2022年– date –
- 指導法・学習法・記憶法・脳科学
「基礎・基本」の定着を目指した学習の支援はどのようにあるべきか
○学校からの質問『「基礎・基本とは何か」』について 基礎・基本とは,「読み・書き・算」といった単なる知識だけではない テレビなどで「学力の低下」が大きな声で叫ばれています。 ところでテレビの解説者たちが言う「学力」とは、何を指しているで... - 指導法・学習法・記憶法・脳科学
楽しい,明るい,美しい学校実現のためには、『授業で人間関係を育む』ことがポイント
楽しい,明るい,美しい学校について 懇談の席で,○○校長先生より,「楽しい,明るい,美しい学校」についての話がありました。そこで,本日の授業を例として,楽しさを演出する教師の支援としての 「教材の工夫の重要性」,明るい学級を実現するための... - 常陸佐竹氏
北畠親房と結城親朝の考え方の違いが招いた、板東における北朝の勝利
尺八を吹く武将 - 常陸佐竹氏
神皇正統記の著者 北畠親房の息子、南朝の支柱北畠顕家,石津の戦いで 死す
北畠親房の子、北畠顕家の動向を中心に延元年間中の1336から1338の南北朝の戦いの様子について - 常陸佐竹氏
北畠親房、「こいつはやばい奴だ」と尊氏をののしる
畠山親房は安倍晋三元首相と同じ67年の生涯を送りました。そのうち6年間を常陸で過ごしています。親房はなぜ常陸に来て、なぜ神皇正統記を書いたのでしょうか。 - 常陸佐竹氏
新羅三郎義光は、どうやって常陸で勢力を伸ばしたのか
佐竹氏は,なぜ同じ源氏の頼朝を敵にしたのか。佐竹氏は源氏だが,大掾平氏との関わりが強い。常陸を含む板東では,源氏・平氏の氏を超えた連携と対立が生まれていた。 - 水戸学
「え!?」草薙剣とは別の剣を三種の神器としたって本当
「昼御座(ひのおまし)の剣」を宝剣の代用、寿永2年(1183年)に伊勢神宮の祭主大中臣親俊(おおなかとみのちかとし)が後白河に贈った剣を宝剣としたのでした。この剣は「神宮御剣」 - 水戸学
深作安文は「水戸学」を『皇室中心の国民道徳論』と捉えた
『「水戸学」は科学という意味ではない。』 深作氏は、このように指摘します。 水戸学は、歴史学などの「社会科学ではない」ということでしょうか。それは無いと思いますので、 水戸学は、単純な社会科学という枠には収まらないという意味だと理解しました。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO10(弘道館記述義について)
弘道館記は、491文字の簡素な文章でしたので、斉昭は、「これを詳しく解説せよ」と藤田東湖に命じました。東湖は、再三辞退しましたが最終的に承諾し、十年の年月をかけ「弘道館記述義」を完成させます。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO9(弘道館記を書いたのは誰か)
弘道館は、一番最初に出来た藩校ということでも、藩校の中で一番大きかったと言うわけでもありません。 弘道館は、水戸学の中心だったという理由で全国で有名になった藩校です。