令和8年7月25日 最終更新
小泉八雲の子孫は、令和の今も民俗学や芸術、デザインの世界でその魂を輝かせています。
朝ドラ『ばけばけ』をきっかけに、「八雲のDNAは今どう受け継がれているの?」「家系図はどうなっているんだろう」とワクワクしながら調べている方も多いのではないでしょうか。
今回は、4人のお子さんからひ孫・玄孫へとつながる美しい系譜と、今なお第一線で活躍する子孫のみなさんの姿を徹底解説!
八雲が愛した「怪談」への情熱が、現代にどう息づいているのかを熱く紐解いていきます。

👉関連記事この記事でわかること
- 「小泉八雲と妻・セツのあいだに生まれた「4人の子どもたち」が、どんな家族構成だったのか
- ひ孫の小泉凡さんや玄孫の守谷天由子(もりや・あゆこ)さんなど、令和の今を生きる子孫たちがどんな活動をしているのか
- 孫・ひ孫・玄孫へと紡がれてきた家系図の全体像と、「公に確認できる境界線」をどこに引くべきか
- 朝ドラ『ばけばけ』の物語と、実在する小泉家の家族史が重なる場面・すこしズレるポイントを、なおじ目線でたのしく比べていくこと
まず結論から答えます
Q1. 小泉八雲の子孫って、今も日本や世界で活動しているの?
ひ孫の小泉凡さんや玄孫の守谷天由子さんをはじめ、民俗学や芸術、デザインの分野で、今もそれぞれの場所から「八雲の物語」を生きている素敵な方たちがたくさんいる。
Q2. 『ばけばけ』のレフカダ・ヘブンと松野トキは、どこまで実在の夫婦と重なるの?
ドラマ自体は最高に魅力的なフィクションだけれど、八雲とセツの激動の家族史や、当時の瑞々しい暮らしを土台にした場面が随所にちりばめられている。史実と物語の“美しい重なり方”を意識しながら振り返ると、作中でのふたりの会話や沈黙のニュアンスが、驚くほど立体的に心へ響いてくる。
Q3. 家系図のどこまでが「安心して追いかけていい範囲」なの?
公式資料や記念館の記録、信頼できる複数のメディアで確認できる孫・ひ孫・玄孫、あるいは来孫あたりまでを一つの目安にするといいと思う。それより先の細かなプライベートについては、決して想像で埋めず「ここからはそれぞれの人生の領域」と潔く線を引いて楽しむこと。それこそが、なおじとして胸を張っておすすめしたい、家族の歴史への誠実な向き合い方だ。
『ばけばけ』で再注目された小泉八雲とセツ

ドラマの中のレフカダ・ヘブンと松野トキ
2025年後期の朝ドラ『ばけばけ』で描かれるレフカダ・ヘブンと松野トキの夫婦は、単なる「怪談作家とその妻」という枠には収まりません。
異国からやって来て、日本文化に深く惹かれていく“よそ者”のレフカダは、トキとの温かな暮らしを通じて少しずつ「ここが自分の居場所だ」と確信を深めていく人物として描かれています。
一方のトキは、最初から完璧なヒロインではありません。日々の生活の重さや家族を支えるプレッシャー、夫の少し風変わりな仕事への戸惑い――そうした感情を抱えながらも、「この人と一緒に生きていく」と腹をくくって歩き続ける姿が胸に響きます。
ふたりの何気ない会話や、ふっと訪れる沈黙の間合い、ささいな家事の場面にこそ、「生活をともにした人間同士」のリアルな息遣いが感じられるのではないでしょうか。
ドラマの中で、ふたりの関係はしばしば“すれ違い”と“理解”の間で揺れ動きます。怪談を追う夫と、生活を守る妻。異国の孤独を抱えた夫と、日本の町で生きる妻。
この愛おしい揺れこそが、のちに子どもたち、そして令和を生きる子孫たちへと脈々と受け継がれていく「小泉家の物語」の幕開けになっている――ドラマを見ていると、私はそんなふうに感じずにはいられません。
モデルとなった小泉八雲とセツ夫妻の基本情報
レフカダ・ヘブンのモデルとなったのが、ギリシャ生まれの作家ラフカディオ・ハーン、すなわち小泉八雲です。
八雲は松江の小泉家に養子入りし、日本名「小泉八雲」を得て、妻セツとともに新しい生活を始めました。この養子縁組と結婚によって、私たちがよく知る「小泉八雲」という存在が歴史の表舞台に立つことになります。
