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穎右の母「吉本せい」は、笠置と穎右の結婚、そして妊娠をいつ許したのか?

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ヱイ子を育てるために歌う笠置シヅ子

舞台の合間にヱイ子をあやす笠置

笠置は、乳飲子のヱイ子を抱え、必死に育てるために歌った。
ブギウギの冒頭の場面がこれだ。

舞台の合間に乳飲子をあやす福来スズ子

服部良一は、この頃の笠置について以下のように述べている。

「幕間には楽屋へ走り返って、ヱイ子ちゃんをあやし、ときには乳房をふくませて、また、あわただしく舞台へかけ戻る。質素で、派手なことをきらい、間違ったことが許せない道徳家でもあった。しかし世話好きで、人情家で、一生懸命に生きているという感じを滲ませていた。」

服部良一自伝より

まとめ:ブギウギ・愛助(穎右)の母「村山トミ」(吉本せい)は、笠置と穎右の結婚、そして妊娠を許したのか?

笠置とヱイ子

吉本穎右は、吉本興業の跡取りだった。
当初、穎右の母・吉本せいは、二人が付き合うことを許さなかった。笠置シヅ子(福来スズ子)は、「せい」にとっては商品の一人であり、穎右の嫁候補にはなり得ない存在だったからだ。

ブギウギでは、スズ子とトミは愛助の生前にあっている設定だが、実際は会っていない。

せい(トミ)が二人の結婚を笠置の妊娠を許したのは笠置の妊娠を知ってから。母の心は徐々に軟化していった。
だが、この時点で「せい」は笠置と直接にはあっていない。
結婚の承諾を伝えたのは、「せい」の弟で当時吉本興業の東京氏社長だった林弘高氏。

笠置は、その生涯で最も幸福な瞬間を迎えたことだろう。
だが、穎右の病は日増しに重篤さを増していく。

そんな中でも、「生まれる子は、自分の籍に入れる」ことを手紙で笠置に知らせて来ていた。
そして、出産まじかのある日、入院中の笠置の元に、「穎右の死」の知らせが届く。

失意のどん底に沈み、たった一人の付き添いもないまま笠置は愛娘「ヱイ子」を出産。
吉本家や、東京で穎右の生活の面倒を見ていた林弘高氏らから『「ヱイ子」の面倒を見る』旨の申し出があったが、笠置は、それを拒否した。

そして、自分一人で「ヱイ子」を育てる決心をしたのだった。

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