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「倭」は「日本」なのか

倭
目次

「倭」は「日本」か

「倭」が「日本」になったのか。それとも、「倭」と「どこか」が争い、どちらかがどちらかを併合して、「日本」が生まれたのか。

『旧唐書』には、

『日本国は、倭国の別種なり、その国は日辺に在る故をもって、日本をもって名となす。』
 あるいはいう。
倭国は自らその名の雅(みやび)やかざるを悪(にく)み改めて日本となす。』
 あるいはいう。
日本もと小国倭国の地を併(あわ)す。その人で入朝する者多く、自ら矜大(きょうだい・おごり高ぶること)で、実をもって対(こた)えず。故に中国これを疑う。』

とある。

え、倭と日本は別の国なのか?
でも、「或いは言う」「倭が日本と名を変えた」と書いてある。
では、「倭」と「日本」は同じ国か?

さらに「或いは言う」「小さい国だった日本が倭を併合した」?
これどういうことだ。
違う意味のことを、並列で述べている。どういうことだ?

日本人の大雑把な「倭」と「日本」のイメージ

 神話などの古代の話に出てくる「出雲の国譲り」、「邪馬台国の卑弥呼」、「漢委奴国王印」、「神武東征」などの話から

 倭人が数十から百余国の国をつくって暮らしていた。その中には「奴国」などが西暦57年に、後漢など中国に使節を送っていた。しかし、戦争などがおこるので、西暦240年代には女王を立て、いくつかの国がまとまった。
 やがて、九州にあった国が東征し、近畿に入って少しの戦いと話合いの結果「やまと」を建てた。
 それまで国号は、「倭(やまと)」を遣っていたが、「倭」の字の意味が余り良くないので、国号を「日本」に改めた。

 「倭」と「日本」の関わりについて、大雑把に上記程度のイメージを持っている方が多いのではないか。

 しかし、本当のところはどうなのだろう。

①「倭」が名前を変えて「日本」になったのか。
②「倭」が「日本」の地を乗っ取り、その場所に居座って「日本」を名乗ったのか。
③「日本」が「倭」を滅ぼして、「日本」を名乗ったのか。または、その逆か。

新旧『唐書』は、『「倭国」と「日本」の関係』をどう記述しているか

 『「日本」が「日本」になったのはいつか』では、『「倭国」と「日本」は同じ国』、『「倭」がそのまま「日本」になった』という前提で話を進めた。

 しかし、『倭』と『日本』は、そもそも同じ国なのか、それとも違う国で『どちらかが、どちらかを吸収合併』して誕生したのが「日本」なのか、という大問題がある。

中国の史書にはどう書いてあるか

尚爺まとめ:中国史書に載る日本国名の変化

 日本の歴史なのだが、日本を語るとき、どうしても中国の歴史書を見ることになる。
 これらを見ると、隋の時代までは、倭伝、倭人又は倭国伝(隋の時代の「俀」は「倭」の略字、又は誤記か?)であり、「日本」表記は見えない。
「日本」表記が見えるのは、『旧唐書』からである。それ以後の「宋書」「元史」「新元史」「明史稿」「明史」は「日本伝」とある。

『旧唐書』の記述

旧唐書とは、
 ウィキペディアによると、完成と奏上は西暦945年(開運2年)6月。初唐期に情報量が偏り、晩唐期は記述が薄いなど編修に問題があるとして、後世の評判は余り良くない、とある。

 そのため、北宋時代(西暦1060年)に新唐書が再編纂された。しかし、ただ、簡略化さしたり、詔勅の文章を古文に改変したり、明らかな誤りも見られるため、史料的な価値では『旧唐書』に及ばないとされる。

 その『旧唐書』中の『倭国伝』に、『倭国は古には倭の奴の国なり~世々中国と通ず』

とある。

 次に、『倭国伝』とは別に『日本伝』が設けられている。そこには、

日本国は、倭国の別種なり、その国は日辺に在る故をもって、日本をもって名となす。』
 あるいはいう。
倭国は自らその名の雅(みやび)やかざるを悪(にく)み改めて日本となす。』
 あるいはいう。
日本もと小国倭国の地を併(あわ)す。その人で入朝する者多く、自ら矜大(きょうだい・おごり高ぶること)で、実をもって対(こた)えず。故に中国これを疑う。』

 とあるのだ。

 要約すると、

① 『倭国と日本は別の国』『日辺にあるから日本と号した』
② 『倭国が、日本に国名を変えた』
③ 『元々は小国であった日本が、倭国を併合した』
  『矜大、実無し、日本人信じられない』

 しかし、①と③は同じことではないか。つまり、こうなる。

①・③「倭国と日本は別の国」で、「小国日本倭国を併合して『日本』となった」
②「倭国と日本は同じ国」で、「倭国が、日本国に改名した」

『新唐書』の記述

『新唐書』は、仁宗の嘉祐6年(1060年)の成立とされる。つまり『旧唐書』の115年後ころ成のものだ。
『新唐書』には、『倭国』という言葉が載っていない。『日本伝』のみ。その『日本伝』に『日本は古の倭の奴なり』とある。