妻のセツは、和裁や家事、地域とのつながりなど、当時の日本の生活文化を体現する存在でした。八雲が日本の怪談や民話の世界に深く踏み込んでいく際、彼女は最高の案内人でもあり、支えでもあったと言ってよいでしょう。
ふたりの間には、長男・一雄、次男・巌、三男・清、長女・寿々子という三男一女の4人の子どもが生まれます。
しかし、幸せな時間は永遠には続きません。八雲は54歳という若さで急逝します。
そのとき長男の一雄はまだ10歳、末子の寿々子は1歳前後。残されたセツは、幼い子どもたちを守り抜きながら、夫の記憶と作品を一身に背負って生きていく道を選ぶことになります。
公式資料や記念館の記録を見ても、八雲は単なる「ホラー作家」ではありません。日本の民俗や信仰、生活文化を世界へ紹介した“文化の懸け橋”として評価されています。
そして、その足元を長年支え続けたのがセツでした。彼女の語りや生活の知恵がなければ、『怪談』に収められた物語の多くは、この世に生まれなかったかもしれません。
ドラマが描き出す夫婦の体温と、公式資料が伝える「支え合ったふたりの足跡」。
この二つのレイヤーを重ねてみると、『ばけばけ』は単なる文豪の伝記ドラマではなく、「不器用なふたりが一つの文化を育て上げた物語」として、ぐっと立体的に見えてきます。
視聴者が「子孫」「現在」で検索する理由
では、なぜ視聴者は『ばけばけ』を観終わったあと、「小泉八雲 子孫」「小泉八雲 ひ孫」「小泉セツ 子孫 現在」と検索したくなるのでしょうか。
私の胸の内にある確信はシンプルで、「この愛おしい物語は、今もどこかで続いているのか?」というピュアな問いです。
画面の中のレフカダとトキは、たしかに脚本が生んだ登場人物です。
けれど、その背後には実在した八雲とセツ夫妻、そして激動の時代を生き抜いた4人の子どもたちが確かにいた。
視聴者が「子孫」を検索する行為は、そんな現実の家族史へ、画面の物語をそっと伸ばしていくタイムトラベルのような作業だと私は感じています。
「彼らの血を受け継いだ人は、今どこで、何を思いながら生きているのだろう――」。
そう想像し始めた瞬間、スマートフォンの検索窓は、単なる入力欄ではなく“物語の延長線”に姿を変えます。
ドラマの余韻を抱えたまま、指先でそっと文字を打ち込む。その動き自体が、物語を自分の生活に引き寄せようとする行為なのだと思うのです。
もう一つ、私が強く感じるのは「継承」というテーマへの関心です。
八雲は、消えかけていた日本の怪談や民話を本にまとめ、世界へ語り継ぎました。セツは、その土台となる暮らしの感覚を、家庭や地域の中で支え抜きました。
その系譜が、ひ孫の小泉凡さんの講演や著作、玄孫・守谷天由子さんのジュエリーデザインや発信活動の中で、形を変えながら今も脈々と息づいている――この“つながりの物語”に気づいたとき、私たちは自然と彼らの「現在」を追いかけたくなるのではないでしょうか。
ドラマを観て胸が熱くなった人が、エンドロールの余韻の中で検索窓を開き、「小泉八雲 子孫」と打ち込む。
その一連の指の動きが、「物語を自分の人生に迎え入れようとする愛おしい身振り」だと考えると、なんだかこちらまで胸がじんわりと温かくなります。
なおじとしては、この検索の一歩に込められた気持ちを、できるだけていねいに受け止めたい。
「画面の向こうの夫婦の物語」と「現代を生きる子孫たちのリアル」を、事実に沿いながらも熱を込めてつないでいく――その決意を持って、この章を書いています。
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いま活動が見える主な子孫

ひ孫・小泉凡さん―記念館館長としての活動、講演・著作など
ひ孫の小泉凡(こいずみ・ぼん)さんは、「小泉家の語り継ぐ系譜」を令和の今、まさに現在進行形で体現している存在です。
松江市の小泉八雲記念館館長であり、島根県立大学短期大学部の名誉教授として、民俗学と八雲研究の両面から情熱的に活動されています。
凡さんが力を注いでいる仕事は、大きく三つの柱に分けて語ることができます。
