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一橋治済の雷死は史実か?べらぼう第48話最終回で描かれた衝撃エンディングを元社会科教師が徹底検証

こんにちは、なおじです。

昔、職員室で「歴史の授業に、もうちょっとドラマ性が欲しいですね」と言われて、「雷で殿様を退場させるぐらいの演出をしてみますか」と、冗談を飛ばしたことがあるんです。

『べらぼう』48話最終回は、その冗談を本気で映像化したような一橋治済の雷死から始まっちゃいましたね。

斎藤十郎兵衛が写楽の一人だったという種明かし、本居宣長の「もののあわれ」まで一気につないでみせた。

「べらぼう」、最後までぶっ飛んでました。

AV女優を大河に登場させ、ワーオな筋立てを平然とねじ込んでくる。

史実じゃない。だけど、面白かった。

教員時代には語れなかった“もう一歩踏み込んだ江戸史”の授業を、1年間見せてもらった感じです。

2025年を楽しませてくれて、ありがとう蔦重。

べらぼう 最終回 蔦重の死

この記事でわかること

  • べらぼう48話最終回の「一橋治済・雷死エンディング」が、史実とどこでズレているのか。
  • 斎藤十郎兵衛=写楽説と、「東洲斎」に仕込まれた言葉遊びのポイント。
  • 蔦重と本居宣長の対面シーンが、どこまで史実に根っこを持っているのか。
  • 「もののあわれ」というキーワードが、最終回全体のテーマとしてどう効いていたのか。
  • 蔦重の脚気と「江戸わずらい」と呼ばれた病気の実像、史実の死因との関係。
  • 長谷川平蔵・南畝・十返舎一九たち“仲間組”の描かれ方が、江戸文化の何を映しているのか。
  • AV女優起用や雷死エンディングなど、「ぶっ飛び演出」は大河ドラマとしてどこまでアリなのか。
  • 2025年の1年間を通して、「蔦重の生き方」からなおじ世代がセカンドライフのヒントをどう引き出せるか。
目次

一橋治済の雷死とべらぼう48話

治済「雷死」シーンのインパクト

一橋治済が阿波の島で逃亡を図り、刀を振り上げた瞬間に雷がドカン。

ワーオ、ここまでやるかNHK、と思わず声が出ました。

ここでの雷は、どう見ても「天罰」のメタファー。

治済が積み上げてきた陰謀と暴力を、一撃でリセットする“神の鉄槌”。

史実の治済の最期とのギャップ

史実の一橋治済は、雷とも阿波とも無縁の最期を迎えています。

江戸の一橋邸で病没し、しかも従一位という超エリート階級で人生を閉じました。

阿波送りの記録もなければ、「雷に打たれて死亡」なんていう伝承も見つかりません。

今のところ、「阿波の雷死」を裏づける史料や学説は確認されていないので、この描き方は『べらぼう』オリジナル。

「悪役にふさわしいラスト」を、脚本が思い切って創作した。

ドラマがここまで徹底してくれたほうが、視聴者としてはむしろスッキリです。

写楽=斎藤十郎兵衛と東洲斎の仕掛け

斎藤十郎兵衛と写楽をつなぐ線

最終回では、斎藤十郎兵衛が「一橋治済の替え玉」を続ける決意を語ります。

その上で、「あの斎藤こそ写楽のひとり」という種明かしがさらっと置かれましたね。

写楽の正体については、史料ベースで「阿波徳島藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛」説が有力。

ドラマはこの学説をうまく拾いながら、「替え玉」と「役者」という二重の“変身”構造で遊んできた。

東洲斎=斎藤十という言葉遊び

さらにニヤリとさせられたのが、「東洲斎」という名前の読み替え。
「斎」「東」「洲」→「斎藤十(郎兵衛)」と、パズルを解くようなネタバラシを見せてきました。

もちろん、これはかなり遊びの入った解釈でしょう。

実際の研究書でここまでハッキリ言う説は、見つけられませんでした。
(もう少し調べると、出てくるかも…。)

