思想史– category –
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徳川光圀の水戸学:「勝ち負けでなく、何が正しいかで歴史を見るべき」
水戸学の思想:日本人の歴史観を形成する重要な鍵 水戸学は、日本の歴史観と国家意識を形成する上で極めて重要な思想です。本記事では、徳富蘇峰氏の講演を基に、水戸学の本質と現代における意義について深く掘り下げていきます。水戸光圀や徳川斉昭らが築... -
佐藤一斎と言志四録|江戸時代の自己啓発と幕末教育者の生涯と功績
こんにちは!今日は江戸時代後期、幕末を生きた一人の武士であり儒者、佐藤一斎についてお話しします。彼の主著である『言志四録』は、まるで19世紀前半の日本における「自省録」みたいなもの。今回は、この本の魅力や彼の人生に迫ってみましょう。 佐藤一... -
朱子学における山崎闇斎の功績:水戸学と会津の教えへの影響
朱子学が広まったのは、実は江戸時代の後期。「神儒一致」を説いた山崎闇斎の朱子学は、水戸学や会津の教えにも強い影響を与えた。 -
士大夫とは何か:士大夫の社会的意義と変遷―身分・官僚・知的エリート
士大夫は古代中国周代の統治者階層を指し、宋代には優秀な科挙合格者が士大夫として選ばれる傾向にありました。女性は男性の添え物とされ、封建制は秦の始皇帝によって廃止され、郡県制が導入されました。漢代以降、士大夫は読書人、知的エリートとされ、政治、社会、文化の支配階層を形成しました。 -
朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理気二元論」とは何か
日本人の思想的な根幹を造っているのは、儒教だと言って過言では無い。その日本儒教の基(もとい)を創り上げたのは、林羅山。羅山が日本に広めようとした朱子学の思想とはどういうものか。そして羅山自身の思想とは。 -
林羅山が提唱した神道:「理当心地神道」とはどのような神道か
林羅山は、日本の儒教(朱子学)を定着させた人物。また、昌平黌などの学校をつくり、日本の教育改革を行った人物。日本文化を語る上では欠かせない人物である。この『本朝通鑑』を完成させる上で羅山が提唱した神道が『理当心地神道』であり、「天皇家の祖先は中国人だった」という受け入れがたい主張だった。林羅山が提唱した『理当心地神道』とはどのような神道だったのか。 -
林羅山と方広寺鐘銘事件の謎:林羅山は曲学阿世の学者という評価は正しいか
日本国民の道徳性を培った日本朱子学の祖、林羅山には、「曲学阿世」の学者という評価もあります。なぜ「曲学阿世」といわれるのか、この評価は正しいのか、に迫ります。 -
水戸学NO3:水戸学は南朝正統論「茨城になぜ楠木神社があるのか」
水戸学の三大特筆としてあげられる歴史上の難問は、「神功皇后に関する評価問題」、「大友皇子に関する評価問題」、そして、「南北朝正閏論(南朝と北朝どちらを正統とするか)」という三つの難問です。水戸学は、「南北朝正閏論」で「南朝を正統」としているという特筆があります。茨城には、京から遠く離れているにもかかわらず、楠木正成公を祀る「楠木神社」があります。このブログでは、南朝正統論と茨城の楠木神社の関わりについて、述べます。 -
本居宣長が完成させた『国学』とは、どんな学問
国学の礎を築いた本居宣長は、朱子学の「理」の学問を批判し、日本人的な真心の「妙理」を解いた。 -
水戸を徳川御三家の一つとした 水戸光圀は 神となって祀られているというのは本当か
水戸は、もともとは御三家ではなかった。それを御三家の位置に押し上げたのは水戸光圀。天下の副将軍という役職はない。それでも人々から副将軍と呼ばれた光圀。光國ではなく光圀と改めたのは何故か。死後は神となったというのは本当か。そして、水戸学とは何か。