磯前神社は「いそさき」と読む。また酒列磯前神社は「さかつら」と読む。二社とも常陸の国(茨城県)にあり、前者は大洗町に、後者はひたちなか市に鎮座する。二社とも大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祭神とする兄弟神社。この二柱の神は出雲系の神だが、どうして出雲の神が常陸に鎮座しているのか。
磯前神社の祭神、大己貴命の神と少彦名命の神
磯前神社のご祭神の大己貴命と少彦名命は、『民の難儀を救うために降臨された神』。
大己貴命とは、大国主命のことであり大黒様でもある。
つまり、慈悲深く人々に福徳を与え健康を守る神。
少彦名命も医療祖神であり、温泉開発の神であり,酒造りの神でもある。
二柱とも、人々の健康を守る神。
大洗磯前神社の由緒より
磯前神社の祭神は
大洗磯前神社(いそさきじんじゃ)の由緒を見ると、『平安時代の文徳天皇の頃、西暦で言うと856年(斉衡3年)の12月29日に、現在の磯前神社の境内の真下にある神磯に、大己貴命と少彦名命の二柱の神が民を救うために降臨した』と、ある。
日本文徳天皇実録という本に、このことが書かれている。
その頃、この地には天然痘などの疫病が蔓延していて、人々を飢餓が襲い、社会不安の状態だった。
「薬も無し、医者も無し」の時代。病から人々が救われるためには神にすがるしかない。
その人々の願いに応え、福徳を与えるために二柱の神が降臨されたという。
『今、民を救うために、また帰ってきた。』
神は、そう言った。
ところで、『また』とは、どういう意味だろうか。
一度去って、再度この地を踏んだのだろうか。
我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済すくわんが為、亦(また)帰かえり来たれり」
大洗磯前神社由緒より
『昔この国を造り終えて』の、『この国』とは、出雲のことか、日本全土のことか分からないが、出雲を中心とする西日本を指すように思える。
『東海へ行く』とは、「黄泉の国」を指すようにも思えるが、「東海」を大洗周辺の「常陸の海」と解することもできる。
「東海」が「常陸の海」だとすると、出雲を逃れて常陸に流れ着いたとも読める。
兄弟神社、酒列磯前神社の祭神は
ひたちなか市にある、酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)のご祭神も、この二柱の神だが主祭神は、少彦名命の方になっている。
酒列磯前神社では、大己貴命は配祀神。
(酒列磯前神社由緒より)
大己貴命と少彦名命とはどのような神か
そもそも、大己貴命(オオナムチノミコト)と、少彦名命(スクナヒコナ)の命とはどのような神なのだろうか。
縁結びの神・大己貴命
大己貴命とは、出雲大社のご祭神の大国主神のことだ。
10月は、神無月と言われる。
10月には日本中の神が出雲に集まり、神が射なくなるので神無月と言われる。
だから出雲だけは10月を『神在月』と呼ぶ。
その出雲の神こそが、大国主命。
では、10月に出雲に集まった神たちは何をするのかというと、『縁結び』を行う。
だから、大国主命(大己貴命)は縁結びの神でもある。
さて、この大己貴命であり大国主命でもあるこの神は、本当は何と言う名前なのだろう。
日本の神の特徴の一つに、「多くの名を持つ」という特徴がある。
大己貴命にも、大穴牟遅命・葦原色許男命・葦原醜男命・八千戈神・大国主命・大黒神など、複数の名がある。
これは、本来が一柱の神では無く、土地神や農耕の神など複数の神が習合した結果なのだろう。
日本の神は、複数の神がまとまって一つの神となる「習合」する、という特徴ももつ。
そしてもう一つ、神が人間と同じように様々な試練に直面し、それを乗り越えることで成長していくという特徴もある。
:稲羽(因幡)の素兎(ウサギ)の話で有名な大己貴命(大国主命)
古事記には、出雲の神大己貴命の話、つまりオオクニヌシの話が載っている。
大己貴命は、なんとスサノオの6世の孫なのだが、スサノオの娘と結婚することになる。
神様だから、こういうこともあるのだろう。
出雲神話として有名なのは、絵本などにもなっている「稲羽(因幡)の素兎(しろうさぎ)」があげることができる。有名なので知っている方も多いのではないだろうか。