それでも、「名前の裏側に物語がある」と気づかせる仕掛けとしては秀逸でしたよね。

1年間ばらまいてきた“写楽とは何者か”の伏線を、視聴者がニヤリとできる形で回収したなと感じています。

👉関連記事:写楽の正体は誰?べらぼう45話しゃらくさいの意味

本居宣長と「もののあわれ」

蔦重と本居宣長の邂逅

伊勢・松坂を訪ねた蔦重が、本居宣長の家を訪問する。

この「松坂行き」そのものは、記録に残る史実ベースのエピソード。

宣長の学問と著作を江戸に運び、読者に届けるパイプ役のひとりが蔦重だったんですね。

ドラマはそこに、「直接会って語り合う」というサービス精神多めのシーンを足してきたわけです。

👉関連記事:本居宣長とは何をした人?『古事記伝』と『もののあはれ』の思想を元教師が解説

「この国は、すけべでおっちょこちょいで…」

宣長が、「この国は、すけべでおっちょこちょいで、祭り好きな神様が集う国(儒学とは違う)」と語るくだり。

なおじは正直、テレビの前で『ムムムっ!』と唸ってしまいました。

教科書で読むとやたらと難しそうな「もののあわれ」が、あの一段で一気に腑に落ちる。

もし教員時代にこのセリフを黒板に書けたら、生徒の古典嫌いも少しは減ったんじゃないかと、ちょっと悔しくなりました。

蔦重が宣長の著述を江戸で売り広めようと訪ねた事実は確認できますが、ドラマのような“膝を突き合わせた哲学談義”が史実通りだったかは分かりません。

とはいえ、宣長の思想のエッセンスを、ここまで分かりやすい日本語に翻訳してくれた脚本には拍手です。

蔦重の脚気と「へ踊り」の最期

江戸わずらいとしての脚気と史実の死因

蔦重が倒れたとき、病名として出てきたのが「脚気」。

これは、江戸の都市生活者にはおなじみの「江戸わずらい」です。

白米中心の食事と、休みなく働き続ける暮らしが拍車をかけました。

夜通し版木をチェックし、企画を飛ばし続けていた蔦重には、いかにも起こりそうな病です。

史実でも、蔦屋重三郎の死因は「江戸わずらい」、つまり脚気と伝わっています。

ただし、当時の診断は今ほど精密ではなく、「脚気とみなされていた」と表現したほうがフェアかもしれません。

👉関連記事:【実録】大河ドラマ『べらぼう』で描かれる蔦屋重三郎の死因と墓の謎

「へ踊り」で送られるという救い

死にゆく蔦重を、仲間たちの「へ踊り」で見送るラスト。

さすがに、こんなに陽気な臨終シーンは史料には残っていません。

ここは完全にドラマオリジナルの、“祝祭としての死”を描いた場面。

死のちょっと前、病床から、「あいつは本を作り続けた。書をもって世を耕し続けた」と言われたいという蔦重に
十返舎一九が「かくぞ、待っておれ」と叫ぶ流れは、史実の蔦重の人生をうまく象徴していましたよね。

