「お父さんもおばあさまも、私のことなんか忘れてると思ってたから」――環の声を聞いた瞬間、胸が詰まりました。
『風、薫る』第118話で亀吉が環に渡したのは、祖母・貞が孫の幸せを願って書いた手紙です。文字はたどたどしい。それでも封筒には「たまき」とあり、手紙は「しあわせになることをいのっておりまする」と結ばれていた。環が忘れられたと思っていた家族の時間は、そこでまだ息をしていました。
亀吉の過去の行動が消えたわけではない。けれど、貞の手紙を手渡された環が、父に「なぜお母さんと別れたの」と聞けた。その一歩が、この回のいちばん大きな出来事だった‥。

『風、薫る』全体の物語や、明治の看護という時代背景を重ねると、環が迷う場所も見えやすくなります。
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この記事のポイント
Q1. 『風、薫る』118話で亀吉が環に渡した手紙は誰のもの?
『風、薫る』第118話で亀吉が環に渡したのは、祖母・貞が書いた手紙です。文字を十分に知らない貞が孫の名を書き、幸せを願って残した一通で、環は忘れられていなかった祖母の思いを受け取りました。
Q2. 亀吉は環に何を謝った?
亀吉は環に、女学校へ行くことに反対した過去を語り、「情けねえ父親で悪かったな」と言いました。亀吉の過去の行動が消えるわけではありませんが、娘の前で自分の情けなさを隠さなかった場面でした。
Q3. 環は看護婦になるの?
『風、薫る』第118話の環は、看護婦になるかどうかをまだ決めていません。環は進路への迷いを「少しだけ」と口にし、団子屋で絵を描いた後、シマケンに悩みを話すため置き手紙を残して出かけました。
前日の通路では、亀吉も環も簡単に言葉を出せませんでした。その沈黙があったから、第118話で環が父の前に座った重みが増します。
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父と娘が通路で交わした沈黙から、第118話の対話へ至る流れをたどれます。
「願う」だけで環を救った

貞の手紙を読んだ環は、父に対して何を思ったでしょうか。
忘れられたと思っていた自分を、祖母がずっと心に置いていたと知ったことだけは間違いないこと‥。
たどたどしい文字に残った祖母の時間
封筒には「たまき」。手紙の結びには、「しあわせになることをいのっておりまする」。
寝たきりになった貞が、環のことを思い出し、文字も十分に書けない中で手紙を残した。きれいな字ではない。達筆な文章でもない。でも、なおじには、その不格好さこそがたまりませんでした。
どうしても孫に届けたかった。だから書いた。
「たまき」と一文字ずつ書く間、貞は環の顔を思い出していたはず‥。
小さな子どもだった頃の環を、膝にのせた時間を、ふいに手繰り寄せていたのかもしれません。
環は手紙を受け取り、初めて祖母の言葉に触れました。手紙を読んで泣く環の姿に、貞の思いが何年も遅れて届いたのだと感じました。
小魚の佃煮の記憶と重なる愛情

貞といえば、小魚の佃煮の記憶‥。
大きな出来事ではない。けれど、家族を思い出すのは、意外にこういう味や匂いです。
小魚の佃煮を口にしたときの記憶と、手紙の「たまき」が重なった。環にとって祖母・貞は、昔の話の中にいる人ではなくなったのでしょう。食卓の向こうにいた祖母が、今度は文字になって環の目の前へ戻ってきた。
祖母の膝
小さな息の
風車
祖母の愛は、立派な言葉で届くとは限りません。少し曲がった文字と、小魚の佃煮。その生活の欠片が、環に「自分は忘れられていなかった」と教えたのです。
亀吉の「わがままに生きろ」は父の遅い背中押し
「情けねえ父親で悪かったな」――この一言には、なおじも息をのみました。
環が女学校へ行くことに反対したこと。それだけで亀吉とりんの別れを語り切ることはできません。けれど、亀吉はこの場で、自分が娘の人生に残した痛みから目をそらさなかったのです。
直美が追い返そうとしたのは環を守りたかったから
亀吉を見つけた直美は、すぐに追い返そうとしました。環のそばへ、これ以上近づけたくなかったのでしょう。
その気持ちは、よく分かります。
過去に環を傷つけた父親が、急に現れた。直美からすれば、「今さら何をしに来たの」と言いたくなる。
しかし直美は、環が父と話すと決めたあと、団子屋の外で待ちました。店へ踏み込み、会話を止めることはしない。心配でたまらないのに、環の言葉を奪わなかった。
この直美の待ち方が、なおじには沁みました。親代わりの大人は、子どもを守りたい。でも、自分で問い、自分で答えを聞く時間まで取り上げてしまえば、環はまた本音を飲み込むことになります。
情けねえ父親という亀吉の自己認識

