもしれない。

「光る君へ」の脚本家だけでなく、多くの人が「本当はどうだったのだろう」と隠されたストーリーを紐解いてみたくなるよね。

紫式部の創作活動に対する道長の思いは、『源氏物語』のページに注がれた墨のように深く、時には愛情という色彩も交えられていたのかもしれない、と。

二人は恋愛関係にあったのか?

恋愛という幻想の花園に絡まる紫式部と道長の姿が目に浮かぶかもしれませんが、実際の史実からは恋人関係という結びつきは見つかっていないんだ。

「光る君へ」で描かれるようなピュアな恋愛関係というよりは、むしろ文学や文化への支援と興味の珠玉が二人を結びつけていた…、そういう感じかな。

紫式部と道長の関係は、心の隙間に芽生えた愛よりも、文学と文化の庭に広がる興味と支援の縁で結ばれた、宮廷文化の秘密の薫りを放っていたようですね。

結び

平安時代の宮廷日記から見えてくる道長や紫式部の人間模様は、これはこれで、「光る君へ」に劣らない現実の時代劇。貴族社会の華やかさと複雑さ、それぞれの人物の心情や日常生活に触れると、平安時代のエンターテインメントを味わえるんだね。

「道長と紫式部は恋愛関係にあったのか」という疑問をもって、歴史を旅する気分で古代の日本にタイムスリップするのもよし、です。
結果として、「二人が恋愛関係にあったという事実は見つからなかった」としても、それはそれでまた楽しい。

代わりに、道長が紫式部をゴッツー援助していたことが分かって、これはこれでまた楽しいわけ。
大河ドラマ「光る君へ」以上に、ワクワクさせられる。
「源氏物語」もすごいけど、平安時代の日記文学も、偉大だねー。

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