一つ目は、八雲の文学や怪談文化に関する深い研究と著作活動です。民俗学者としての視点から、八雲の作品を単なる「怖い話」で終わらせず、当時の社会や信仰、異文化理解の文脈の中で読み直す試みを続けているのが凡さんならではの持ち味です。
二つ目は、全国各地を飛び回るエネルギッシュな講演活動です。最近の「旅とオープン・マインド」と題した講演では、八雲の旅の精神と、現代を生きる私たちの「心のひらき方」を重ね合わせる内容が大きな反響を呼びました。
そして三つ目が、松江や焼津など八雲ゆかりの地での文化・観光事業への貢献です。記念館や観光協会と連携し、「怪談の街・松江」としてのPRや、ゆかりの地をめぐるツアー、トークイベント「小泉家の流儀」などを通じて、家族の記憶を地域の物語へと昇華させる役割を担っています。
「ひ孫が、曾祖父の遺した作品を観光・民俗・国際文化交流の文脈にまで広げている」という今の状況は、家系図の名前だけを眺めていてもなかなか想像できません。
凡さんの生き生きとした活動に目を向けると、八雲が何より大切にした“オープン・マインド”の精神が、ひ孫の世代にもしっかり受け継がれ、今も静かに呼吸を続けていることが伝わってきます。
玄孫・守谷天由子さん―アイルランド在住ジュエリーデザイナーとしての現在と発信
玄孫(つるご)の守谷天由子(もりや・あゆこ)さんは、次男・稲垣巌の系譜に連なる子孫であり、八雲のルーツとも重なるアイルランドを拠点にジュエリーデザイナーとして活躍している方です。
自身のブログやSNS、YouTubeなどを通じて、小泉八雲の足跡をたどる旅や、アイルランドでの暮らし、ジュエリーブランド「Apocaθist(アポカシスト)」の制作背景を、ていねいな言葉で発信し続けています。
報道によれば、守谷さんはアイルランドのトラモアという海辺の町に暮らし、現地の日常や八雲ゆかりの場所をめぐる様子を日々届けています。
そして2026年には、朝ドラ『ばけばけ』で主人公トキが子どもを出産する回の放送日と同じ日に、自身の出産をSNSで報告したことで、大きな話題になりました。ドラマと現実の時間軸が思わぬ形で重なり、「何という奇跡」「八雲とセツが向こうから祝福しているみたいだ」と、多くの視聴者が驚きと祝福の声を寄せています。
ジュエリーデザイナーとしての守谷さんは、エシカルな素材選びや物語性のあるデザインを大切にしており、「祖先の足跡をたどる旅」こそがブランドの根っこにある、と繰り返し語っています。
ひ孫の凡さんが日本で学問と講演を通じて八雲の記憶を語り継ぐ一方で、玄孫の守谷さんは、ヨーロッパの地で自身の表現を通して物語を紡ぎ直している――この二人の動きは、世代を超えて続いていく「小泉家の継承」を支える、力強い両輪だと感じます。
「小泉想」など他に名前が挙がる子孫の範囲
小泉家の家系図をたどっていると、「小泉凡」「守谷天由子」だけでなく、「小泉想」さんをはじめ、さまざまな子孫のお名前と出会います。
孫世代や曾孫世代の中には、大学で教壇に立っていた方もいれば、まったく別の分野でプロフェッショナルとして働きながら、「小泉家の流儀」をそれぞれの形で受け継いでいる方もいる――そんな姿が、家系図系の記事や動画から見えてきます。
こうした情報を追っていると、「この家族の物語は、本当にいろいろな方向へ枝分かれしているんだな」とワクワクしてきます。
一方で、少しだけ注意したいポイントもあります。ネット上のまとめ記事の中には、家族以外の第三者が書いたものも多く、続柄の表記(ひ孫なのか玄孫なのか)が揺れていたり、情報源が具体的に示されていないケースも少なくないからです。
だからこそ、なおじの記事では、「名前が公に出ていて、公式資料や複数の信頼できる記事で確認できる範囲」にギュッと絞って紹介することにしています。
それ以上の細かなプライベート情報には踏み込まず、「ここから先はそれぞれの人生の領域だ」と線を引いておく――それが、このテーマと向き合ううえでの最低限のマナーだと思うからです。
やはり小泉家の家系図を紐解くときは、松江の小泉八雲記念館の発信や、一次資料に基づいた解説を基準にするのが一番安心です。