環は亀吉に、「なぜお母さんと別れたの」と聞きました。
亀吉は、環が女学校へ行くことに反対した過去を話し、「情けねえ父親で悪かったな」と言った。亀吉らしい、ぶっきらぼうな一言です。丁寧な謝罪でもなければ、聞こえのいい言葉でもない。
でも、その格好悪さが格好よかった。
亀吉は、娘に忘れられても仕方がない父だったはずです。それでも貞の手紙を届け、環の問いを受け止め、自分を情けない父と呼んだ。父親として立派だったとは言えない。そのままです。
ただ、父に忘れられたと思っていた環には、この告白が響いたでしょう。亀吉が初めて、環の痛みの前から逃げずに立ったのですから。
母を見習って生きろと言われた環の迷い
「おめえの母ちゃんは、自分勝手な女だ。気にすんな。母さん見習って、わがままに生きろ」
亀吉の言い方には、りんへのわだかまりが残っています。なおじも、そこは引っかかりました。りんを「自分勝手」と呼ぶ亀吉の側には、まだ自分の都合で物事を見ている部分がある。
それでも環に向けた言葉として聞くと、少し違って響きました。
環は「少しだけ」と言った。看護婦になるのか。絵を描くのか。りんや直美を困らせないために、何となく看護の道へ進むのか。
亀吉は、環が悩んでいることを聞いたうえで、「わがままに生きろ」と言った。父親が言うには遅すぎる言葉‥。
けれど、環が人の期待を背負い込みすぎている今だからこそ、胸に残ったのではないでしょうか。
りんが歩いてきた看護婦としての時間を知ると、環がその背中を前に揺れる理由も深く見えてきます。
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りんの生き方と、母として環へ渡してきたものをたどることができます。
偉大な親の背中が環を迷わせてきた
「りんや直美がお母さんなら、少し気を負ってしまう気持ちもわかるなあ」――セツのこの一言には、なおじも大きくうなずいてしまう。
環は、ただ迷っているのではない。りんの娘として、直美に育てられた子として、「ちゃんとした答え」を出そうとしている。その気負いを、セツは見抜きました。
セツが見抜いた「気を負う」気持ち

