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朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理気二元論」とは何か

日本人の思想的な根幹を造っているのは、儒教だと言って過言では無い。その日本儒教の基(もとい)を創り上げたのは、林羅山。羅山が日本に広めようとした朱子学の思想とはどういうものか。そして羅山自身の思想とは。

目次

時代は、儒学をもとめた

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徳川家康は大阪の陣で豊臣を滅ぼし天下を平定した。
それによって、それまでの戦国の世から新たな時代をつくる段階に入った。

・江戸時代以前の中世後半期は、戦国乱世の時代。
・人倫否定のいわば下克上の時代。

・家康は関ヶ原の戦いに勝利して天下統一を果たし、慶長8年(1603)に江戸幕府を開いたことで戦国乱世の時代は終止符を打った。

(江戸幕府と儒学者)p53

世の中は、『「乱世(武力の時代」から、「文事政治(争いの無い時代)」へ変化する過渡期』
この時代背景が、文事政治必要論のバックボーンとなった。そして、文事政治を進める上で求められたのが儒教(儒学)。
『儒教は、時代の要請だった。』

なぜ、仏教ではいけなかったのか

当然、人々の心を支える思想的なものとして、すでに仏教があった。
では、新しい世をつくるための思想的な支えが、『なぜ仏教ではいけなかったのか』、という疑問がでてくる。
この疑問に対し、筆者は次のように述べる。

(仏教思想の根本は)・「色即是空、空即是色」
・仏教では事物はそれ自体が存在しているのではなく、もともとは空であり、実体の無い空こそがそのまま一切の事物である~
・世界(宇宙)の本質を空であると捉えた。

(江戸幕府と儒学者)p54

仏教の、根本思想は、『全ては空』、ということ。
『空』である現世に救いは基本的に無く、救いは来世にこそあるという思想。
『「空」の思想つまり、「現世では無く、来世に救いを求める思想」は戦国時代には向くが、文事政治の新しい世の中には向かない。』
だから、仏教では無い新しい思想として、儒教(儒学)が必要になった、という論理。

また、家康など為政者にとって当時の仏教界は、政治的な反対勢力でもあった。
そこで、仏教は仏教として、人々の思想を支えための新しい拠り所を必要としたのだろう。

林羅山(NHKより)

儒学は、時代と共に変化する

ここで、朱子学とは、「どのような儒教思想なのか」について、振り返っておきたい。

・儒教というのは、古代中国の堯・舜などという聖王の政治を理想とする復古主義的な思想で、春秋時代の孔子( 紀元前五百年頃) が開いた。この儒教についての学問である儒学は、歴史的に見ると、漢唐訓詁の学( 漢学) から、宋代性理の学(宋学) へと大きく変化した。

(江戸幕府と儒学者)p55

とりあえず儒教は、孔子が開いた学問である。
孔子は、春秋時代と言われる紀元前500年ごろの実在の人物とされる。

神武天皇が、紀元前660年にヤマトを建国したことになっているので、日本(ヤマト)の建国から約160年ほど後の人、ということになろうか。

孔子は、古代中国の堯・舜の政治を理想として、「古代に戻れ」という復古主義的な教えを説いた。

訓詁の学

その後、儒教も変化をしていく。
例えば漢唐訓詁の学( 漢学)といわれる「儒学」。

訓詁の学(漢学)は、漢の時代から唐の時代にかけての儒学。
筆者は次のように説明している。

主として五経( 書経・易経・詩経・春秋・礼記) や論語などの訓詁注釈古い字句の読みや解釈) の学問

(江戸幕府と儒学者)p56

つまり、『古い文献に書かれていることを、読み解き、こういう意味が書かれていますよ』と、解釈したことを説明する学問だった。
この時代の儒教は、「思想学」というよりは、たんなる「解釈学」だった。

漢の時代とは

ところで、『漢の時代』とは、いつ頃を指すのか。
漢(紀元前206年~西暦220年)の時代。

後漢は、一度滅ぼされた漢が再興された時代で、漢時代全体の末期(西暦25年~西暦220年)を指す。
訓詁の学の中心人物は、鄭玄(じょうげん・ていげん)

