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維新の源流としての水戸学NO9(弘道館記を書いたのは誰か)

目次

はじめに

 社会科教師OBの尚爺と申します。

 「水戸学ってどんな学問」をハテナとして、
 水戸学について考えてきました。今回は第9回目となります。

 水戸学とはどんな学問かを端的に示す「弘道館記」に、どのようなことが書かれているかを読み進めます。

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 本日も、『西尾幹二先生の「GHQ焚書図書開封11 維新の源流としての水戸学」(徳間書店)』を読み進めます。

 

徳川斉昭 (模写)

GHQ焚書図書開封11: 維新の源流としての水戸学

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弘道館記①
弘道館記②

弘道館記について

 弘道館は、水戸藩の藩校です。弘道館の他に有名な藩校としては、米沢藩の興譲館(こうじょうかん)、会津藩の日新館、岡山藩の閑谷学校、萩藩の明倫館などがあります。

 弘道館は、一番最初に出来た藩校ということでも、藩校の中で一番大きかったと言うわけでもありません。
 弘道館は、水戸学の中心だったという理由で全国で有名になった藩校です。

 このブログは、「水戸学とはどんな学問なのか」をハテナとして追究してきましたが、そのハテナの謎を解くためには、「弘道館記」について知る必要があります。

弘道館記を書いたのは誰か

 弘道館記は、第九代藩主徳川斉昭が水戸学の中心となる思想を口述し、それを藤田東湖が、漢文で整理してまとめたとされています。
 全文で491文字の文章です。

弘道館記 読み下し文と 現代語解釈 

 弘道とは何ぞ。人、よく道をひろむるなり。道とは何ぞ。天地の大経(園地に備わっている大いなる道)にして、生民(人民)の須臾(片時)も離るべからざるものなり。弘道の館は、何のために設けたるや。うやうやしくおもんみるに、上古(古代)、神聖(神話の神々)、極(究極の規準)を立て統をたれたまひて(子孫につたえてきたため)、天地位(くらい)し、万物育す。その六合(国内)に照臨し、宇内(天下)を統御したまひし所以のもの、未だかつてこの道にあらずんばあらざるなり。宝祚(天皇の位)、これをもって無窮、国体、これをもって尊厳、蒼生(人民)これをもって安寧、蛮夷戎狄、これをもって率服す(服従する)。しかも、聖子神孫(歴代の天皇)なほあへて自から足れりとせず、人に取りてもって善をなすことを楽しみたまう。

  ここまでをまとめると以下のようになります。

 弘道とは何かと言えば、道を広めることだ。では、道とは何かと言えば、天地に自然に備わっている大いなる原理のようなものであり、人々は片時もそれを離れることはできない。ではさらに、何のために弘道館をつくったかといえば、古代から悠久に続く道を伝えるためである。神話の神々は究極の基準を立て、それを歴代の天皇に伝えてきた。そのため、天地の位置も定まり、万物も生育してきた。したがって、天皇が国を治めるときもこの道によるほかはない。天皇の位はきわまるところを知らず、国の形も定まり、尊厳は守られ、人々も安らかに暮らすことができ、夷狄も我が国に服従してきたのだ。だが、歴代天皇はそれに決して満足することなく、他人の長所を取ってさらに善をなすのである。

・「他人の長所を取ってさらに善をなす」

 この部分が、神道に儒学を取り入れることを意味しているのだと思います。この点で、水戸学は、「神儒のよいとこどり」ということになるのでしょう。

 しかし、この思想があるのなら、どうして攘夷ではなく、「外国のよいところは取り入れる」という発想にならなかったのでしょうか。

 この点は疑問です。

 外国のよい点を取り入れるより、上位にある「皇室が外国から脅かされる」という危機感の方が上回っていたということでしょうか。

では、その人から取る善」、「他人の長所」とは何か。
 すなはち西土唐虞三代治教のごときは、とりて以て皇猷(世を治めるはかりごと)をたすけたまへり。ここにおいて、この道いよいよ大に、いよいよ明らかにして、またくわふるなし、とあります。

