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水戸光圀が創った 前期水戸学「水戸学を一言で言うと」NO1
水戸学を一言で言うと「尊皇の立場からの歴史学、及び思想と行動学」 水戸学は、前期水戸学と後期水戸学に大きく分かれます。前期水戸学は、「列」と「伝」。つまり個人中心の歴史、思想学です。後期水戸学は、「志」と「表」つまり、制度史中心。水戸学は、個人学から組織学へ移ります。 そして、それをつなぐ中期水戸学。「中国の学問思想中心」から「日本とは」という視点に移ります。 - 水戸学
水戸学NO3:水戸学は南朝正統論「茨城になぜ楠木神社があるのか」
水戸学の三大特筆としてあげられる歴史上の難問は、「神功皇后に関する評価問題」、「大友皇子に関する評価問題」、そして、「南北朝正閏論(南朝と北朝どちらを正統とするか)」という三つの難問です。水戸学は、「南北朝正閏論」で「南朝を正統」としているという特筆があります。茨城には、京から遠く離れているにもかかわらず、楠木正成公を祀る「楠木神社」があります。このブログでは、南朝正統論と茨城の楠木神社の関わりについて、述べます。 - 水戸学
水戸学と、会津の日新館の教えはどう違うのか
政治家など人の上に立つ者が、私利私欲だけで動いたら国は成り立たない。エリートがエリートであるためには、人格的にも高潔で優れている必要がある。 江戸期、武士は当時の人口の約7%程度だった。そして多くの武士は人間として洗練されていた。それは当時の教育に負うところが大きい。 会津の「什の掟」も当時の高潔な人間を育てる貴重な掟、そして教えだった。 - 水戸学
深作安文は「水戸学」を『皇室中心の国民道徳論』と捉えた
『「水戸学」は科学という意味ではない。』 深作氏は、このように指摘します。 水戸学は、歴史学などの「社会科学ではない」ということでしょうか。それは無いと思いますので、 水戸学は、単純な社会科学という枠には収まらないという意味だと理解しました。 - 水戸学
宗教問題に苛烈に取り組んだ水戸学の祖 徳川光圀 水戸学NO2
光圀の時代も人々から多額の金を巻き上げる宗教団体がありました。光圀はそれらに苛烈に対処します。合理主義による苛烈な宗教対策は、やがて明治期の廃仏毀釈につながります。
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