インターネットの系図まとめは全体像をさっと眺めるには便利ですが、「続柄の表記が揺れている」「情報源がはっきり書かれていない」といったこともあります。
だから、読者のみなさんには「ここまでは確実なところ」「この先はあくまで参考程度」というふうに、自分の中で気持ちよく線を引きながら楽しんでほしい――なおじとしては、そんな読み方をおすすめしたいです。
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小泉八雲とセツ、子ども4人の家族史

家族構成と年表:一雄・巌・清・寿々子の生年・概要
小泉八雲とセツの間には、長男・一雄、次男・巌、三男・清、長女・寿々子という三男一女、4人の宝物が生まれました。
一雄は1893年、巌は1897年、清は1899年、そして寿々子は1903年前後に生を受け、それぞれが明治の日本を自分なりの歩幅で生きていきます。
しかし、大黒柱である八雲が急にこの世を去ったとき、長男の一雄はまだ10歳、巌は6歳、清は4歳、末っ子の寿々子にいたっては、わずか1歳前後でした。
このあまりにも切ない年齢の並びを見つめるだけで、遺されたセツがどれほど必死な思いで小さな命たちを守り抜いたか、家族史の年表からでもじわりと胸に伝わってきます。
長男・一雄の「記憶を語り継ぐ」仕事
長男の小泉一雄は、偉大な父・八雲の背中と作品を、「言葉で語り継ぐ」役目を引き受けた人です。
『父小泉八雲』『父「八雲」を憶ふ』といった著作には、文豪としての八雲だけでなく、家庭で見せたやわらかな素顔が、息子の視点から丁寧に描かれています。
一雄は東京帝国大学で英文学を学び、その後は大学教授として教壇に立ちながら、八雲に関する講義や執筆に長く携わりました。
「父の記憶を愛おしい言葉にして残す」という一雄の仕事こそが、後の凡さんへと続く“語り継ぐ系譜”の出発点になった――なおじはそう感じています。
次男・巌と稲垣家への養子、そこから続く系譜
次男の巌は、のちに「稲垣巌」として稲垣家の養子に入り、小泉姓ではなく稲垣姓を名乗る道を選びました。
実は、この「苗字が変わる」という一歩こそが、後の家系図を少し複雑で、同時にとてもドラマチックなものにしているポイントです。
稲垣家への養子縁組によって、巌の系譜は「小泉家」と「稲垣家」という二つの故郷にまたがる形で続いていきます。
前の章で紹介したアイルランド在住の守谷天由子さんが、この巌の流れに連なる子孫として語られているのも、この養子縁組という歴史のバトンがあったからこそです。
巌自身についての記録は決して多くはありません。
それでも、「静かに別の家を背負い、やがて海を渡る縁へとつながっていったもう一つの血脈」として、家系図の中で見逃せない存在だとなおじは思います。
名前の変化に隠れた家族のドラマも含めて、小泉家の物語を立体的に味わっていきたい――この章には、そんな想いを込めています。
三男・清の画家としての歩み

三男の小泉清は、洋画家として自分の道を切り開いた人物です。
美術学校で腕を磨き、キャンバスの上で「八雲のまなざし」を絵へと変換していく──そんな生き方を選びました。
残されている作品を見ると、清は日本の風景や人々の姿を、八雲の文章とはまったく違う角度から切り取っています。
一雄が「ことば」で父の世界を守ったとすれば、清は「絵」でその世界をもう一度立ち上げた人だと言えるでしょう。
言葉と絵という二つの表現が、一人の父の記憶をそれぞれの方向から支えている。
この兄弟の対比は、家族史を眺めるうえで実におもしろいポイントであり、なおじとしてはぜひ押さえておきたいところです。
長女・寿々子についてわかる範囲だけを、慎重に整理
長女・寿々子については、兄たちと比べると公表されている情報がぐっと少なくなります。
生まれた年や幼少期の様子、結婚や家族構成についても、家系図系の記事や回想の中に断片的な記述が見える程度です。
一部の記事では、寿々子の結婚相手や子どもの有無に触れているものもあります。
ただ、続柄の表記に揺れがあったり、一次資料が示されていなかったりするケースも見受けられます。