鄭玄は、それこそ、後漢の時代の人で『訓詁学』を大成したと言われる。訓詁学はその後、儒学(儒教)の基本となり、科挙制度と結びついて発展する。

唐の時代とは

聖徳太子の遣隋使の「随」の後の王朝。
唐(西暦618年~西暦907年)の時代

訓詁の学は、800年も儒教の主流だった

中国と言えば、科挙。
科挙と言えば、重箱の隅をつつくような問題で、ほとんど受からない。だがもし「科挙」に通れば、立身出世が約束される制度。

この科挙に出題するための学問として「儒学の訓詁の学」は発展した。
勉強のための勉強で、儒学を学ぶのがむなしくなりそうだ。

羅山立ち姿

性理の学(宋学)

次の宋の時代になると、儒教は仏教、とくに禅の影響を受けて単なる「古文の解釈学」ではなく、「思想の学問」として見直される動きが出てくる。

「道」「理」「気」「性」などという概念を駆使して、世界と人間のあり方を統一的に説き示そうとする「道学」「理学」としての儒学が形成されることになった。これが宋代性理の学( 宋学) であり、~

(江戸幕府と儒学者)p56

「単に古代の文献の解釈に終始していたら本質を見失う。」
そう考える人が出て来た。

その一人が朱子(朱熹)
朱子は孔子の教えの体系化を図った。

「道」「理」「気」「性」』などの概念で、「道」などは日本人には馴染みが深い。
日本人は、何でも「道」にする。「華道」「剣道」「柔道」「茶道」などなど。

「理」も、馴染みが深い。だが、私はこの言葉で極めて客観的な「物理法則」や「理科の理」とは若干ニュアンスが違う。
朱子学の「理」は、もっと観念的、思想的、主観的だ。
さらに、「気」も「性」も、現代日本人なら、なんとなくイメージできる言葉だ。

宋代とはいつか

宋(西暦960年~西暦1279年)の時代。
平安時代から、鎌倉時代にかけてだ。

常陸楠木神社

性理学(宋学)は、「存在論」「心性論」「修養論」の三つの柱をもつ

理性学(宋学)の一つが朱子学がある。
朱子学には三つの柱がある。

・①存在論(存在するとは?)
・②心性学(人の心とは?)
・③修養論(人はどう生きるべきか?)

①朱子学の存在論は、『理気二元論』

宇宙にあるすべての存在は、形而上の「理」形而下の「気」というものからなっていて、物には常に「理」と「気」が一体化して共在しており、この両者を分離することはできない。「理」とは物の秩序・法則であり、「気」とは運動のエネルギーを持ち、物を形作る物質である。宇宙にある存在はすべて「気」によって構成されているが、「気」は常に運動状態にあり、その「気」の動きの小さい状態を「陰」、動きの大きい状態を「陽」という。この「陰」と「陽」の組合せによって、物質を形作る元素ともいうべき五行( 木・火・土・金・水) が生成され、さらにこの五行の配合によってさまざまな物質が生み出される。(「万物化生」)

(江戸幕府と儒学者)p57

SFの世界のようだ。
とりあえず、物体を造っているのは「原子とか分子」とかでは無く、『理』と『気』と考える。

「理」と「気」は、別つことができない一体のもの。
『「理」は形而上のもので、「気」は形而下のもの』だという。
このあたり、意味が分からない。我々にとっては、「理」も「気」も形而上のものに映る。

「形而上」とは、「形をもっていないもの」ということだろう。
だとしたら、朱子や儒学者は、「気」はなぜ「形而下」ととらえたのか?
「気」には、形が存在すると捉えるのだろうか。
このあたり意味が分からないのだが、好意的に解釈して、
『「気」の「流れ」は見えるでしょう』と言うことなのだろうか?
気の流れが見えるとしたら、「忍者ナルト」のレベルで、一般の人間には見えないのだが…。

もう一つ、好意的に解釈すると、

『流れとしての「気」』のレベルでは、形として見えませんが、「気」の流れの組み合わせによって生じた五行「木・火・土・金・水」は、見えるでしょう。だから「気」は形而下なんですよ

と、いうことなのだろうか。

『五つの組み合わせで、全てのものが形作られている』と解釈する。
朱子学の「理気二元論」という存在論は、私にとってはSFの世界だ。
だが、この「気」を頭に入れておかないと、このあとの朱子学の理解が難しくなる。

