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基礎・基本を身に付け,分かる喜びを味わう授業をどのように工夫したらよいか。

常に魂は自己の内に存在する
目次

「基礎・基本を身に付け,分かる喜びを味わう」について、もう一度考えよう

 学力とは何か、について話題になっています。先生方はプロですから当然「学力」とはこういうものだ、というイメージをお持ちでしょう。
 さらに「基礎・基本」という言葉があります。「学力の基礎・基本」などとも言います。
 先生方が当然のように日々使っていらっしゃるこの言葉「学力」、また「学力の基礎・基本」について改めて問わせていただきます。
 「学力」とはいったい何でしょうか。「学力の基礎・基本」とはどのようなことを指すのでしょうか。

 先生方は、日々の授業で子どもたちに「知識」定着を目指していますか。では、授業で指導しているのは「知識」の習得のみですか。そうではありませんよね。
 その知識を活用して、他の資料を読み取る技能を高めたり、その知識を活用して考える力を高めたり、その知識などを活用して判断する力を高めたり、その知識を活用して表現する力を高めたり、その知識を活用して価値決定する力を高めたりしています。
 「学力」といった場合、「知識のことだ」と捉える風潮がありますが、教師は少なくとも「学習指導要領に示される四つの観点にそれぞれ学力がある」こと(平成15年当時の4観点で話しています)、学習指導要領とは、「学力」について、日本全国すべての学校で「これだけは身に付けさせなければならない」とする最低限、つまり「基礎・基本」が示されているのだということを意識する必要があります。
 ですから、時間の制約や生徒の負担増にならないのであれば、教師が「この知識は扱っておきたい」と考える学習指導要領を越えた指導は許されます。しかし、学習指導要領に示されているのに、時間が無いからとか、教師がこの知識は必要ないと勝手に判断したとかで「その知識を扱わない」ということは許されません。
 もし教師の独断で「学力」を規定したり「基礎・基本をゆがめたり」したら、学力低下を招きます。
 

 はやりの百ます計算が知識定着に役立つからという理由で、それだけを授業で取り上げて塾のようなことをしていたら、知識以外の観点の学力低下が必ず起こるということです。

 学力とは、学習指導要領およびその解説に示される目標および内容の総称です。
 学力の基礎・基本も同じです。学習指導要領および解説に示される目標および内容に関する指導は、日本中のどのクラスでも指導されなければなりません。その意味で学習指導要領および解説に示された目標および内容が「学力の基礎・基本」ということです。

単元としての学習計画を意識する

 「学力」および「学力の基礎・基本」について共通理解できたところで、次に考えたいのは、「45分の授業の中で4観点すべてを押さえることなどできるのか」と言う問いです。
 先生方は、この問いについてどうお考えですか。

 ある学校の先生から、まさにこの質問をいただいたとき、「なるほど」と感じることがありました。おそらくこの質問者は、単元の構造を理解されていないだろうということです。
 本日5年生の社会を○○先生が公開して下さいました。この社会科を例とするなら、この単元はお配りしましたプリントのようになっています。(事前に資料として単元構造表を配ってある)

単元構造表


 この単元では、ア、イ、ウ、エに関わる4つのことを調べます。この中のエ「国土の保全などのための森林資源の働きおよび自然災害の防止」が○○先生が扱われた小単元になります。本日のご授業はその最初の1時間として、「国土の土地利用全体に占める森林面積の割合」や「森林分布の現状」について調べていました。言うなれば4観点のうちの知識の部分を調べて「知る」ということが本日の指導のねらいです。
 本時のねらいとしては、これで良いわけです。つまり「知識」目標だけで、他の能力目標を扱う必要はまだありません。○○先生の指導案を見て下さい。4観点の評価項目が示されています。しかしこの評価は単元としての評価です。○○先生の指導案にも本時は、知識のみのねらいしか示されていませんよね。これで良い。
 4観点の指導は単元全体として考えれば良く、1時間1時間ですべて行わなければならないわけではありません。

「分かる」とは何か

 ここまで、「基礎・基本」とは、学習指導要領に示されている目標および内容のこと。
 視覚的には、私の示した「単元構造表」の全体が「学力の基礎・基本」の例であり、『「学力」は「構造をもつ」』ということ。

  •  学力は、少なくとも4つの観点、すべてが含まれている。
  •  4つの観点の学力を1単位時間のなかで必ず扱わなければならない、ということではない。
  •  4観点に関わる学力は、単元全体として考える。

 以上のことを示してきました。
 その上で、「分かる」とはどういうことでしょうか。

 私自身の用語で申し訳有りません。実は私は「分かる」と「わかる」を区別して使っています。ただしこれは、私独自の用語法です。

  今日のこの話の最中のみ、「分かる」を、『些末な知識が「(個々に)分かる」』という意味だとご理解下さい。
 では「わかる」とはどういうことでしょうか。

 私は『「つながり」を「捉える」』ことが「わかる」だと考えています。『つながりがわかる」です。

「学力は構造をもつ」をブロックのイメージで考える

 先生方、ちょっとイメージしていただけますか。子どもが使うレゴブロック。視覚的にわかりやすいので、今回ブロックの色は白で統一されていることにします。
 その一つ一つを子どもが床に無造作に置きました。ただ一つだけ、赤色のブロックがありますが、他の白いブロックと同じように置かれています。
 もうすでに感にておられるように、この白ブロック一つ一つが多くの些末な「知識」です。「知識」が構造化されること無く、ただ単に床に広がっている状態です。
 この一つ一つを、「学力」そのもの「学力の基礎・基本」だと勘違いしておられる方がいます。