なおじは、このあたりで完全に涙腺ギブアップ。

市民講座で「死の捉え方」を話すとき、今後はこのシーンを思い出してしまいそう。

南畝の一句と江戸の幸福感

何が「ぞくぞく」するのか

大田南畝(おおた なんぽ)の句、「ゆったりと 布袋の腹の春が来て 梅が唐子に 東風の吹く神」

この句、すごい~!
ぞくぞく度ナンバーワン、鳥肌ぼつぼつレベルの一句。

まず、「布袋の腹」と「春」を結びつけた発想が見事な「うがち」

ふくよかな布袋の腹に、ぽかぽかした春の気配がじわっとしみ込んでくるような感覚が、一気に立ち上がります。

風景が立ち上がる写生の妙

さらに、「梅が唐子に 東風の吹く神」の部分。

梅の花の下で、唐子模様の酒杯か器に、その梅がふわっと映り込んでいる情景が浮かびます。

梅の下で、唐子模様の杯を手にしている布袋さま。

そこへ春を告げる東風が、そよっと吹きかけている。

読んだだけで、目頭が少し熱くなるような風景美。

日常のささやかな幸福と、それを見守る神さま(自然)が、南畝らしいユーモアとともに一首に閉じ込められている。

なおじは、心底ぞくぞくしました。

長谷川平蔵・十返舎一九たちの余韻

長谷川平蔵と駕籠屋の女将

駕籠屋の女将のところに行くと、連れは体調を崩した長谷川平蔵。

「悪いな」という一言だけで、時代の黄昏がにじみます。

女将が後ろ姿だけというのもニクいところです。

過去回を見続けてきた視聴者にだけ届く、「あの人だよね」と心の中で頷けるご褒美ショットでした。

十返舎一九の一言と仲間たち

十返舎一九の「かくぞ、待っておれ」。

この一言で、「蔦重が蒔いたタネは、これからも仲間が耕していく」とハッキリ伝わりました。

山東京伝、南畝、歌麿たちも、それぞれの持ち場でペンと筆を握り続ける。

「本で世を耕す」という蔦重の合言葉が、令和の視聴者にまで届いてくるような感覚がありました。

👉関連記事:べらぼう47話史実検証|治済暗殺計画の真相と創作の境界線

AV女優起用と「ぶっ飛び」大河の意味

大河ドラマにAV女優を出すという選択

AV女優を大河に起用する。

この一点だけでも、2025年の大河は教科書にはまず載らないインパクトを残しました。

賛否は当然分かれます。

ただ、江戸の町人文化そのものが「タブー上等」「境界線上等」の世界だったことを思えば、むしろ時代に忠実な選択とも言えるかも、です。

「史実ではない」が、なぜか江戸っぽい

一橋治済の雷死も、替え玉の連鎖も、宣長との会話も、かなりの部分が創作です。

それでも、「ああ、江戸ってこういう“ごった煮”の時代だったよな」と感じさせてしまう力がありました。

なおじ的には、「歴史的正確さ」と「江戸らしさ」のバランスを、かなり攻めたところで取ってきた大河だったと受け止めています。

ぶっ飛んでいるけれど、妙に納得できる——そんな不思議な後味でした。

👉関連記事:べらぼう第22話|春町酒上不埒復活の真意!廓ばかむら費字盡を元教師が解説

2025年を楽しませてくれた蔦重へ

セカンドライフ目線で見た蔦重

なおじ世代から見ると、蔦重は「セカンドライフのロールモデル」でもあります。

何度転んでも企画を出し続け、叩かれても世に問うのをやめない。

「あいつは本を作り続けた。書をもって世を耕し続けた」と言われる生き方。

ブログを7つ抱えてヒーヒー言っている身としては、背筋を伸ばしたくなるフレーズです。

2025年、ありがとう蔦重

AV女優も、雷も、「もののあわれ」も、写楽の謎も、全部まとめて「べらぼう」。

2025年をここまでかき回してくれた大河ドラマ。
こんな大河、本当に久しぶりです。

2025年を楽しませてくれて、ありがとう蔦重。

そして、ここから先は、なおじたち視聴者がそれぞれの「もののあわれ」を探す番かもしれません。

Q&Aで振り返るべらぼう48話

Q1:一橋治済は本当に雷で死んだの?

いいえ、史実では江戸の一橋邸で病死しています。
雷死も阿波送りも、ドラマの創作です。

Q2:写楽=斎藤十郎兵衛説はどこまで本当?

江戸時代の史料に名前が出てくる有力説ですが、決定打ではありません。
『べらぼう』はこの説をベースに、「替え玉」というフィクションを重ねてきました。

Q3:蔦重と本居宣長は本当に会っていた?

蔦重の松坂訪問は記録に残っており、宣長との接点も史実ベースです。
ただし、ドラマで描かれたような詳細な会話内容までは分かっていません。

Q4:蔦重の脚気はどれくらい史実寄り?

蔦屋重三郎の死因は「江戸わずらい(脚気)」と伝わっています。
病名の精度こそ当時なりですが、方向性としてはかなり史実に忠実な描写です。

Q5:AV女優起用は大河としてどう見るべき?

価値観は分かれますが、「江戸文化はそもそもタブーを壊す側だった」と考えると、一つのチャレンジと受け取れます。
2025年の大河が「安全運転」で終わらなかった証拠として、なおじは評価したいところです。


筆者紹介|なおじ

元社会科教師として35年間、教壇に立ってきました。
現在は7つのブログでドラマ芸能政治歴史スポーツ学びについて、日々コツコツ書いています。

ドラマ記事では、作品の裏側にある「時代背景」と登場人物の「心の揺れ」を、ゆっくりと言葉にしていくスタイルです。

『べらぼう』は、教員時代には語りきれなかった江戸史の“もう一歩先”を、一緒に歩かせてくれた大河ドラマでした。

べらぼう最終回

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