 さらに、咸享元年の遣唐使の記述がある。

「咸享元年、使を遣わし高麗を平らげたるを賀す。」


 咸享元年、つまり西暦670年、日本で言えば天智朝の9年に当たる年に遣唐使がやってきた。
 唐は、西暦668年に高句麗を滅ぼしているので、「唐が高句麗を平定したことを祝って使を送ってきた」というわけだ。

『後やや夏音を習い、倭の名を悪(にく)み、改めて日本と号す』

『後』が「どのくらい後を指すのか」については別問題とし、その時の『使』は二つのことを語っている。
 一つは、

『日本国は、日出処に近いので、それをもって、『後』(倭から)『日本』と国号を変更した。

 二つ目、

『あるいはいう。日本すなわち小国、併わせるところとなす。故にその号を冒す。使者情をもってせず、故にこれを疑う


 「小さい国で日本という国があった。その日本が『倭によって併合された。』と。


『新唐書』の記述内容は、『旧唐書』とまったくだ。「小国日本が、倭によって併合された」と言うのだ。

『旧唐書』と『新唐書』の記述内容が全く逆!

 新旧「唐書」とも

①『倭』と『日本』は同じ国。国号『倭』から後に『日本』へ改号した。

の部分は同じ。しかし、

「旧唐書」⇒倭奴国→ 倭国→ 日本国
「新唐書」⇒倭奴国→日本国

 となっている。

『旧唐書』では、
①『倭奴国』が『倭国』となり、さらに『日本国』となったとし、


『新唐書』では、
②「倭奴国」が「倭国」であり、「倭国」が「日本国」となったとする。

『倭国』の前身が『倭奴国』という認識は、唐の誤解か

『漢委奴国王印』が志賀島で見つかっている。おそらく『奴国』は、九州にあった。ただし、『倭』は、いくつかの国の集合体。『倭奴国』一国が、『倭』のはずがない。

57年倭奴国王が後漢に使いを送り、光武帝より「漢委奴国王」の金印を受け取る(志賀島出土金印)
ウィキペディア:歴史年表より

 西暦57年に、『奴国』の「使』が、後漢を訪れたことは間違いない。『奴国』は古い時代から中国に「使」を送っていたので、それを後の人間である「唐」人は『「奴国が倭そのもの」と誤解した』と思う。

 『後漢書』『魏志』『晉書』は、倭人の百余国の中で、三十国中国王朝と通交していたと書いている。
『魏志』「倭人伝」が書く「倭国」は、倭人の国百余国のなかで卑弥呼または壱与女王が統治する20~30国のことであり、「奴国」のみが「倭」ではない。

『倭』が「やまと」なのか「邪馬台」なのかは別の問題として、『倭国』は、『倭奴国』など、いくつかの国がまとまって『倭』である。新旧『唐書』の記述内容のこの部分は、信用できない。

私見では、以下のように思う。

『「倭(連合国)」→「日本」』

新旧『唐書」で全く逆の『日本と倭は、もともとは別の国だった』説

 新旧「唐書」の、『日本と倭は、もともとは別の国』説を見る。こちらも新旧「唐書」で内容が違っている。
それぞれ次のように記述される。

「旧唐書」⇒日本舊小国 併倭国之地
「新唐書」⇒日本乃小圃 爲倭所并 故冒其號

つまり、

「旧唐書」小国日本が倭を併合したため
「新唐書」倭が小国日本を併合したため

『「倭」と「日本」は別国なのか』について、新旧『唐書』以前に書かれた中国の史書

『唐暦』中の「倭」と「日本」

『旧唐書』以前に成立している本に『唐暦』がある。
『唐暦』とは、760年から779年の間のどこかで編集された歴史書である。『旧唐書』の150年以上前に書かれていることになる。

 この『唐暦』には、

「此歳(長安二年・702年)、日本国、其の大臣朝臣真人を遣はして方物を貢す。日本国は倭国の別名なり。朝臣真人はなほ中国の地官尚書なり。頗(すこぶ)る経史を読み、容姿は温雅、調停之れを異とし、拝して司膳員外郎に為す」

とある。

 この史料では、「日本国」は「倭国」別名とある。
 さらに『通典』にも、『「日本国」は「倭国」別名』と言う記述が見られる。


 こうみると、中国の史書は、「別名」「別種」のどちらかを、どちらかと間違えたとも思える。しかし、今となってはどちらが正しいのか結論は出ない。

新旧『唐書』の倭国と日本国の併合記事についての解釈 

 『倭』がそのまま『日本』になったのか、それとも新旧『唐書』の中にもあるように、『倭』と『日本』はもともとは別の国で、どちらかがどちらかを併合したのか


『倭』と『日本』はもともとは別の国で、どちらかがどちらかを併合したとする説には、次のような説がある。

【『倭』と『日本』】
①熊襲と大和朝廷(本居宣長・増村宏)
② 九州邪馬台国と大和朝廷(喜田貞吉・森克己・飯島忠夫)
③ 九州邪馬台国と日下の物部政権(谷川健二)
④ ヤマト王権と東国日高見国(高橋富雄)

