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笠置の最愛の人、『吉本穎右』の父と母は、どのような人物だったのか
穎右の父は、大阪で小間物問屋を営んでいた。名を吉本吉兵衛(本名は吉次郎・通称を泰三)という。
吉兵衛は、家業そっちのけで寄せ道楽に明け暮れる人物だった。
穎右の母『せい』は、1910年(明治43年)に吉兵衛と結婚。
やがて二人は北区天満にあった寄席「第二文藝館」を1912年(明治45年)4月1日に買収し、寄席経営に乗り出した。
その後、周りの小さな寄席を次々と買収していく。
そして、『華と咲くか 月と翳るか すべてをかけて』という思いから、『花月』と名付け、勢力的に寄席経営を行い、大正の末には大阪だけで20数件の寄席を経営するまでになっていた。
また、東京へも進出を果たしている。
経営手腕に関しては、父・吉兵衛より、母・せいの方が上手だったと言われる。
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