母・せいは最後まで二人の結婚を認めなかったのか?
当初は二人の結婚に反対だった。
だが、「笠置と穎右の間に子が出来た」ことが「せい」の耳に入る。
すると「せい」の心も徐々に軟化していった。
それに伴い、周囲も二人の仲を認めるようになっていく。
吉本の東京支社長を務めていたのは、せいの実弟。
林弘高と言った。(ブギウギ・黒田有さん演じる坂口東京支社長)
ブギウギの坂口東京支社長は、スズ子と愛助との仲を裂くための憎まれ役。
だが、史実では笠置が妊娠したとき林東京支社長は、吉本せいの使者として「結婚を認める」ことを笠置に伝える愛のキューピット役となっている。
笠置と吉本せいは、この時点でまだ会っていない。
だが、人を介してでも「穎右の母に認められた」ので笠置は、「出産後に芸能界を引退する決意」をした。
シングルマザーとして「ヱイ子」を育てる決意
穎右は笠置の妊娠中に、
「安心して赤ちゃんを産んでください。必ず自分の子として届けます」
と、手紙を送ってきていた。
だが、穎右はそれを実行する前に息を引き取ってしまう。
穎右の死後の5月25日、吉本家から前田栄一(吉本興業営業部長)が病院に来て、
「男の子やったら穎造、女の子やったらヱイ子と名付けるのがご遺言だす。」
と告げた。
その時に、笠置は前田から3万円が入った預金通帳と印鑑を渡されている。
この時の金は、吉本家から笠置がもらった最初で最後の金であった。
5月28日、笠置は誰一人付き添いがいないまま、一人で女の子を出産する。
命名、「ヱイ子」
6月3日、吉本の林正之助(吉本せいの弟)社長が見舞いに来た。
同5日、林弘高(この時は、常務部長となっていた)が見舞いに来て、『ヱイ子』と筆で命名書を書き上げ、穎右の遺影の前に備えた。
「ヱイ子」は私生児となった。
笠置と穎右は結婚を誓ってはいたが、内縁関係のまま穎右は死んでしまう。
穎右自身は「生まれた子を認知して、正式に笠置と籍を入れるつもり」だったが、穎右の病はそれを許さなかったのだ。
いくら、穎右が「そのつもり」だったとしても死んだ後の出産だったので、法律上『ヱイ子』は非嫡出子となった。
つまり、「私生児」という扱い。
意義申し立てをすれば別の扱いもあっただろうが、笠置はそれをしなかった。
「吉本家からヱイ子の引き取りの申し出」があったり、「林弘高氏がヱイ子を預かる」胸の申し出があったりしたが、笠置はそれらも断った。
笠置は、ヱイ子を自分と同じ「もらい子」の境遇にしたくなかったのだ。
あくまで、実母である自分の手元で育てる決意をした。
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