・西土とは、中国のこと

・唐虞とは、古代中国の皇帝『堯』と『舜』のこと

・三代とは、古代中国の『夏』『殷』『周』のこと

・治教とは、政治のこと 

(つまり)歴代天皇は中国のすぐれた皇帝やすぐれた政治を採用して、世を治めるためにそれを使った。そのおかげで、道はますます大きく、ますます明らかになった、ということですね。

 ・この点が、水戸学と国学者との違いですね。

 水戸学は、儒学のよいところを取り入れると言い切っています。しかし、国学者はまさにこの点「西土唐虞三代治教のごときは、とりて以て皇猷(世を治めるはかりごと)をたすけたまへり。」を批判します。

 儒学は「徳」の思想です。例えば「徳をもつ『舜』に王の『堯』が自分の国を与えます。『禅譲』です。儒学ではそれを美談としています。
 しかし「徳がある人なら、国を譲ると言われたら国を譲られてもよいのか」という大ハテナに対しては、水戸学も国学も否定します。

 ただし、水戸学は「儒教の悪いところは取り入れず、よいところのみ取り入れる」のに対し、国学は、「一切否定、儒教そのものを否定します」
 本居宣長の国学によって、日本のアイデンティティーが発揚されたようです。

中世以降(仏教伝来以降)、異端邪説、民を誣(ひ)し世を惑わし、俗儒曲学、これをすてて彼に従ひ、皇化陵夷し(天皇の徳化が衰退し)、禍乱相つぎ、大道の世にあきらかならざるや、けだしまた久し。

 ところが、我が国に仏教が伝来して以降というもの、仏教を代表とする異端の説が世の人々を惑わし、俗物の儒者やいかさま学者が日本を忘れて中国に追従したため、天皇の権威は低下し、いろいろ悪いことが続き、道が見えなくなってから思うにずいぶん長くなってしまった。

・これが分かりません。
 なぜ、水戸学は「仏教のよいところは取り入れる」と言わなかったのでしょう。

・本地垂迹という思想があります。
 「神は仏の仮の姿」という解釈です。

 現役教員の時も、「なぜ本地垂迹なのか」疑問に思っていました。

 神国日本であるなら、「仏が神の仮の姿」と、解釈されるべきだったのではないでしょうか。この点を指して弘道館記は仏教を「仏教伝来以来の異端邪説」と言ったのでしょうか。

我が東照宮(徳川家康のこと)、撥乱反正(はつらんはんせい・乱を収めて正道に返す)、尊皇攘夷、まことに武、まことに文、もって太平の基をひらきたまう。わが祖威公(水戸初代藩主徳川頼房)、実は封を東土(常陸の国すなわち茨城県)に受け、つとに(早くから)日本武尊の人となりを慕ひ、神道を尊び、武備を繕む(軍備を整えた)。義公(二代水戸光圀)、継述し(それを受け継ぎ)、かつて感を夷斉に発し、さらに儒教をとうとび、倫(人の道)を明らかにし、名を正し(大義名分)もって、国家に藩屏(守り手)たり。

・夷斉とは、伯夷と叔斉の略語

  伯夷と叔斉は、お互いに主君の座を譲り合い、「どんな悪い主君であろうとも、
 君主を倒すことは許されない」と考えて餓死した兄弟のこと。

道が失われて久しかったが、家康公が乱世を収め、世を正道に返した。家康は皇室を尊び、夷狄を追い払い、文武両道の道を開いた。そのとき、「威公」すなわち徳川頼房は水戸に封じられ初代藩主となり、前々からヤマトタケルを慕っていたので、神道を重視し、そして武備も整えた。次の藩主水戸光圀は若いとき伯夷・叔斉に感激したので、儒教を尊び、『大日本史』の編纂を推進し、君臣の名分を正し、皇室の守り手となった。

 ・倫を明らかにし、とは「大日本史編纂」を指してます。

 