そのため、このなおじ記事では「長女として生まれたこと」「まだ幼い時期に父を亡くしていること」といった、複数の信頼できる資料で確認できる事実に絞っておくことにしました。
それ以上の細かな私生活については、想像や憶測で埋めず、あえて触れないでおきます。
寿々子の人生は、これから資料の発掘や研究が進めば、もっと立体的な姿が見えてくる可能性があります。
だからこそ、「記録が少ないからといって、空白を勝手な物語で埋めない」という姿勢を大切にしながら、今わかる範囲だけをそっと押さえておきたい──それが、なおじの寿々子への向き合い方です。
家系図で見る「ひ孫・玄孫・来孫」までのつながり

凡さんの系統がたどれる範囲(長男系)
ひ孫の小泉凡さんは、長男・一雄の系統に連なる曾孫にあたります。
公にされている家系図を紐解くと、「八雲・セツ → 長男・一雄 → 孫・時 → 曾孫・凡 → 来孫・想・祥子」という一本の線が、きれいに浮かび上がってきます。
一雄の長男・時さん、その意思を受け継いだ凡さん、さらに次の世代を担う想さんや祥子さん。
この並びをじっと眺めていると、長男系の誇り高い系譜が令和の今もしっかりと脈打ち、未来へ伸びているのだと実感させられます。
凡さんがその流れの中で、「民俗学者」「記念館館長」として前線で八雲の記憶を語り続けていること。
それ自体が、家系図をただの名前の一覧から、体温の宿った「壮大な物語の年表」へと変えてくれる、最高のスパイスだと感じます。
天由子さんの系統がたどれる範囲(次男系)
一方、玄孫の守谷天由子さんは、次男・巌の系統に連なる子孫として紹介されています。
ご本人のブログでは、「小泉八雲の次男・稲垣巌の次女の長男の長女」であり、「自分の血の1/16がラフカディオ・ハーンだ」と、チャーミングに書かれているのが印象的です。
系譜の流れにすると、「八雲・セツ → 次男・巌 → 巌の娘 → 孫の世代 → 玄孫・天由子さん」というルートになります。
長男系の凡さんとはまったく別のラインを通りながら、次男系の血が遠く海を越えてアイルランドへたどり着いている──この事実そのものが、「小泉家の物語は日本の内側だけで終わらない」と静かに語りかけてくるように感じます。
「ひ孫」「玄孫」「来孫」――呼び方の違いをやさしく整理
八雲の家系を追いかけていると、「孫」「ひ孫」「玄孫」「来孫」という言葉の違いに、ふと迷ってしまう瞬間がありませんか。
ここで一度、頭の中をすっきりさせるために、一般的な続柄のルールを簡単におさらいしておきます。
仕組みは案外シンプルで、子どもの子が「孫」、孫の子が「ひ孫(曾孫)」、ひ孫の子が「玄孫(やしゃご)」、その次が「来孫(らいそん)」と呼ばれます。
凡さんは「ひ孫」世代、守谷天由子さんは「玄孫」世代、その先の新しい命が「来孫」の世代を担っていく、という整理になります。
ニュースやSNSでは、これらをまとめて「子孫」と書くことも多く、読み手が混乱しやすいところです。
このなおじ記事では、家系図を少しでも分かりやすく楽しんでもらうために、説明のときだけこの続柄の定義にそろえて用語を使っています。
ここから先は“まだ見えていない世界”であることを添えて
家系図をたどっていくと、「この先の世代には、どんな物語が待っているんだろう」と、もっと知りたくなってしまうのがファンの心というものです。
ただ、今なおじが確実な事実として追えているのは、凡さんや天由子さん、そしてその親世代までの系譜に限られます。
それより先、来孫以降の暮らしぶりや名前の一つひとつについては、公式な情報が十分そろっていない部分も多く、憶測で語る領域になってしまいます。
だから今回の記事では、「ひ孫・玄孫・来孫」までのつながりにスポットを当て、それ以上の先の世代にはあえて踏み込まない形にしました。
「ここから先は、まだなおじが見えていない世界だ」と、いったん線を引いておくこと。
それもまた、今を懸命に生きている家族の物語に対する、書き手としてのひとつの敬意だと私は考えています。
