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『自利利他』、日本の心を生み出した『空海』

空海

 天才といわれる人でも、ゼロから創造する人は少ない。日本人は、『真似から独自のモノを生み出す』能力に長けている。柔軟性があるのだ。

 しかも、元のモノを遙かに越える日本的な『日本風土に馴染むモノ』、日本的な『文化』として完成させる。

 この柔軟性は、歴史的にも数々見られる。仏教界・思想界の大天才『空海』も、その一人だ。
 空海は、インド密教と中国密教から、日本独自の「日本密教」、そして『自利利他』という日本の魂を生み出した。

目次

大天才『空海』は、インド密教と中国密教から『日本密教』を生み出した

染谷将太の空海:エンペラーモウションピクチャー(ウィキペディア)

空海について

 空海が生きたのは、西暦774年〜835年(宝亀5年~承和2年)

 讃岐多度郡( 香川県善通寺市)に生まれる。空海の本姓は佐伯氏。15歳で上京、18歳で「大学」に入学。しかし、すぐ学業を放棄し、各地で修行する日々に入る。804年、私費留学生として唐に渡る。

 翌年、青龍寺の恵果(けいか)に師事し、真言密教の第八祖を継ぐ。806年に帰国。816年、高野山開山の勅許を得た。

 823年、東寺(教王護国寺)を与えられ、そこを真言の根本道場とした。828年、付属機関として私立の綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創設。弘法大師。

儒教を学ぶ『空海』が、なぜ仏教徒となったのか

 空海は修行遍歴中の24歳のとき、『三教指帰(さんごうしいき)』を書く。ただし、最初の題名は『聾瞽指帰』(ろうこしいき)であった。空海自筆とされるものが現在も金剛峯寺に伝えられて国宝となっている。

 50代になって、朝廷に献上することになり、そのときに書名を『三教指帰』に改めた。
 若いときに書いた『聾瞽指帰』(ろうこしいき)は、律令国家に対する批判的な色が見えた。しかし、50代に入り社会的立ち位置が変わったことで、つまり朝廷側に立つことで、反朝廷色を書き換えて消し、題名も『三教指帰(さんごうしいき)』と変えたようだ。

 内容は、三教( 儒・道・仏) の心髄【指帰とは、(説くところの帰結=真理)】 について、それぞれの立場からドラマ仕立てで闘わせる思想書である。

亀毛先生という儒者が言う。

 儒教は学問であり、忠孝、仁義礼信の徳を説く。孔子は『耕しても飢えることがあるが、学問すれば俸禄がえられる』と述べているではないか。徳について、ひたすら学びなさい。

 これに対して、虚亡隠士と言う道教の同士は、冷ややかに言う。

 儒教は、世上の成功を願う。つまり俗論に過ぎない。世俗の生活を振り返ってみなさい。世俗の人々は、貪欲に縛り付けられ、心は苦しみ、愛欲の鬼に呪縛され、精神を焼き尽くして苦しんでいるではないか。
 道教は、心に任せてのびのびと寝そべり、淡泊で無欲を旨としている。ひっそりと声なき「道」の根源的な真理と一体となり、天智と共に悠久の寿命を保ち、月日とともに生の快楽も永久に続くのだ。
 肉体を備えつつ永遠の生命を実現できる「神仙養生」の術を教えるのが道教だ。

 最後に仮名乞児が言う。この者は、風体からして異形である。

 人間は三界に家などない。人間は六趣に住んでいる。六趣とは、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」である。この六趣を時々に住んでいる。変化して止まないのだ。私も時に天に住み、時に地獄に住む。
 儒者よ、あなたは親に「孝」というが、親などという者がいるのか。人は常に輪廻転生しているのである。餓鬼や獣も、みな私とあなたの父母妻子なのだよ。始めもなく、終わりもない。次々に生まれ、死に、そしてまた生まれ、変化転生しているのだ。つまり、一切が無常。

 道士よ、無常の嵐は神仙を容赦しない。不老長寿の秘薬をいくら飲んでも、この世に引き留まることなどできはしない。私は、三界の呪縛の真理を知ってしまった。だから出家する。出家こそが最上の道である。

仮名乞児とは、つまり空海であろう。

この本は、思想書であるとともに、儒学の徒であった空海が、仏徒になるという宣言書でもあった。

垂直と水平

 空海や最澄は、当時の最新思想である密教を日本に持ち帰った。密教思想の核心について頼富本宏(よりとみもとひろ)氏は密教のキーワードは、「即身成仏」と「蜜厳国土」であると述べている。

 空海が学んでいた奈良仏教界では、 「三劫成仏さんごうじょうぶつ」 という考え方が主流だった。この考え方では、「人間は、 生きている間に悟りを開くことは不可能。 生まれ変わり死に変わり しながら徐々に悟りに近づく」と考えられた。

