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穎右の母「吉本せい」は、笠置と穎右の結婚、そして妊娠をいつ許したのか?

1943年(昭和18年)ごろ、笠置シヅ子こと亀井静子(ブギウギのスズ子)は運命の人吉本穎右と出会った。二人は翌年の1944年(昭和19年)には結婚する約束が出来ていた。このとき、吉本関係者、とりわけ穎右の母親『吉本せい』は、二人の結婚に反対したとされる。『吉本せい』は、最後まで二人の結婚に反対だったのだろうか。また穎右の子『ヱイ子』は、どうなったのだろうか。

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ブギウギ:村山トミの来訪

2月5日からのブギウギは、愛子が誕生してから3か月後の出来事が描かれていた。
愛助を失った失意はまだ癒えないが、愛子の育児にまったなし。
スズ子は、子育てに忙しい毎日を過ごしていた。

そんな時、マネージャーの山下(近藤芳正)が尋ねてくる。
そして、「そろそろ仕事を始めてみませんか」と提案した。
だが、スズ子の日々の生活はそれどころではなかった。

そんな時に、今度は坂口(黒田有)がスズ子の家にやって来て、愛助の母(愛子の祖母)が大阪からスズ子に会いに来ると伝えた。

村山トミが、スズ子に話した内容

スズ子の家にやってきたトミは、『自分は、間違っていたかもしれない』と語る。

愛助は、最後まで あんさんと夫婦になる言うて 死んでいきました。
あては、最後まで許さなんだ。(私は、間違っていたかもしれない)

お母さんは 間違ごうてないと思います。
…… ……。
愛助さんも、間違いやないと思います。

家族や夫婦に、間違いなんて あらしまへん。

こんなん、言えた義理やないし、恥を忍んで言いまっけど、
この子を、引き取らせてもらえまへんか。

この子は、愛助の子や。わての最後のわがままや思うて、聞いてもらえまへんやろか。

愛子は わてが育てます。

そう言うと思いましたわ。

そやけど、男親なしで育てるのは、並大抵やないで。
わても 早ように旦那を亡くしましたけど、世間の目は冷たい。
わては、『何くそ』思うて、立ち向かっていきましたけど、
あんさんは… …、わて以上に向かっていきそうやな。

そんなことあらしまへん。
もう とっくに 大変で…。
毎日、泣いてますわ。

そやけど、『もうあかん』思うたら、その時は、
どうか 助けてください。

当たり前や。孫やで。
それに、あんさんとわては おんなじ男を とことん愛した仲や。

また、歌ってくださいね。
あんさんの歌を 愛助も天国で楽しみにしていると思いますわ。
それにな、わても  あんさんの歌  ファンや。
あくまで歌やで。

こう言ってトミは帰って言った。

ブギウギのトミも、史実の吉本えいも、愛子(ヱイ子)が生まれた時点では二人の結婚を認める気になっていたろう。

だが、スズ子(笠置)の方が逆にそれを拒んだのかもしれない。
『吉本に頼らず、愛娘を一人で育てていく決意を固めた。』
そう思える。

そして、ブギウギの世界では、「せい」の訪問を機にスズ子は歌の世界へ帰って行くことになる。
ついに、『東京ブギウギ』の完成まじか。

そして、ブギウギの第一話の場面に繋がる。
はたして、史実はどうだったのだろうか。

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