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風、薫る103話感想|シマケンがりんに託した浜松へ帰る決断の行方

『風、薫る』第103話では、新聞連載を失ったシマケンが浜松へ帰る思いをりんに語りました。
一方、直美は派出看護先で平蔵の言葉を受け取ります。

シマケンは浜松へ帰るしかなかったのでしょうか。
そして、りんに「ついてきてほしい」と語った言葉には、どんな本音が沈んでいたのでしょう。

誰かに、自分の人生を決めてほしいと思ったことはありませんか。

シマケンは、浜松へ帰る道を前にして、りんへ「ついてきてほしい」と語りました。
平蔵もまた、看護を受ける自分を一方的に弱い者とは見ていません。
二人の言葉には、苦しいときにも手放せないものがにじんでいました。

浜松へ戻ることを口にしたシマケンと、弱さの意味を問い返した平蔵。
第103話には、他人に支えられながらも、自分の人生を自分で選ぼうとする人たちの時間が流れていました。

風、薫る103話

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この記事で先に見ておきたいこと

  • シマケンは新聞連載を失い、小説を書き続ける道だけでなく、東京にとどまる理由まで揺らぎました。
  • 浜松へ「ついてきてほしい」と語った言葉には、りんと生きたい願いがにじみます。なおじには、その先を一人で決め切れない迷い(シマケンの弱さ)も重なって見えました。
  • りんがシマケンを「愛しい人」と呼んだ言葉は、連載を失った小説家としてではなく、目の前にいるシマケンへ向けられたように、なおじには響きました。
  • 平蔵の一言は、身体が弱っていることと、人として弱いことを同じにしない矜持を、直美へ返す言葉でした。
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目次

この記事のポイント

Q1. シマケンはなぜ浜松へ帰ろうとした?

新聞連載を取り消され、東京で小説を書き続ける足場が揺らいだからです。浜松へ戻る決意には、書き手としての道を失いかけたシマケンの迷いが残っていました。

Q2. 「ついてきてほしい」はプロポーズだった?

「ついてきてほしい」という言葉には、りんと浜松で生きる道を望むシマケンの思いがにじみます。なおじには、その願いとともに、浜松へ戻る決意を一人で抱えきれない迷いも重なって見えました。

Q3. 平蔵の言葉は何を伝えた?

身体が弱っていても、人としての誇りまで失ったわけではないということです。直美は看護する側として、その線引きを突きつけられました。

シマケンが浜松へ帰ると決めたのは、夢を諦めたからという一言だけでは収まりません。新聞連載を目前で取り消され、「文に強さがない」と突きつけられたことは、仕事を一つ失う以上の出来事だったはずです。

連載中止が奪った居場所

小説家を目指して積み上げてきた時間を、編集長の言葉が根元から揺らした。シマケンにとって東京は、ただ暮らす場所ではなく、「何者かになる」ために踏ん張る場所だったのでしょう。

前話では、シマケンが「強さがない」と厳しく指摘されました。その言葉が第103話の決断へどうつながったかを振り返ると、彼が抱えた絶望の深さが見えてきます。

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けれど、文章に強さがないと言われた人間が、弱い人間だとは限りません。むしろ、傷つくことを知っているから書ける言葉もあります。なおじには、シマケンが敗北したというより、まだ自分の傷を言葉に変える途中にいるように映りました。

故郷へ戻る決意の重さ

浜松には家族からの要請もありました。東京で夢を追い続けるための支えが薄くなったとき、故郷へ帰る道は急に現実味を帯びます。

逃げ場がなくなった人間に、「好きな道を選べばいい」と言うのは簡単です。しかし選択肢が狭まったときほど、人は自分の本音よりも、周囲が納得する答えへ流されやすいもの。ここが気になりますよね。

シマケンの浜松行きは、自分で選んだ決意でありながら、自分で選び切れなかった決意にも見えました。その揺れこそが、第103話の切なさです。

「ついてきて」に潜む決められなさ

「ついてきて」に潜む決められなさ

シマケンの「ついてきてほしい」は、りんを愛しているからこそ出た言葉でしょう。ただし、その優しさの内側には、りんに決めてもらいたいという甘えもあったのではないでしょうか。

りんに拒まれたかったのか

シマケンは、浜松へ帰ることをすでに決めています。
それでも、りんと別れたいわけではない。むしろ、別れたくないからこそ、自分の口で「ここまでにしよう」とは言えなかったのでしょう。