物質中に内在する「理」

『気』の流れで構成された五行、つまり全ての物質の根源である「木・火・土・金・水」が生まれる。つまり、「気」と「気の流れ」は、原子に対応するのかな。

そして、この五行の組み合わせで、全ての物質が形作られる。つまり「木・火・土・金・水」は、分子に対応するのだろう。

朱子学の「理気二元論」では、朱子学的な原子や分子だけではなく、「気」には別ちがたく「理」が存在しているのだという。

「理」つまり、物質ではないモノとしての形而上的な「理」だ。
さて、「理」とは何か。

このようにして生み出されたさまざまな物質は、無関係・無秩序に存在しているのではなく、そこには宇宙全体を統括する統一的な秩序が貫徹している。これを「理」という。この「理」は、個々の事物の存在とは離れた原理、すなわち統括的な「天理」( 天の秩序) であるとともに、個々の事物に内在する個別的な「物理」( 物の秩序) でもあるとされる。
このことを「理一分殊(りいちぶんしゅ)」 理は一つだがさまざまなものに分かれて、個別的にも存在する) という。

(江戸幕府と儒学者)p57

『全体を統括する統一的な秩序』が『理』であり、『原理【天理】』である。

この『全体』の『理』は、『天理』であり、この『天理』は、個々の事物にも内在しているという。そして、それは『秩序』であるらしい。

このあたりが、分かりづらい。
『天理』は、『物理的な法則』なのかと思いきや、『思想的な・秩序』らしい。

「儒学」は、あくまで「心学」だ。「物理ではない。」そして、この『何の学問なのか』という点(物理ではなく心学だという点)が、理解を難しくしている。
「物質を形作る五行は、物理では無い」のだ。
朱子学で言う物質の「理」は、物理学的な原理を指すのではなく、心学としての「秩序」を指す。
ややこしい。

「理」が物理の法則なら、個別のモノも全て「物理の法則」に支配されている、というのは自明だ。
ここでいう「理」は、「物理法則」ではなく、「秩序」とか「道徳」を指している。

「性」とは何か

さらに、「性」という概念が出てくる。

天の秩序である「理」は、人間においては「性」として存在し(「天人合一」)、これが人間の行動の規範すなわち道徳となる。

(江戸幕府と儒学者)p57

「天」には、「天理」が存在し、「人」にも存在しているのだが、それは「性」として存在している?
「天理」=「道徳」である。
「道徳」=「性」である。
?????。

道徳の規範が「天理」であるというのは、辛うじて了解だ。

だが「性」とは「道徳規範を示されても」、それを『無視します』『守ります』など、『何々します(してしまうでしょう)』という、その人の性質というか、性格のことではないのだろうか。

「理」の根拠は「太極」

著者は、「理」について、さらに次のように説明している。

「理」の根拠になる、宇宙における根源的なものとして想定されたのが、「太極」という概念である。朱子はこれを「無極にして太極」と規定した。
無極はもともと『老子』の言葉虚無を意味するが、朱子学では「冲漠無朕(ちゅうばくむちん)」(混沌として兆しのないこと、無形無象) をいう~

(江戸幕府と儒学者)p58

根拠、というわりに「よくわからない」
「理」の根拠は、「太極」だという。

「太極」は、老子の「無極」という概念から導き出された。
朱子は、『「天理」とは、「太極」で、「無極(形のないモノ)」である』と言っている。
「????」

『「天理」の根源は、「太極であり無極」、つまり「天理」には「形」が無い』
何か、大変なことを述べているようで、内容は「あるのか?」と、感じられてしまう。

まあ、とにかく「天理」の根源は、「太極にして無極」なんだ、と無理矢理理解したことにするしかない。
筆者は、ここまでの説明を下図のようにまとめている。

②朱子学の心性論

肉体は「理」と、「気」の流れでつくられた五行「火・水・木・金・土」の配列でつくられている。
人間は肉体とは別に、「心」をもっている。

「心」には、「理」と繋がる「性」が存在している。
朱子学(儒学)では「性」とは心の中にある「天理」であり、「秩序」・「道徳」は、既に心の中にある、とされる。

だとすると、全ての人間は、『生まれながらにして「あるべき道徳」とか「あるべき秩序」が、心の中にある』と言うことになる。

だとしたら、なぜ悪人が世に存在するのか?
なぜ、一人一人考え方に違いが生じるのか。
朱子は、次のように考えた。

朱子は人間の心を次のようなものとして説明する。人間は肉体とは別に心を持っている。肉体は「気」によって成り立っているが、心には生まれっきの「性」というものがあり、これは心のなかの「理」とでも言うべきもので、「天理」と繋かっている。この心のなかの「理」である「性」が外界の刺戟を受けた時に、心のなかに「情」が発生する。
朱子は人間の心のなかの「理」を「性」とするが(「性即理」)、同時にこの「性」を「本然の性」「気質の性」という二重性において捉えた。「本然の性」が即ち「理」であるが、人間の肉体が「気」によって成り立ち、心が肉体に依存している以上、「気」の状態によって「性」のあり方も一様ではなく、現実的にはさまざまな「気質の性」として「性」は個々人の心に存在するという。