いつか新しい資料や、ご本人たちからの嬉しい発信が増えたときには、改めて家系図の続きをそっと眺めてみたい。
そんな愛おしい余白を胸に抱きながら、この章はここでいったんペンを置いておきますね。
なおじが感じる「語り継ぐ家族史」の面白さ(筆者考察)

社会科教師目線で見た八雲と家族の位置づけ
社会科教師として長く歴史を教えてきた目で見ると、小泉八雲の家族史は「明治の家族が、世界へと物語を伸ばしていくプロセス」そのものだと感じます。
ギリシャの海辺に生まれた青年が、アイルランドやアメリカを経て日本に渡り、松江・熊本・東京で暮らしながら、セツと出会い、四人の子どもとともに“日本の家族”になっていく──これだけで、ひとつの歴史教材として十分に語れるドラマです。
異国生まれの作家が、日本に根を下ろし、「仕事」と「家族」と「文化」を同時に育てていく姿は、教科書ではなかなか伝わらない近代日本の躍動を映し出しています。
旅の延長線上に家族が生まれ、その家族からさらに新しい旅が始まっていく構図は、歴史好きとしても、なおじとしても、見飽きることがありません。
凡さん・天由子さんに受け継がれた「旅」「物語」「記憶」のテーマ
ひ孫の凡さん、玄孫の天由子さんの活動を追いかけていると、八雲・セツから続く小泉家の物語には、いつも同じ三つのテーマが顔を出しているように見えてきます。
それが「旅」「物語」「記憶」です。
凡さんは「旅とオープン・マインド」と題した講演などを通じて、八雲が各地で感じ取った異文化へのまなざしを、令和の私たちの生き方に重ねて語っています。
松江の記念館館長として、過去の旅の記録を地域の物語へと編み直していく姿は、“家族の記憶を社会へ開いていく仕事”と言ってもいいかもしれません。
一方で天由子さんは、アイルランドという八雲ゆかりの地でジュエリーをつくりながら、自分のルーツをたどる旅や家族のエピソードを発信しています。
「祖先の足跡をたどる」という言葉には、観光ではなく、“物語と記憶を自分の手で確かめ直したい”という意志がにじんでいて、読むたびに背筋がすっと伸びる感覚があります。
凡さんが日本で「記憶」を語り継ぎ、天由子さんがヨーロッパで「物語」と「旅」を紡ぎ直す。
この二人の動きを重ねて眺めると、一つの家族史が、国境を越えた大きな物語として生き続けていることが、静かに伝わってきます。
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なおじが感じる「語り継ぐ家族史」の面白さ(筆者考察)
凡さんと天由子さんがつなぐ「旅と記憶」の物語
凡さんが日本で「旅と記憶」を語り継ぎ、天由子さんがヨーロッパで「旅と物語」を紡ぎ直す。
このお二人の歩みを重ねて眺めると、八雲の家族史は国境の枠を軽々と飛び越え、令和の今も世界のあちこちで生き続ける「グローバルな記憶の物語」として立ち上がってくるように感じます。
凡さんの講演や記念館での仕事は、日本の土地に刻まれた八雲の足跡を「地域の物語」として語り直す営みです。
一方、天由子さんのアイルランドでの暮らしやジュエリー制作は、ヨーロッパ側から同じ家族の記憶に光を当てていく表現だと言えるでしょう。
一族の記憶が、日本とアイルランドという二つの場所で呼吸を続けている。
その事実を知った瞬間、小泉家の家族史は単なる系図の線ではなく、「海を越えて続く一本の物語のルート」に見えてきます。
『ばけばけ』視聴者がこの家族史を知ると、ドラマがどう立体的になるか
私たちは、朝ドラ『ばけばけ』をすでに完走した視聴者として、レフカダ・ヘブンと松野トキの不器用な愛を思い出すことができます。
放送当時、毎朝「今日はこの夫婦にどんな試練が来るんだろう」と、画面に釘付けになっていた方も多いでしょう。
そのドラマに、実在の八雲・セツの家族史、そして凡さん・天由子さんの現在を重ねてみると、物語の輪郭が一段深くなります。
たとえば、トキが子どもを産み、夫婦が新しい命を抱きしめる場面。
その背後に、「実際の八雲は51歳で三男、53歳で長女をもうけていること」「セツは幼い4人を抱えて夫の死と向き合わざるをえなかったこと」をそっと置いてみると、あの一話は単なる“感動回”では終わらなくなります。