大己貴命には、多くの兄弟神がおいでになった。
あるとき、大己貴命と多くの兄弟神たちが、とてもきれいな稲葉(因幡)の国の八上比売と誰が結婚するかで争ったことがあった。
そこで、八十神たちは、連れだって因幡国へ向かうことになった。
八十神たちが、ある海岸を通ったときに、毛をむしり取られて丸裸になったウサギがいた。そのウサギは、「どうか私をお助けください。」と八十神たちに救いを求めた。
すると、八十神の一人が、
「その傷を癒やしたければ、海水を浴び、風に吹かれて、山の頂で横になっていれば治る」
と、教えた。
ウサギは礼を言い、その通りにした。
ところが、傷は良くなるどころか、ますますひどくなり、あまりの激痛にウサギは泣いてしまった。
そこを一人の神が近づいてきた。
大きな袋を抱えた神で、袋の中は兄弟神の八十神の荷物だと言う。
この神が、大己貴命だった。
この後、ウサギは大己貴命に正しい治療法を教わり傷を、治すことができる。
このウサギはやがてウサギ神となり、「八上比売と結婚できるのは、大己貴命だ」と預言する。そして、その通り大己貴命と八上比売は結婚するした、という話。
大己貴命は、やがてスサノオの娘とも結婚する。この頃の神は一夫多妻制だったようだ。
大己貴命の神は、一度死んでいる
古事記の大己貴命の「稲羽(因幡)の素兎」の話には続きがある。
八十神たちは、八上比売と結婚した大己貴命を嫉妬した。
そこで、大己貴命をいじめてやろうと計略をねる。
計画はこうだ。
『八十神たちが、山から赤い猪を追い落とすから、大己貴命は山の下で待ち受けてそれを捕らえよ』
と言う。
だが赤い猪というのは、火を付けた大岩。これを山の上から落として、ビビらせる計略。
だが、真面目な大己貴命は、本当に燃えさかる大岩を受け止めてしまう。
そして、焼死してしまったのだった。
日本の神は、死ぬ。
生き返る大己貴命
この最大の試練を救ったのは、大己貴命の母だった。
母神は、高天原の神産巣日神に使者を送り、大己貴命を生き返らせてもらうことに成功する。
造化三神の一柱である神産巣日神も、他の造化三神と同じように現れるとすぐに消えてしまったことになっている。だが、その後の古事記の記述で当たり前のように登場してくる。
『変だ!』というのは、野暮なこと。
そういうものだと、納得するしかない。
母の愛と、神産巣日神の助力で生き返った大己貴命は、この後スサノオの国「根堅州国」へ向かう。
スサノオが、大己貴命に与える試練
大己貴命は、もともとスサノオの6世の孫だ。
だが、血族は5世までとされるので、6世の孫なら、自分の娘と結婚してもおかしくない。
人間世界では、あり得ないが…。
スサノオの娘は、須勢理毘売命(スセリヒメノミコト)と言った。
絶世の美女だった。
須勢理毘売を一目見て、大己貴は恋をしてしまう。
須勢理毘売も、大己貴を見て「美しいく、力強い神だ」と言う。
だが、父のスサノオは、「醜男(ぶおとこ)」じゃないか、とけなす。
(自分の孫の孫の、孫の孫の、孫の孫、なのに…。)
ちなみに、大己貴命の別名に、アシハラシコオという呼び名がある。
漢字には、葦原醜男という漢字と、葦原色許男という漢字を当てる場合がある。
葦原醜男と書くと、地上の醜男(ぶおとこ)という意味になるが、
葦原色許男と書くと、地上の見目麗しい力強い男、という意味になる。
「結婚させて」と願い出た大己貴に対し、スサノオは試練を与える。
例えば、「蛇のいる部屋で一夜を過ごしてみろ」
それをクリアすると、今度は「ムカデと蜂の部屋で寝ろ」
極めつけは、鏑矢を野原に打ち込み、「あの矢を探して取ってこい」
と言って、大己貴を取りに行かせ、そこに火を放ち焼き殺そうとした。
このときは、須勢理毘売も、「もうだめだ。大己貴命は死んでしまった。」と思った。だが、このときは野のネズミが助けてくれ、命を救われる。
大己貴は、数々の試練に見舞われるが、常に誰かが助けてくれるのだった。
最後の試練は、スサノオから逃れて「黄泉の比良坂」まで逃げ、地上に戻る場面。
イザナギ・イザナミの逃避行と同じように、大己貴命と須勢理毘売はスサノオから逃げきる。
地上に逃げ帰った大己貴は、その後地上を統治する神となっていく、と言うのが古事記の出雲神話。
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