MENU

豊臣兄弟11話「本圀寺の変」史実と小一郎の奮闘を元教師が読む

こんにちは、なおじです。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第11話「本圀寺の変」、観ましたか?

豊臣兄弟!11話・本圀寺の変は、教科書に載らないのに、戦国史の”急所”ともいうべき事件なんですよね。

三好三人衆、松永久秀、そして小一郎の活躍。

どこまでが史実で、どこからがドラマの演出なのか。

元社会科教師のなおじが、じっくり読み解いていきます。

🖊️この記事でわかること

  • 本圀寺の変とは何か・なぜ教科書に載らないのか
  • 三好三人衆と松永久秀の正体と史実
  • 小一郎の行動はどこまで史実に基づくのか・堺と鉄砲の真相

👉関連記事:豊臣兄弟!秀長の真相|史実と全話感想で読み解く補佐役の実像【ハブ記事】

目次

本圀寺の変とは何か?1569年・教科書が省いた転換点

永禄12年1月・将軍の仮御所を三好軍が包囲

本圀寺の変は、永禄12年(1569年)1月5〜6日に起きた事件です。

三好三人衆が、将軍・足利義昭の仮御所である京の本圀寺を突然包囲・襲撃しました。

信長が前年の永禄11年(1568年)に義昭を担いで上洛を果たしたのは有名な話ですよね。

ところが信長が京を離れた直後に、この事件が起きるわけです。

“急所を突く”という意味では、三好三人衆はかなり鋭い動きをしていたんです。

なぜ教科書に載らないのか――学習指導要領が教えてくれた理由

答えはシンプル――指導要領に載っていないから

「本圀寺の変」が教科書に載らない理由は、実はシンプルです。

学習指導要領およびその解説書に記載がないから、当然教科書にも載らない。

それだけなんですよね。

中学校の歴史学習の目的は「歴史の大まかな流れをつかむこと」です。

重箱の隅をつつくような細かい知識まで要求しているわけではない。

そういう方針ですから、信長の上洛と本能寺の変は載っても、その間に挟まったこういう攻防戦はカットされます。

これは教科書が「悪い」のではなく、学習の優先順位として仕方のないことでもあるんです。

「隙間知識」として授業で使っていたなおじ

ただ、なおじの場合は授業の合間の「隙間知識」として、こういう話を少しずつ取り入れてきました。

正直に言えば、こういう”中間の出来事”を知らないままだと「なぜ信長は本能寺で殺されるのか」という問いへの答えが薄くなってしまう気がするんですよ。

でも、それをやっていると授業時間が足りなくなってしまう‥。

指導要領どおりに進めるか、深く掘り下げるか。

35年間、ずっとその板挟みでした。

大人だから楽しめる歴史の奥行き

ドラマ「豊臣兄弟!」がここを丁寧に描いてくれていることは、元教師として本当にありがたい。

学校では教えきれなかったことを、ドラマが補ってくれている感じがします。

これが「大人の歴史の楽しみ」というやつですよね。

変の結果――信長はどう動いたか

本圀寺の変は、義昭側(室町幕府方)が守りきって終わりました。

報せを受けた信長は急遽京に引き返し、その後、より堅固な「二条御所」の建設に着手します。

また、これが後の信長と義昭の関係悪化の遠因にもなっていきます。

ただ教科書的には「信長が将軍義昭を追放した」という結果のみが記述されるため、こういう積み重ねの経緯が見えにくいんです。

三好三人衆と松永久秀――戦国の”濃い脇役”を元教師が語る

三好三人衆の正体と実力

三好三人衆とは、三好長逸(みよしながやす)・三好宗渭(みよしそうい)・岩成友通(いわなりともみち)の3名です。

三好長慶が没した後、かつての三好政権を支えた実力者たちで、畿内に強大な勢力を持っていました。

しかも永禄の変(1565年)では13代将軍・足利義輝を暗殺するなど、過激な行動でも知られています。

つまり「前の天下人グループの残党」が、新たな天下人・信長に徹底抗戦したのが本圀寺の変の構図です。

名前読み役割・特徴
三好長逸みよし ながやす三人衆のまとめ役的存在
三好宗渭みよし そうい(政康とも)武力的な実力者
岩成友通いわなり ともみち城主・攻撃の先陣を担うことも

