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穎右の父・母「吉兵衛とせい」の間に、子どもは何人いたのか
「吉本吉兵衛」と「せい」の間には、二男六女の子がいた。
だが8人のこのうち、5人の子が次々と夭折している。
穎右は次男だったが、長男も夭折しているので実質的には長男扱い。男の子は穎右一人だった。
さらに、穎右が生まれた翌年の1924年(大正13年)、父・吉兵衛はわずか37歳の若さで急逝している。
母・せいは、わずか34歳で未亡人となっていた。
このような状況下なので、一人息子穎右への跡取りとしての期待は大きかっただろう。
マスコミも取り上げた「笠置と穎右の恋」
笠置と穎右が知り合った頃、穎右はまだ学生。
笠置は、穎右の9歳も年上の29歳だった。
吉本せいにするば、歌手「笠置シヅ子」は自らの商品の一人に過ぎない。
当然、跡取り息子の嫁候補とは見られなかった。
世間も「吉本興業の跡取りと、歌手の恋」として騒ぎ、新聞などのマスコミでも記事として取り上げた。
『ブギの女王と吉本興業御曹司の許される結婚』
このような見出しが躍った。
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