 それに対して、子どもがブロックでロボットを作るという目的意識をもち、ブロック同士を組上げ、立体的に形にしていきます。組み上がったロボットの頭のてっぺんには、赤い色のブロックがあります。
 この全体が「学力」であり、全体構造の中のパーツとして使われている一つ一つのブロックが「学力の基礎・基本」のイメージです。

この単元で目指すべき学力は、どのように構造化されているか

 ブロックの話から一度離れます。もう一度私の示した単元構造図をご覧下さい。この大単元(小単元も同じ)は、①調べる対象としての「学習の主題」と②「調べる対象および学習の仕方」と③「考えさせたい内容」の3つの構造でなっています。
 つまり単元の出口として、「国土の環境が人々の生活や産業と密接な関係を持っていることを考えるようにする」わけです。そして、この「考えさせたい内容」こそ、ブロックで作ったロボットの頭の部分の赤いブロックです。
 ここを目指して単元を構想します。

 「学力とは何か」と行った場合、ブロック一つ一つのことではありません。ロボット全体が「学力」です。
『学力は構造を持っています』

つながり(構造)を表現させる問いを、単元の終盤で必ず仕組む


 学力の構造を子どもたちがどのように理解したのかを、教師は把握し評価しなければなりません。例えば、この単元では

  • 「国土の環境が人々の生活や産業と密接な関連をもっていることを考えている」状態を演出すること。
  • 考えたことを表現する場を設けること。

 単元のどこかに、意図的に

構造を考える場、表現する場を設定することが、「基礎・基本」そして「つながりがわかる」授業実現には欠かせない。

これが本日の先生方の問いに対する答えとなります。
 

教師が教え過ぎたら、「基礎・基本」も「わかる授業」も実現できない

 補足ですが、教師が教えすぎたら、「基礎・基本」も「わかる授業」も実現できなくなる危険性があるということをお話ししておきます。
 「わかる」とは、「つながりがわかる」ことです。「わかる」ためには、自分自身で考える場・時間を設定しないとなりません。
 先ほどの社会科の単元で、子どもたちに適切な発問をせず、当然考える時間をとらずに、教師が
「ハイ、皆さん注目、本日の授業のまとめをします」、と言って

「国土の環境が人々の生活や産業と密接な関連をもっている

 と板書し、「これを覚えましょう」と言って単元をまとめたらどうなるでしょう。(実は、このパターンが割と多いんです。)
 この指導のパターンは、「学力とは知識(のみ)だ」という勘違いから生じています。知識として教えすぎです。こんなことを子どもに覚えろと強要しても、おそらく半分以上の子どもが興味を持たないし、覚えませんのでご注意下さい。

かといって、教えなさ過ぎる教師の怠慢は、教え過ぎより悪影響

 教師の怠慢とはややきつすぎる言い方ですが、注意喚起ということだとご理解いただきお許し下さい。今回は時間の関係上一点だけに絞ります。

 単元のねらいに迫る「問題」や「課題」を設定するのは、教師の役割

 KJ法などで、調べる項目を決める実践をよく見かけます。子どもの主体性、やる気を育むために、それはそれで良いのですが、一点だけ大注意が必要です。
 社会科のような内容科目は、あらかじめ単元で考えさせるべき事項が学習指導要領の中に示されています。先の例だと「国土の環境が人々の生活や産業と密接な関連をもっている』ことを考えさせることが決まっています。これは日本全国どのクラスもです。
 この問題ないし、課題を教師が設定しなかったら、「基礎・基本」は身に付きませんし、「わかる授業」の実現もほど遠いです。
 例えば、

(問題)
「漁業をしているA子さんのおじさんが、山に木が無くなったら魚がとれなくなる」と言っていたのはウソではないのか

 などの問いを教師が課題として設定します。できれば、あたかも子どもたちが気付いたかのように、切実感をもった問題として単元に位置づけることが出来たら、なお良いです。ともかく課題設定、問題設定は、教師の腕の見せ所となります。
 これ(単元のねらいに結びつく課題・問題)を、子ども任せにしてしまう教師も実はいます。これも「学力低下」をまねきます。この部分を子ども任せのKJ法でつくると単元が変な方向に行ってしまうので要注意です。

 
 単元のねらいに結びつく問題なり課題を考えている中で、子どもが「わかった」と叫ぶことがあります。その子どもは何らかの「つながり」を発見しています。
 これが「わかる」です。ですから教師は、授業の中に子ども自身が「つながりを発見する仕掛け」としての課題設定(問題設定)を軽視してはいけません。教えなさ過ぎも「学力低下」を招きます。

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