『騎馬民族征服説』の江上波夫は、小国日本が倭国を併合したと書く『旧唐書』の説に拠る。対して、高橋富雄や飯島忠夫は、逆に倭国が小国日本を併合したと書く『新唐書』に拠っている。

「倭」から「日本」となった九州王朝を小国の天皇家が併合したとする説

 この説は、

倭国と日本のどちらかが一方を併合したということではなく、倭国と日本は同じ国と考えることが前提。
その上で、倭国から日本に改号した九州王朝を、旧小国の近畿天皇家同化し「日本」となったと解釈している。

のだと私は解釈した。

 この説を『「旧唐書」のみを論拠として、「新唐書」を論拠としない』から『問題外』とする意見もある。
 しかし、『「併合」では無く「同化」』という概念は、日本人的な解釈と思える。

『新唐書』はなぜ、『「倭国」が「日本」を併合した』と書いたのか

 杉本直次郎・友田吉之助・井上秀雄・庭伊豆太郎らは、『新唐書』の記事は『王年代紀』を参考にして書いたとみている。『王年代紀』とは、984年に東大寺の僧奝然(ちょうねん)が中国に伝えた。
『王年代紀』の初代天皇神武の筑紫から大和への東征が書かれている。『新唐書』は、それを参考に、「倭が小国日本を併合した」と、『旧唐書』と真逆にした、とする。

唐の人は、なぜ日本の使者の言葉を疑ったのか

『旧唐書』「日本国伝」に

其の人で入朝する者、多くは自ら矜大(きょうだい)で、実を以て対(こた)えず、故に中国これを疑う

 これはどういう意味だろうか。 

 古来より、「矜大」とはどういう意味と解すべきかという議論がある。日本語の意味としては、「尊大な様」ということになる。
『新唐書』「日本伝」に「日本の国土について大きく大げさに言った」ことを指して「矜大」だという東洋史学者の増村宏氏などの説もある。

「矜大」に関する私見

 だが、ここでいう「矜大」は「尊大」とか「偉ぶっている」とかという意味とは違うように感じる。

『日本国は、倭国の別種なり、その国は日辺に在る故をもって、日本をもって名となす。』
 あるいはいう。
倭国は自らその名の雅(みやび)やかざるを悪(にく)み改めて日本となす。』
 あるいはいう。
日本もと小国倭国の地を併(あわ)す。その人で入朝する者多く、自ら矜大(きょうだい・おごり高ぶること)で、実をもって対(こた)えず故に中国これを疑う。』

 「矜大」を解釈する上で、「或いは言う」「或いは言う」という言葉がとても気になる。

 筆者は、聞いたことを筆記するに当たり、「或いは言う」「或いは言う」と繰り返している。
 これは、サンドイッチマンの決まり文句、『ちょっと何言ってるか分からない。』という意味なのではないか。

サンドイッチマン

「日本は倭の別種だとか、別名だとか」
「倭が滅んでもいないのに、名を日本に改めただとか」
「倭が日本を併合したのか?、日本が倭を併合したのか?」
 ああ言ったり、こう言ったり、「ちょっと、何言ってるか分かりません」

 「矜大」とは、こういったニュアンスなのではないか。

中国人の感覚と、日本人の感覚の差

 日本人の説明をいくら聞いても、中国人が理解できないのは『感覚の差』による。

中国で国名が変わるのは、前王朝を徹底的に根絶やしにして滅ぼした時

 ところが日本では、一族皆殺しによる王朝の交代はない。

融和による、同化

 神話でもそうだ。天孫族は、出雲族を根絶やしにしたわけではない。婚姻関係を結び、同化している。
 このようにして万世一系を保ってきたのが日本だ。

 中国の人間は、日本に対するこのような基本認識が無かっただろう。

「倭」の字の意味がよくないので、日辺にある国なので「日本」と改めます。 

では、「倭」が滅びて、新たに「日本」が建ったのだな。

いえ、「倭」が東進しました。そこで「日本」となりました。

では、やはり「倭」が滅びたと言うことか?
そして、新たに「日本」が建ったと?

いえ、婚姻し一緒になりました。

どういうことだ?「倭」が「日本」を併合したのか?
それとも「日本」が「倭」を併合したのか?

いえ、「倭」と「近畿」は、同じ倭種です。合わさって「日本」を名乗ります。

何を言っているか分からん。「日本」の使者は、我々を煙に巻こうとしているようだ。どうも信用ならん。

 これが、

自ら矜大、実をもって対えず。故にこれを疑う。

 の意味なのではないか。
 残念ながら、中国人には、「滅ぼすこと無く国が続く」ということが理解できない。
 日本人の万世一系が理解できなかったことが、上記の言葉になり、一読して日本人には意味が通じない「或いは言う」の連発となったという説はどうだろう。

つまり、
「倭」と「日本」は同じ国。遣唐使たちは一生懸命説明を試みた。

我々の国は『「倭」が国号を「日本」と改めた』万世一系の国である。

 

倭

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