虎に翼、第1週では『寅子の大学専門部女子部への進学を巡る家族のあれこれ』、とりわけ『寅子と、母・はる』との考え方の違いによるぶつかりが描かれました。
母・はるは、寅子の幸せを真剣に願って「お見合い」そして「結婚」というレールに娘を乗せたいと願っていました。
しかし、結婚を女の唯一の幸せととらえられない寅子。
寅子は、母の愛情が十分に分かっているので、なお自分の進学を言い出せないでしました。
このあたりの葛藤、贅沢な葛藤だとは思いますが、どの家庭でも有り得ますよねえ。
当初は、お父さんの直言さんが、お母さんを説得してくれるのかと、頼りにしていましたが、直言父さんが全く頼りにならない。
このあたりは、前作『ブギウギ』で『アホのおっちゃん』を演じた【岡部たかし】さんのキャラ設定を引きずっているようです。
ところで、史実の寅子の父親『武藤貞雄』さんは、どのような方だったのでしょうか。
また、寅子のモデル三淵嘉子さんの女子部進学については、どのように対処されたのでしょうか。
虎と翼の真実にせまります。
寅子のモデル三淵嘉子の父・貞雄さんとは、どんな人だったのか
「虎に翼」の橋爪寅子(ともこ)のモデル・三淵嘉子(みぶちよしこ)の父親の名は、武藤貞雄、母親のノブといいました。
ともに香川県丸亀市の出身です。
前作「ブギウギ」の福来スズ子(笠置シヅ子)の出身地と同じ四国・香川なのですね。
貞雄の家は、
代々丸亀藩の御側医を務める家でした。宮武家というそうです。
ですが、宮部家から武藤家に養子に入っています。
武藤家の父も、緒方洪庵が大阪に開いた「適塾」に通ったことがある学者・医者だったようです。
宮部家も、武藤家も医者の家系だったようですね。
当然、貞雄は医者になることを期待されていました。
優秀な貞雄は、旧制丸亀中学から一高、そして東京帝大の法学部に進学します。
法学部を卒業した貞雄は、医者にはならず、台湾銀行に就職してしまいます。
当時の台湾銀行は、紙幣発行権をもつ立派な銀行でした。
協業銀行としても、日本国内はもちろん外国にも支店をもつ、優良銀行だったのです。
貞雄は、その才能を期待され、シンガポール支店やニューヨーク支店へ赴任しています。
寅子のモデル・嘉子(よしこ)が生まれたのはシンガポールでした。
大正3年(1914年)11月3日のことでした。
彼女の命名は、嘉子が生まれた地・シンガポールから来ています。
シンガポールを漢字を漢字で表した「新嘉坡」から「嘉」の字を取って、「嘉子(よしこ)」と名付けられたのでした。
貞雄は、シンガポールからアメリカニューヨークに転勤になりますが、家族は、アメリカには着いていきませんでした。
つまり、単身赴任です。
貞雄がアメリカに行っている間、家族は、二人の実家である香川丸亀で数年過ごしていました。
そして、貞雄がアメリカから帰国した大正9年(1920年)、家族は、東京勤務となった貞雄と共に、東京に引っ越しました。
寅子のモデル嘉子の女子部進学に対し、父・貞雄はどのように対処したのか
さて、「虎に翼」で、父・直言さんは、「すべて俺に任せろ」と言ったのに、いざ妻の前に出ると、何も言えなくなり、おどおどしてしまう、アホのお父ちゃんですね。
でも実際はと言うと、もちろんそんな人ではありません。
貞雄の思い
海外赴任が長かった父の貞雄は、女性も男性と同じように仕事を持つべきだ、と考えていました。
「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな。男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ。それには何か専門の仕事を持つための勉強をしなさい。医者になるか弁護士はどうだ。」
「虎に翼」では、寅子自身が、
「お嫁さんになって家庭に入ることを女の幸せと考えられない」
という設定です。
しかし実際は、貞雄お父ちゃんの方が、積極的に嘉子を職業婦人にさせたかったようです。
そして、貞雄自身は、実家や養子先が自分を医師にしたかったのに、自分は医者にならなかったので、嘉子に医者になってほしかったのではないでしょうか。
でも、嘉子は、
血を見るとこわくなっちやうので、医師に向いているとは思えない。
と言うのでした。
そうすると、父が言ったもう一つの選択肢は弁護士です。
こういうわけで、意外や意外、「寅子(嘉子)の進路決定の裏には、父の意思があった!」
のでした。
母・ノブの反応は「虎と翼」のはるの反応のとおり
嘉子は、父・貞雄の承諾を得て、明治大学専門部女子部へ願書を提出しました。
しかし、そのとき母・ノブは、法事のために実家の香川丸亀に戻っていました。
そして、「虎に翼」と同じように帰宅後にそのことを知ったのでした。
そのとき、母・ノブは、
これで、娘は嫁に行けなくなった。
と、泣き出したと言います。
このあたりの史実のエピソードを膨らませたのですね。
結論:嘉子も偉大だが、嘉子の父も母も先進的で偉大だった
嘉子の父・貞雄は、
男尊女卑の大正から昭和初期のこの時代に、「女性もこれからは男性と同じように職業をもつ時代が来る」と、将来を見る先見性をもっていました。
ですが、実際は、「女性は無能力者」と、法律にも改定在る時代です。
そんな時代に、娘を送り出すのですから、親としても勇気が必要だったことでしょう。
それを、貞雄も、その妻ノブも娘の才能を信じて送り出したのです。
見事な親だなあ、と感心することしか出来ません。
結論:
寅子の父・直言のモデル貞雄は、優柔不断な『アホのおっちゃん』ではありません。
先見性をもち,確固たる信念をもって娘を信じられる人物でした。
※ このブログは、「三淵嘉子と家庭裁判所」の記述を参照しています。
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