日本らしさ– category –
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日本を創った思想家 『法然上人』の新しい仏教解釈
男は、宿敵明石定明に襲われ、深い傷を負った。男の名は、漆間時国(うるまときくに)。死が目前に迫る時国の前に、9歳になる息子「勢至丸(せいしまる)」が涙ながらに,けなげに宣言する。『父上、敵は必ず私が討ち果たします。』息子の言葉がうれしくはあった。しかし、時国は、苦しい息で息子を諭す。『敵討ちなど考えるでない。敵を憎んではならない。父の遺言通り、勢至丸はその後出世し、日本仏教史・思想史に残る宗派を生み出す。 法然上人である。 -
『藤原定家とは どんな人か』 を知るための 5つのポイント
藤原定家と後鳥羽上皇が繰り広げた作歌論争は、現代も議論が続いている。背景がわかった時に、「アハ感覚を味わう」定家の歌、めんどくさいけど面白い。 -
鴨長明は貧乏を楽しむ『優雅な生活』の中で、『方丈記』を書き上げた
鴨長明の草庵住まいは、今で言えば、キャンピングカー住まいのような感覚だったのではないか。貧乏を楽しむ「優雅な生活」。長明は、新たな日本文化・新たな和魂を築いたのでは。 -
鴨長明の「方丈記」は、なぜ片仮名主体の和漢混淆(交)文で書かれたのか
紀貫之は、「男もすなる日記」と、あたかも自分が女のように「仮名文字」で土佐日記(935年ごろ)を書いた。仮名文字は女性の文字だったのだ。それから約300年後の1212年、「鎌倉殿の13人」の頃、鴨長明は、片仮名主体の漢字混じり文で「方丈記」を書い... -
仮名文字文学「土佐日記」「源氏物語」「枕草子」によって、日本の日本らしいものの考え方が深まった
中学校の社会科で、源氏物語や枕草子は、どのように指導されることが想定されているか。最終到達点は、『国際的な要素をもった文化が栄え、後に文化の国風化が進んだことを理解している。」と言う状態を目指す。 -
『自利利他』、日本の心を生み出した『空海』
天才といわれる人でも、ゼロから創造する人は少ない。日本人は、『真似から独自のモノを生み出す』能力に長けている。しかも、元のモノを遙かに越える日本的な『文化』として完成させる。仏教界・思想界の大天才『空海』も、その一人。空海は、インド密教と中国密教から、日本独自の「日本密教」、そして『自利利他』という日本の魂を生み出した。 -
日本思想史上、最古の人『最澄』の一乗思想とは?
日本思想史上最古の人物は、「最澄」であろう。「総ての人は仏の前に平等。どのような人も仏によって救われる」という、最澄の思想が日本人の魂を培った。 -
江戸末期、286種の旗が載る研究本を著し、国防に多大な貢献をした 水戸藩の鱸重時とは
水戸の斉昭により、「日の丸」が日本の国旗となった。その斉昭を支えた国旗学者が水戸にいた。その名は鱸重時。ペリー来航の前に、世界の国旗など286の旗を「萬國旗鍳」という本にまとめ発刊。さらに重時は、日本初の西洋式軍艦「旭日丸」の建造を指揮した。 -
「倭」は「日本」なのか
中国の書『旧唐書』に「倭」と「日本」の関係が書かれている。でも支離滅裂。サンドイッチマンではないが『ちょっと、何言ってるか分からない』と言いたくなる。中国人には「倭」と「日本」は同じ国、という万世一系が理解できなかった。 -
「日本」の呼称、「にっぽん」と「にほん」どちらがより古いか
「日本」の読み方は「にっぽん」「にほん」両方可。ではどちらがより古い時代からある読み方か。実は「にっぽん」が古い。もう一つ、漢音では「ジッポン」で、ここから「ジャパン」になる。さらに、大和言葉では「日本」は「やまと」と読まれた。