「ついてきてほしい」という言葉は、彼の本音。
しかし、同時に「りんと生きたい」という願いだけではなく、心のどこかに、「浜松へは行けない」とりんからきっぱりと断られたいという暗い願いをもっていたように、なおじには感じられた‥。

りんが「私は浜松へ行けない」と言えば、シマケンは別れを自分で決めずに済みます。
りんに突き放された形なら、残る思いにも、どこかでけじめをつけられる。『強さがない』シマケンは、その言葉を待っていたのかもしれません。

虎太郎にも、横沢にも、シマケンは負い目を抱えていた‥。
書くことでも、人との関わりでも、思うようにできない自分を、彼はすでに責めていたのでしょう。だからりんにも、自分を選ばないでほしい。そんな願いが、胸の底に暗く沈んでいたように思えます。

帰る道
 別れの言葉を
  君に待つ

頼ることは、弱さだけではありません。
けれど、自分で言うべき別れまで相手に言わせようとするとき、人はずいぶん深いところで傷ついている‥。

シマケンの「ついてきてほしい」は、りんへの愛情の言葉。
同時に、自分からは別れを選べない男が、愛する人に最後の決断を委ねかけた言葉‥。

👉関連記事:風、薫る99話感想|りんの「待ちます」とシマケンの覚悟

平蔵の言葉が示した人間の芯

平蔵の言葉が示した人間の芯

平蔵の「弱った人間だけど、弱い人間じゃねえ」という言葉は、直美だけでなく、見ている側の背筋もピッとさせましたね。

弱った身体と弱くない心

身寄りのない平蔵を看護する直美は、目の前にいる人を「助けを必要とする患者」として見ていたはずです。それは看護婦として当然の目線でしょう。

しかし平蔵は、助けられる側であっても、自分の誇りや意思まで引き渡したわけではないと示します。弱っている人を、弱い人と呼んでしまう。その無意識の短絡を、平蔵の一言は切り裂いたのです。

直美はこの言葉にショックを受けます。
看護とは、身体を整える技術だけで完結しない。その人が守りたいもの、奪われたくないものを見落とさないこと。第103話は、派出看護の難しさを静かに突きつけましたね。

直美がこれまでどんな看護婦として歩んできたのかを知ると、平蔵との出会いがより立体的に見えてきます。

👉関連記事:大家直美とは?上坂樹里が演じる東京育ち看護婦の軌跡

太田光の演技が生んだ生活感

太田光‥、実はわたし、あまり好きではありません。
ですが、平蔵を演じた太田光については、演技に驚いてしまいました。しかも、NHK初登場でしたよね、確か‥。
芸人としての普段の印象とは異なる、やさぐれた空気と、言葉の奥に残る人間の熱を感じたんです。

太田という芸人を好き嫌いということとは別に、その人物がそこに長く暮らしてきたように見える演技は、秀逸。

ドラマの中の平蔵という人物の心意気には、はっきり言ってひかれました。
弱った自分を認めながら、弱い人間として扱われることには抗う。その姿は、不器用ですが見事。

弱さを抱えた二人が残した問い

第103話でシマケンと平蔵は、まるで別の場所・別のベクトルで、「弱さ」と向き合っていたのかも‥。

シマケンは傷つき、りんに答えを求める。平蔵もまた身体は弱っているが、人としての値打ちまで手放さなかった。片方が間違いで、片方が正しいという話ではない。

ただ、頼ることと、人生を預けることは違う。りんの愛を受け取ったシマケンが、次には自分の足で何を選ぶのか。そこに、彼が本当に手に入れるべき「強さ」が芽生えるのかも‥。

肩書きが消えても、身体が衰えても、人の値打ちは消えない。
平蔵の一言は、直美だけでなくシマケンにも聞かせたい言葉だった。

酒瓶に 

 花一輪の 

  苫屋住まい

よくある質問

筆者紹介|なおじ

なおじ。公立小・中学校で約35年教え、校長として11年、指導主事として教育現場を外から見た経験もあります。全国中学校社会科教育研究会元理事、茨城県社会科研究部長(元)として、社会のしくみだけでなく、人生の岐路で人が何を選ぶのかを長く見つめてきました。

進路や挫折に揺れる人たちと接してきた経験を土台に、本記事では『風、薫る』第103話の描写、視聴者が抱く疑問、筆者自身の見立てを分けながら読みました。

現在は8つのブログで、ドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評を横断し、「人の生き方」と社会とのつながりをテーマに書いています。

風、薫る103話

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