2022年– date –
-
常陸佐竹氏
900年間生き残った佐竹家、義光と昌義の根本思想
源義光の墓はどこにあるのか 義光は、京都の武士を目指した義家とは違い、地方での勢力拡大を目指します。基盤の地域は、陸奥の南から常陸の北部でした。 そんな義光に訪れた試練に、源義国との戦いがあります。 義国は、兄義家と足利基綱の娘の間に生... -
常陸佐竹氏
「後三年の役」への参戦で、陸奥・常陸に足場を築いた佐竹家祖の新羅三郎義光
本日のポイント:源義光が佐竹家祖となれたのは、義光の生き残るプラン選択 ○義家は、都の武士に戻ることを選択し、義光は地方武士として生き残ることを選択した。 前九年の役で頼義を勝利に導いた清原氏 頼義の鎮守府将軍としての任期が切れる少し前ま... -
常陸佐竹氏
「前九年の役」で陸奥進出をねらう源頼義に対し、安倍軍の中心人物として立ちはだかる奥州藤原氏の祖 藤原経清
奥六郡は、元々は蝦夷(えみし)の居住地と言われます。その長が安倍氏でした。安倍前総理はこの安倍氏の末裔に当たります。(頼時三男の安倍宗任は降伏して一命を取り留め、平家方の水軍として活躍。平家滅亡により山口に流罪となり山口安倍氏となります。 -
常陸佐竹氏
満仲の3男の頼信は、なぜ常陸平氏と縁を深めることができたのか
本稿のポイント 佐竹氏の祖となる源義光は、常陸平氏と深く縁を結ぶことができた。その遠因はおじいちゃんである源頼信の活躍にあった。満仲の3人の子らは、どうやって源氏の力を高めていったのか。 満仲の後を継ぐ、長兄源頼光 源満仲には3人の男子が... -
常陸佐竹氏
新羅三郎義光の遠祖、源満仲はどうやって武家としての地位を確立したのか
武家として、900年生き残れた家は、数えるほど。岩手の南部家、宮城の伊達家、山口の毛利家、鹿児島の島津家、そして、佐竹家。どうして900年命脈をつなぐことができたのでしょうか。 -
指導法・学習法・記憶法・脳科学
中3公民「人間の尊重と日本国憲法」における小集団による討論会(対話的で深い学び)
「自分の考えを問い直し、深める社会科学習指導の在り方」 研究の概要および索引語 公民的分野の学習において、生徒が自分の考えを問い直し、深めるためには、社会的事象を様々な角度から考察する必要がある。本研究では、中学校第3学年「人間の尊重と... -
指導法・学習法・記憶法・脳科学
対話的な学びを実現させるために、どのような指導が必要か
対話的な学びが成立するためには、 論点が明確になっていること 論点を巡って、発言がつながりながら発展していること が必要。 では、どうすれば? -
指導法・学習法・記憶法・脳科学
社会科における見方・考え方とは何?「ずばりこれです。」
社会的な見方・考え方とは 「何かと何かのかかわり」を基にして、見たり考えたりすること 「何かと何かのかかわり」に気付くこと -
指導法・学習法・記憶法・脳科学
挙手の回数で「関心・意欲」は評価できない。徹底解説
「思考・判断」とは、資料を根拠とする「気付き・(主観的な)思い・(客観性を加味した)考え」のこと。 「関心・意欲」とは、体験・経験を根拠とする「気付き・思い・考え」のこと。 -
指導法・学習法・記憶法・脳科学
主体的・対話的で深い学びは「思いを発表できる、考えを聞きあえる『安心感のあるクラス』」の実現が前提
現代の子どもたちは、自己存在感、自己有用感が低い。思いを発表できる、聞きあえるクラスで育ったら、自己存在感、自己有用感の高い子どもに育つ