なおじが社会科の授業をしていたころ、戦国時代の脇役を取り上げると生徒が一番食いついていたんですよ。

主人公より複雑な人物のほうが、若い人の心には刺さりやすいんですよね。

“戦国のボンバーマン”松永久秀とは

今回、竹中直人さんが本格登場した松永久秀。

三好三人衆とは時に対立し、時に協力するという複雑な立場の人物です。

信長に茶器「九十九髪茄子(つくもなす)」を差し出してすり寄りながら、最終的には2度も反旗を翻す男。

善悪だけで語れない、戦国随一の”食えない武将”ですよね。

授業での発問を思い出します。「松永久秀をひと言で表すとしたら?」と生徒に問いかけると、毎回クラスが活気づいていました。

👉関連記事:時代劇・時代考証の見方ポイント

小一郎の坊主変装は史実か?ドラマと記録の差を検証する

「史実に記録がない」とはどういうことか

ドラマでは小一郎(仲野太賀)が坊主に化けて本圀寺に潜入する、という場面が描かれていましたよね。

なおじの知る限り、こういうエピソードは一次史料(信長公記など)には記録されていないと考えています。

信長公記では、本圀寺の変の防衛戦で活躍したのは明智光秀らの奉公衆とされており、藤吉郎(後の秀吉)や小一郎の直接的な関与の記録は確認できません。

ただし、「史料に記録がない=実際になかった」とはイコールではないんですよね。

戦国時代は文書に残らない出来事が多く、後世の軍記物に伝わった逸話が史実のように語られることも珍しくありません。

小一郎が将軍を諭した台詞――あり得るか

小一郎が足利義昭に直言するシーンは、ドラマとして非常にかっこよかったです。

ただ、史実として見ると「百姓の出身の小一郎が将軍に意見する」という場面は、永禄年間にはほぼあり得ないでしょう。

この時期、藤吉郎・小一郎兄弟はまだ信長の配下で地位を固めている最中だからです。

しかし、だからこそドラマとしての面白さがある。

なおじはあのシーンで思わず声が出ました(笑)。

史実ではあり得ないと分かっていても、「かっこええ!」ってなってしまうのがドラマの力ですよね。

「諭す声 百姓なれど 天を射る」

👉関連記事:豊臣兄弟10話・1568年の信長上洛・光秀初登場と史実

堺を押さえる意味と鉄砲横取り話の史実

自由都市・堺の独自性とは

という都市は、戦国時代の日本においてきわめて異例の存在でした。

武士が支配するのではなく、「会合衆」と呼ばれる豪商グループが自治を担う都市だったんです。

応仁の乱以降、東南アジアとの南蛮貿易で巨富を蓄え、国際的な商業都市として機能していました。

信長が「矢銭二万貫を納めろ」と命じたのは、単なるカネ集めではありません。

堺を押さえることは、鉄砲の調達ルートと貿易の利権を一手に握ることを意味したんです。

信長はその後、長篠の戦いで有名な鉄砲の大量運用を実現しますが、その背景に堺の支配があったことは見逃せませんよね。

「鉄砲横取り」エピソードは史実か

「信長が購入しようとした鉄砲を三好が先に買ってしまった」というエピソード、なおじも何度かドラマで見てきました。

みなさんも、そうですよね。

結論から言うと、このエピソードが具体的な一次史料に記録されているかは現状確認が難しいのが正直なところです。

ただし、三好政権がかつて堺を直轄支配していたことは事実で、鉄砲の流通に強い影響力を持っていました。

信長が上洛する以前、堺は三好の勢力圏にあったわけですから、「鉄砲調達で三好と信長が競合した可能性」は十分にあり得ます。

**「一次史料には明確にないが、当時の状況と矛盾しない逸話」**と理解するのがなおじの見立てです。

Q&A:読者から寄せられる豊臣兄弟11話の疑問5選

Q1:本圀寺の変の結果は?その後どうなったか

A: 本圀寺の変は義昭方の勝利に終わりました。

