- 日本らしさ
忍城主 老中阿部忠秋は 癇癪持ちの3代将軍家光をどうやって諭したか
武蔵の国現在の埼玉県、 八万石の藩主だった阿倍忠秋(1602~1675)、3代将軍徳川家光と4代家綱を補佐した老中で、温厚な人物として知られている。その忠秋の逸話『湯殿坊主久庵の処罰の顛末』で語る「短期は、損気」 - 日本らしさ
逆境を耐え忍んだ黒田家四代(重隆・職隆・官兵衛・長政)
黒田家4代の例話。黒田重隆(しげたか)は黒田官兵衛(如水)の祖父である。重隆は家勢が傾いた黒田家を立て直す。農家に間借りするほど落ちぶれた黒田家を、目薬屋として財を成し、その財をもとに小寺政職に仕える。黒田家は、その後官兵衛孝高、長政と歴史に名を遺していく。 - 歴史雑感
自分に勝つ 源義経と平維盛の差
富士川の戦いで平維盛は、自らの心に負ける。対して一ノ谷の鵯越で義経は次のように言う。「敵に勝つためには、先ず味方に勝たねばならない。味方に勝つというのは、自分に勝つと言うことだ」と。日本の心を学び守ろうとする者は、義経の言葉を心に留めて置きたい。 - 歴史雑感
佗茶の心と美意識:千利休少年時代の非凡さと武野紹鴎の慧眼
佗茶は戦国時代村田珠光(じゅんこう)によって起こる。簡素で簡略化された空間の中に、日本的なわび・さびの精神を重んじる。珠光は、茶の湯は心の修養であると述べる。さらに武野紹鴎(じょうおう)が佗茶の芸術性を高め、千利休が完成させる。 「常に今が勝負の時」研ぎ澄まされた心をもつが、客にそれを感じさせず、客は、主人の感じさせない心遣いを感じ取る。 - 戦国時代
斎藤道三が学んだ中国の兵法書「六韜」
斎藤道三は、中国の軍学書「六韜」を愛読した。その中でも特に「虎韜」中の「武力に依らず敵を倒す12の法」を実践に用いて美濃一国を手中にした。自分が使うためと言うより、人にだまされないために虎韜の12か条を知っていて損はない。 - 新聞雑感
米軍は中国に勝てるのか
米軍が弱体化し、「このままでは中国に負ける」という冷徹な現実を突きつけられている、と述べる黒田氏。戦えばほぼ勝と述べる桜井氏、どちらが正しく、日本はどうすれば良いのか。 - 新聞雑感
美しき勁き国へ 櫻井よしこ氏の『政治主導国防費純増を』
米シンクタンクの戦略国際問題研究所が台湾をめぐって米中戦争が2026年に戦争が起こるとしてシュミレーションし、結果ほとんどの戦いで米台側が勝利する予想がでた。しかし、米国の国際社会における地位は損なわれる。当然、日本も同様の状況に国力が著しく低下する。国を守るためどうすべきか、議論を避けるべきではない。 - 戦国時代
北条早雲 家訓21か条
北条早雲は、自らは北条姓を名乗ったことは無く、伊勢宗瑞など「伊勢氏」を名乗り続けた。「北条」を名乗るのは、子の氏綱の代になってからだった。 現在一般的に「北条早雲」という名で知られるが、自らは伊勢新九郎盛時、伊勢宗瑞、早雲庵宗瑞を名乗った。その早雲の遺した21か条の家訓とは。 - 日本らしさ
家康、江戸を建てる 伊奈家3代、4人の物語
利根川の流れを変え、江戸を創った伊奈家3代(4人の男たち)の物語。伊奈家の男たちは、実に60年、3代にわたる長い時をかけ、江戸湾に注ぎ込んでいた利根川の流れを現在の流れに変えた。「臆病で良いのです」緻密に、堅実に、粘り強く取り組む信念が人々の暮らしを変える。読後感の爽やかな物語。 - 歴史雑感
江戸を創った悲劇の武将太田道灌の素性
悲劇の武将といわれる太田道灌とは、どのような武将だったのか。江戸城に招かれた僧、万里集九は「文も武も備えた人物」と称した。まるで水戸学の「文武不岐」を地でいく人物だ。