環は賢い子です。人に気を遣える子でもある。だから、りんに聞きたいことがあっても聞けない。直美の心配に気づけば、なおさら自分の迷いを小さくしてしまう。
「少しだけ」という言葉が、まさにそうでした。
本当は「少し」どころではない。それでも環は、相手を困らせないように、自分の悩みまで小さく見せたのでしょう。
なおじも現役時代、医師である父親の期待を重く受け止め、進路の話になると急に卑屈になってしまう生徒と半日ほど話したことがあります。
その子は最後に、「自分で決めてもいいんですね」と言いました。今でも忘れられません。
親が立派であればあるほど、子どもは「自分も立派に答えなければ」と思ってしまう。環の中にも、りんと直美をがっかりさせたくない気持ちが、知らず知らず積もっていたように見えました。
進路を決める前に、環は自分を知ろうとしている
チュウの団子屋で、環は一人で絵を描いてきました。
ここですよ。
なおじは、ここに胸をつかまれてしまう。
看護婦になるのかと問われた少女が、静かに一人で絵を描いている。環は、看護婦の道を嫌がっているわけではないでしょう。りんの仕事を見てきたからこそ、看護の尊さも知っている。
でも、環には絵を描く手がある。
りんのように人を看る人生と、自分の目で世界を描く人生。どちらかをすぐ切り捨てられない環の姿を、団子屋の小さな机は見てきた。
環が進路に揺れ始めた経緯は、第116話からの亀吉とシマケンの登場とつなげると、よりはっきり見えてきます。
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環の進路に亀吉とシマケンがどう関わり始めたのか、前の流れから振り返れます。
シマケンへ向かった環が求めたもの
環は置き手紙を残し、シマケンのもとへ向かいました。
えっ、そこへ行くのか。
なおじは驚きましたが、すぐに納得もしました。りんにも直美にも言えない。けれど、自分の中だけに抱えておくには苦しい。そんなとき環が向かったのは、シマケンでした。
シマケンは環にとって「心の父親」のような存在に見えます。実父・亀吉には、なぜ母と別れたのかという過去を問う。けれどシマケンには、これから自分がどう生きるのかを話しに行く。作り手は、血のつながりとは別の場所にも、子どもの言葉を受け止める父性があることを、環の足取りで描いたのでしょう。
置き手紙を残して出て行く環の背中は、反抗ではないはず。実父と向き合ったその日に、心の父親のもとへ自分の迷いを持って行った。その順番に、環が一人で生き方を探し始めた切実さを感じました。
「看護婦になりなさい」とも、「絵描きになりなさい」とも言わず、迷っている環の声をそのまま聞いてくれそうな相手。環は答えをもらいに行ったのではなく、自分の答えを探すために、シマケンに話をしに行ったのだと思います。
置き手紙を残し、一人で出て行った環。その背中には、まだ迷いがありました。でも、初めて自分の迷いを自分で抱えて歩き始めた背中でもありました。
第118話は環が自分の人生を選び始めた朝

貞は「しあわせになることをいのっておりまする」と書いた。
亀吉は「母さん見習って、わがままに生きろ」と言った。
直美は、団子屋の外で環を待っていた。
三人の言葉や姿は、まるで違います。それでも誰一人、環の人生を代わりに決めてはいません。
環は、看護婦になるとも、絵を選ぶとも言わない。父と話し、祖母の手紙を読み、シマケンのところへ向かう‥。
これまで人の気持ちを先に考え、自分の本音を後へ回してきた環が、置き手紙を残して家を出た。団子屋で一人、絵を描いていた少女が、悩みを抱えたまま誰かに話しに行った。
第118話の最後に残ったのは、立派な答えではない。
「少しだけ」と言った環は、自分の心を必死に前へ進めようとしている‥。
よくある質問
貞の手紙には何と書かれていた?
封筒には「たまき」とあり、手紙は「しあわせになることをいのっておりまする」と結ばれていました。文字を十分に書けない貞が、環の幸せを願って残した手紙です。
亀吉とりんが別れた理由は?
第118話で亀吉は、環が女学校へ行くことに反対したことを語りました。亀吉とりんの間には、それだけでは言い切れない時間があったのでしょう。ただ環の前で亀吉は、「情けねえ父親で悪かったな」と自分の過去を口にしました。
環は本当に看護婦になるの?
第118話の環は、まだ看護婦になると決めていません。りんの働く姿を見ながらも、チュウの団子屋では絵を描き、進路への迷いを抱えています。
環がシマケンのところへ行ったのはなぜ?
りんや直美には言いにくかった進路の迷いを、シマケンに話すためだったように見えます。環は置き手紙を残し、一人で会いに行きました。
第118話で最も大切だった場面は?
なおじには、環が貞の手紙を受け取り、亀吉へ「なぜお母さんと別れたの」と聞いた場面が最も残りました。忘れられたと思っていた祖母の思いが、環に父と向き合う力を渡したからです。
筆者紹介|なおじ

公立小・中学校で約35年にわたり教壇に立ち、校長を11年、指導主事として教育現場を見てきました。子どもが親の期待や家庭の事情、進路への迷いをどう抱えるのかは、何度も向き合ってきたテーマです。
第118話の環を見て、親が立派であるほど子どもが自分の本音を小さくしてしまう場面を思い出しました。この記事では、貞の手紙、亀吉の言葉、セツのひと言、環がシマケンへ向かった行動を足場に、環が抱えた「気負い」を読んでいます。
現在は8つのブログで、ドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評を横断し、人の生き方と社会のつながりを書いています。