報せを受けた信長は急遽京へ戻り、その後、より堅固な「二条御所」の建設を開始します。

一方で、三好三人衆はその後も抵抗を続けますが、信長の畿内支配が固まるにつれて次第に弱体化していきます。

豊臣兄弟!11話でも描かれていたように、信長不在の隙を突いた攻撃でしたが、歴史の流れを変えるには至りませんでした。

Q2:松永久秀は最終的にどうなったか

A: 松永久秀はその後、信長に対して2度反旗を翻します。

天正5年(1577年)、信貴山城に立て籠もった久秀は自ら爆死するという劇的な最期を迎えました。

「名物の茶釜もろとも自爆した」という話は有名ですよね。

竹中直人さんがこれをどう演じるか、今から楽しみじゃないですか。

Q3:三好三人衆はその後どうなったか

A: 本圀寺の変の失敗後も三好三人衆は抵抗を続けますが、信長の畿内支配が固まるにつれて歴史の表舞台から退場していきます。

三好長逸は一定期間消息が確認されていますが、三好宗渭・岩成友通は天正年間に信長との戦いで没したとされています。

教科書には載らない人々ですが、戦国史の”転換期”を作った存在として記憶しておいてほしいですよね。

Q4:豊臣秀長(小一郎)は実際にどんな人物だったのか

A: 豊臣秀長は「彼が長生きしていれば豊臣家の天下は安泰だった」とまで言われた人物です。

内政・調整能力に優れ、兄・秀吉の武力外交を陰で支え続けた「天下一の補佐役」ですね。

👉関連記事:豊臣秀長プロフィール・史実

Q5:堺の自治はいつまで続いたか

A: 信長が矢銭を要求し実質的な支配を確立したことで、堺の自治は大きく制限されました。

その後、豊臣秀吉の時代に直轄地となり、かつての自由都市としての独自性は完全に失われていきます。

あの時代、堺という都市は「日本のどこにもない特別な場所」だったんですよね。

それがゆっくりと消えていく過程も、このドラマは描いていくんじゃないかなと思っています。

あなたは今回の11話、どのシーンが一番印象に残りましたか?

コメントで教えてもらえると嬉しいです。

Q6:本圀寺の変が信長と義昭の仲を悪くしたのはなぜか

A: 実は、変そのものが直接の原因というより、変をきっかけに信長が動き始めたことが問題でした。

変の後、信長は義昭のために二条御所の建設を主導します。

「将軍を守るための御所」に見えますが、裏を返せば「将軍の住まいを信長が管理する」ということなんですよね。

さらに信長は「殿中御掟」を義昭に突きつけます。

将軍が諸大名に命令を出す際は信長の承認が必要、という内容で、これは事実上、将軍の権限を信長が制限したということです。

もともと義昭は「幕府を自分の手で再建したい」という理想を持っていました。

一方、信長は義昭を「勢力拡大に利用できる将軍」として担いでいた。

最初は利害が一致していたから仲良くできていたのに、本圀寺の変を境に信長の管理が強まり、その矛盾が一気に表面化していったわけです。

「守ってもらうほど、縛られていく」――義昭の立場からすると、なんとも複雑な関係でしたよね。

👉関連記事:本能寺の変:なぜ裏切った!光秀の後ろには黒幕がいた説

筆者紹介|なおじ

なおじは、茨城県の公立小・中学校で社会科教師を35年、その後校長を11年務めました。

現在は茨城県大洗に在住し、フルタイムのブロガーとして活動しています。

現在は8つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を書いています。

今回の記事のコンセプト

「教科書に載らない歴史ほど、面白い」――それがこの記事を書いた理由です。

👉関連記事:豊臣兄弟!秀長の真相|史実と全話感想で読み解く補佐役の実像【ハブ記事】

三好三人衆

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次