思想史– category –
- 林羅山
日本人の慎ましやかな行動原理を培った『林羅山』
日本人は、災害に遭ったときでさえ、慎ましやかに列を作り、列を崩さずに待つことができる。この「慎ましさ」は、どのようにして日本民族に培われたのか。江戸初期の思想家、林羅山の功績が大きい。 朱子学を江戸幕府に定着させた『林羅山』 林羅山の概... - 日本らしさ
江戸末期、286種の旗が載る研究本を著し、国防に多大な貢献をした 水戸藩の鱸重時とは
水戸の斉昭により、「日の丸」が日本の国旗となった。その斉昭を支えた国旗学者が水戸にいた。その名は鱸重時。ペリー来航の前に、世界の国旗など286の旗を「萬國旗鍳」という本にまとめ発刊。さらに重時は、日本初の西洋式軍艦「旭日丸」の建造を指揮した。 - 水戸学
ペリー来航で慌てる幕府を説き伏せて、「日の丸」を国旗とした水戸の斉昭
日本の国旗『日の丸』は水戸から生まれた! 最古の戦扇日の丸を持っていたのは、安倍晋三前首相のご先祖安倍貞任。日本最古の日の丸は、武田家の家宝「御旗」実はこれらも全て茨城(常陸)と関わりが深い。 - 水戸学
水戸は、なぜ彦根の井伊直弼を討ったのか:建造時の姿を残す彦根城
水戸と彦根の因縁、桜田門外の変はなぜ起こったか。また、日本に当時のまま天守閣が現存する城はいくつあるのか。彦根城はその一つ。 - 水戸学
水戸学と、会津の日新館の教えはどう違うのか
政治家など人の上に立つ者が、私利私欲だけで動いたら国は成り立たない。エリートがエリートであるためには、人格的にも高潔で優れている必要がある。 江戸期、武士は当時の人口の約7%程度だった。そして多くの武士は人間として洗練されていた。それは当時の教育に負うところが大きい。 会津の「什の掟」も当時の高潔な人間を育てる貴重な掟、そして教えだった。 - 水戸学
「え!?」草薙剣とは別の剣を三種の神器としたって本当
「昼御座(ひのおまし)の剣」を宝剣の代用、寿永2年(1183年)に伊勢神宮の祭主大中臣親俊(おおなかとみのちかとし)が後白河に贈った剣を宝剣としたのでした。この剣は「神宮御剣」 - 水戸学
深作安文は「水戸学」を『皇室中心の国民道徳論』と捉えた
『「水戸学」は科学という意味ではない。』 深作氏は、このように指摘します。 水戸学は、歴史学などの「社会科学ではない」ということでしょうか。それは無いと思いますので、 水戸学は、単純な社会科学という枠には収まらないという意味だと理解しました。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO10(弘道館記述義について)
弘道館記は、491文字の簡素な文章でしたので、斉昭は、「これを詳しく解説せよ」と藤田東湖に命じました。東湖は、再三辞退しましたが最終的に承諾し、十年の年月をかけ「弘道館記述義」を完成させます。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO9(弘道館記を書いたのは誰か)
弘道館は、一番最初に出来た藩校ということでも、藩校の中で一番大きかったと言うわけでもありません。 弘道館は、水戸学の中心だったという理由で全国で有名になった藩校です。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO8(会沢正志斎の新論)
新論は1825年に書かれています。出来上がった当時は、藩主斉脩(なりのぶ)によって、公刊を差し止められていました。