そこには、「明治の家族史」と「令和の私たちの記憶」が交差する瞬間が見えてきます。
ドラマの中の出産シーンが、実在の家族の重さと、現代に続く命のバトンを映し出す場面として、静かに姿を変えるのです。
さらに、凡さんの講演や天由子さんのアイルランドでの暮らしを知ったうえで『ばけばけ』を振り返ると、こう思わずにはいられません。
「この物語は画面の中で終わっていない。実際にその血を受け継いだ人たちの生活が、今も地球のどこかで続いているんだ」と。
物語をテレビの向こう側に閉じ込めず、視聴者自身の「旅」や「家族」や「記憶」とつなげていく。
その動きこそが、なおじがこの家族史を書きたかった理由です。
ドラマをきっかけに小泉家に興味を持った方が、ひ孫・玄孫の現在や家系図を知ることで、「100年前の物語を、自分の人生のほうへ引き寄せていく」。
その一歩を踏み出した瞬間、八雲が何より大切にしていた“オープン・マインド(開かれた心)”のバトンは、令和を生きる視聴者の手の中に確かに渡っている──なおじは、そう信じています。
怪談の 血は枯れずして 次の代
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よくある質問(Q&A)
妻・セツとの間には、三男一女、4人の子どもたちがいました。
長男・一雄、次男・巌、三男・清、長女・寿々子――この4人が明治の日本で紡いだ“小さな家族の物語”こそが、ひ孫・玄孫・来孫へと続いていく大きな系譜のスタートラインになっていきます。
小泉凡さんは、八雲とセツから数えて「曾孫(ひ孫)」の世代です。
長男・一雄 → 孫・時 → 曾孫・凡という長男系のバトンをしっかり受け取り、「記念館館長」そして「民俗学者」として、今も“語り継ぐ仕事”の最前線を走っている存在だとなおじは見ています。
守谷天由子さんは、次男・巌の系統に連なる「玄孫(やしゃご)」の世代です。
巌 → その娘 → 孫の世代 → 玄孫・天由子さんというラインをたどり、八雲の心の故郷でもあるアイルランドから、自分のジュエリーと発信で家族の物語を瑞々しく紡ぎ直しているヨーロッパ側の主役だと感じています。
写真や細かな私生活の話題は、「ご本人がメディアやSNSなどで公にしている範囲」までにとどめておくのが、ファンとしてのやさしいマナーだと思います。
家族史はどこまでもロマンがありますが、その裏には今を生きる一人ひとりの暮らしがあります。なおじの記事でも、公式資料や信頼できる報道、ご本人の発信を超えるようなプライベートには踏み込まないスタンスで書いています。
『ばけばけ』は最高のフィクションであって、史実と完全に同じである必要はありません。
社会科教師のなおじとしておすすめしたいのは、「まずドラマの物語を全力で味わい、そのあとで本当の家族史を知って、もう一度ドラマを思い返してみる」という二段構えの楽しみ方です。
レフカダとトキのシーンの裏側に、実在の八雲とセツ、そして凡さんや天由子さんの今が重なってくると、あの名場面たちが、ぐっと立体的に心に戻ってきます。
「画面の中の物語」と「実際に続いている家族の歩み」を、自分の中でそっとつないでみる――その瞬間、八雲の“オープン・マインド(開かれた心)”は、もう視聴者それぞれの胸の中で息をしているのだと、なおじは信じています。
筆者紹介|なおじ

なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。
社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景や史実との比較が得意分野です。小泉八雲のような「異文化をつなぐ人物」の授業は、教室でも特に生徒たちが目を輝かせたものでした。指導主事として授業研究にも携わり、教え子からは「歴史が面白くなる先生」と呼ばれていました。
現在は8つのブログでドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評を書いています。