  しかし空海は、 「この世に生きているうちに成仏できなないものか」と考える。

 三劫成仏の 「劫」 とは、 古代インドの最長の時間の単位。非常に長い時間のこと。

 人が成仏できるには、 三劫というとてつもない長い時間を要するということだ。  大乗仏教について書かれた 『成唯識論(じょうゆいしきろん)』 にも、人間が 成仏するまで 三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)かかると書いてある。

 空海は、何とか生きているうちに成仏出来ないものか、という大疑問を抱いた。そして、ついに『大日経(正式名は、大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)』と出会う。

 それまで空海は、 自分の修行の力で成仏するものと思っていた。だが大日経との出会いにより、「 大日如来の加持力によって自分自身が成仏に導かれていくのだ」と悟る。

人間は、煩悩の身体を持ちながら、成仏できると知った。

 我らは生まれた以上、 必ず死ぬ身体を持つ、 煩悩具足の限りある存在である。 その限りある存在であるわれらが、 完全無欠の無限の悟りを得るということは、 大きな矛盾である。 三劫成仏と言わざるを得なかった奈良仏教の僧侶方はそれで悩まれた。 仏の悟りは絶対無限であるのに、 それを求める我ら衆生は相対有限の存在である。
 しかし、 自分が本当に煩悩をもった有限な存在であることを自覚すれば、 不思議にも自分と仏を隔てる分別が なくなる。 佛智に照らされて自分が有限な存在であると知らしてもらう。 知らしてもらうということは、 佛智を信ずる智慧をいただいたことになり、仏となることができる。

 『煩悩もその根源を尋ねれば、清浄な心に連なっている。 仏心と自分の心は 断絶していない』事を知った。

 密教は、 身体には印を結び、 口に真言をとなえ、 心に仏の本誓を思うことで仏になることが出来ると説く。

この考え方は、いかにも日本的だ。

どのような人間にも救いがあること。
自分自身を越える仏(何者か)が、自分たちを見守っていてくれる、と感じられること。

(仏=正しいと信じることを思い)良い言葉を吐くと、良い言葉が返ってくるものだ。

 私たちは、はすでに仏性を煩悩だらけの自分の身体の中にいただいている。 これから修行して仏性を求める、というわけではない。(本有修生)
 だから、仏になるために修行しているのではないという。

『忘己利他』 
 そこまで出来なくとも『自利利他』

 自分の中にある仏(正しさ)を見つけ、そのように行動する。
 行動できたら、さらにそこからまた始まる。

 これが『日本の心』であり、空海の教えなのかなと理解している。(博学卑賤の者の独りよがりの解釈かもしれませんが。)

尚爺

日本密教の基本

インド密教  仏と人の垂直関係

 聖なる者(仏など)と、俗なる者(人間)がある。

 この聖なる者と、俗なる者は合一できるという。

 聖と俗は、次元が異なるが垂直関係にあり、結び付いているとする。

 重要なのは、その結び付きは、あくまで可能性であるということ。

 結び付きを実現するためには修行が必要だとする。

「本有(可能性)の成仏」が「修生の成仏」となるとき、「即身成仏」といえる、と説明する。

中国密教

 中国の密教は、真理から離れ、常にその時々の政治や社会との関連に配慮してきた。
 大陸では、しょうがないか。

蜜厳国土

 本来の意味は、大日如来のおられる仏国土のこと。

 我々と、大日如来とは、本質的に異ならない。そうなると、人間の周囲に存在するすべての世界は、実は蜜厳国土ということになる。

 父母・衆生・国土・三宝(仏・法・僧)の恩を感じ、それぞれの関係を生かす世界。この関係を、同次元要素として、水平構造と説明する。

 空海を中心とする日本密教の中心思想は、仏とのつながりを見いだす即身成仏の垂直構造と、現実世界を理想的なものとしていく蜜厳国土の水平構造を統合したもの、というのが日本密教の基本だという。

空海も『論争の人』

 最澄と同じように空海も論争の人だった。主著は、「十住心論

 住心とは、心の世界のこと。動物的本能のままに生きる低次から高次まで10段階に分けている。

第八番目に、真実の大乗である天台宗を置き、
第9番目に、華厳宗までを顕教
第10番目の最高位に真言密教を置く。

 真言密教とは顕教を含み、さらに超越したものと説明されている。

 空海は、文章の達人、語学の天才であった。その才能の中には書もあった。嵯峨天皇、橘逸勢とともに三筆の一人に数えられている。

「今日は、良い行いが出来たかな」と振り返りつつ、記す。
 なんか、反省ばかり‥。

空海

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