爾来(それ以来)百数十年、世、遺緒(ご遺業)を承け、恩沢に沐浴し(その恩恵を受けて)、もって今日にいたれり。すなはちいやしくも臣子たる者は、あにこの道を推し弘め、先徳(威公や義公の美徳)を発揚するゆえんを思わざるべけんや。これすなわち館(弘道館)の、為に設けられしゆえんなり。そもそも、かの健御雷神を祀るものは何ぞ。

光圀公から百数十年、代々、その恩恵を受けてきた。よって、われわれは威公や義公の美徳を忘れてはならない。それゆえに、この弘道館を建てたのである。では、弘道館が健御雷神を祀っているのはなぜか。

その(健御雷神が)、天功(天照大神の仕事)を草昧(世の始め、すなわち神代)にたすけ、威霊をこの土に留めたまへる(その健御雷神を祀っているのが常陸の鹿島神宮である)をもって、その初めをたずね、その本に報い、民をしてこの道のよりて来たるところを知らしめんと欲すなり。

弘道館が健御雷神を祀るわけは、神の時代の昔、この神が出雲の国譲りに活躍したからだ。そして、その健御雷神はこの常陸の国の鹿島神宮の主神である。それをしらせようと、この神を祀っているのである。

その孔子廟を営むのは何ぞ(弘道館に孔子廟をつくったのはなぜか)。唐虞三代の道(前に出てきた中国の理想的政治の道)、ここに折衷する(孔子が総合した)をもって、その徳を欽し、その教えを資り(とり)、人をしてこの道のますます大にしてかつ明らかなるゆえんの、偶然ならざるを知らしめんと欲するなり。

館内に孔子廟があるのは、中国の理想の政治を総合・体現しているのが孔子だからだ。我が国はその長所を採用し、発展したことも知らせようとして、孔子を祀っているのである。

嗚呼、我が国中の土民(藩内の武士や庶民)、夙夜解(しゅくやおこたらず・日夜怠ること無く)、この館(弘道館)に出入りし、神州の道を奉じ、西土(中国)の教を資り(とり)、忠孝二无く(なく)文武岐れず(わかれず)学問・事業、その効を殊にせず(ことにせず・学問と実社会での活動はその効用をことにするものではない)、神を敬ひ、儒をとうとび、偏党(どちらかに偏ること)あるなく、衆思(しゅうし)を集め群力を宣べ(のべ)、(みんなの考えを一つにし、力を合わせ)、もって国家無窮の恩に報いなば、すなはちあにただに祖宗(威公および義公)の志、落ちざるのみならんや、神皇(神々と歴代の天皇)在天の霊も、まさに降鑑したまはんとす(天が見守ってくださるであろう)。
 この館を設けて、もってその治教(ちきょう)を統ぶる(すぶる)者は誰ぞ(たれぞ)。権中納言従三位源朝臣斉昭(ごんちゅうなごんじゅさんみみなもとのあそんなりあき)なり。

 我が国の武士や庶民、日夜怠ること無く、弘道館に通い、神国日本の道を根本に掲げ、中国の儒教のよいところを取り入れ、忠と孝は一つであり、文と武は二つに分かれてはならず、学問と実社会の活動とは、その効力を別のものとせず、神を敬い儒教を尊んで一方に偏らず、多くの人々の考えを集めてその力を発揮させ、それによって国家の限りない恩に報いることができるならば、水戸藩の始祖と二代である威公・義公の高い志が衰えないばかりか、天上の神々や歴代天皇の霊もこれをよいとしてご覧になるでしょう。
 この弘道館をつくって、その政治と教育を統率する者はだれでしょうか。
 それは、権中納言従三位源朝臣斉昭です。

終わりに

 弘道館記は、水戸学が神道と儒学のよいところを取り入れて総合して創り上げたと語っています。

 なぜ儒教はよしとし、仏教は排斥したのでしょう。このあたりのことは疑問として残ります。次回の「弘道館記述義」を読めばそのハテナに迫れるかも知れません。

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