(江戸幕府と儒学者)p58

人の心には、「天理」として「正しい道徳」・「正しい秩序」が生まれながらにして存在している。

だが、人間のもつ「気」は一人一人違うので、「外界の刺激」によって「情」が生じる。その「情」によって、一人一人の「性(質)」が異なってしまう。
こうして、人の心の中には「本然の性」=『本来の正しい「道徳」・「秩序」』が存在しているが、「気質の性」=『一人一人の「情」によって生じた、その人ならではの「道徳」・「秩序」』が心の中に存在することになる。

これは、わかりやすい。

③修養論(人はどう生きるべきか?)

「本然の性」と「気質の性」という考え方を見つけたとき、朱子はおそらく躍り上がって喜んだろう。
「見つけた!」と。

そして、この発見によって、朱子は「修養論」も体系づけることに成功したはずだ。

人は、少なからず「情」によって、「気質の性」が「情」濁っている。だから「本然の性」に自らの心が回帰できるようにすること、これが朱子学の「修養論」の究極の本質。

人間は、「理」に従って生きなければならない。
では、具体的にどうすれば本来の「理」に自らの心を回帰させることが出来るのか。

「格物致知(かくぶつちち)・格物窮理(かくぶつきゅうり)」

これについて、『朱子学類語』に書かれていることを意訳すると以下のようになる。

「道なるものは人事当(まさ)に然るべきの理」というように、それが道徳である。そのためにはまず「理」というものを個々人か客観的に明らかにし会得しなければならないとされ、観察によって一事一物に内在する事理・物理に到達し、それを究極にまで窮めて大きく宇宙に一貫する「理」を見出すよう努力することか求められる。これが朱子学にいう「格物窮理」(物に格(いた)りて理を窮む)である。

(江戸幕府と儒学者)p60

「格物窮理」は「格物致知」とほぼ同義。
「物」に内在する「理」を知るためには、『観察』が大切だと言う。
「物」をジーと観察していると、「物の道徳的在り方・本来あるべき秩序」が見えてくる、と言う。

『そんなことあるかい』と、突っ込んではいけないのだろう。
「物に内在する『理』を窮めるためには、実験や比較が必要でしょう。ジーと見つめているだけで、物の本質を理解できるというのは、安易すぎるでしょう」と、それでも言いたくなるのだが…。

「居敬存養」:主観的修養の必要性

上記の様な突っ込みに対して、朱子は、「単に客観的に観察しているだけではダメですよ。主観的な心も同時に磨く必要があるのです。」と、説いている。

同時に自分の内部にある「性」のあり方をも主観的に把握することが求められるが、そのための方法として提示されるのが「居敬存養(きょけいそんよう)」(慎み深い生活態度を保ち、本然の性を養い育てる)~

(江戸幕府と儒学者)p60

朱子学的な修養のためには、
客観的な『観察』と同時に、主観的な「心」を磨く必要がある。主観的な修養と客観的な修養の二つが同時に必要だと言う。

「心」を磨くためには、慎み深い生活態度を常に保たねばならない、と。

林羅山は現実主義者:林羅山の思想

羅山には、思想的な独創性はあまりなかった。
羅山が目指したのは、朱子学を理解し伝えるという「啓蒙的儒者」という評価が一般的。

羅山は、若い時代は許容性に乏しく『ガチガチ』の考え方をしていたが、年を重ねね、例えば「方広寺鐘銘事件」のような、数々の「朱子学の原理とは相容れない現実」と直面する内に、ガチガチで先鋭的な朱子学理論への整合性より、朱子学の理想より、現実との適合を考えて妥協を図って事に対処する姿勢に変わってきた。

例えば、『本朝通鑑』では、『南北朝正閏論』については『本当は南朝が正統』だと考えながらも、現皇統が北朝であることを考慮して『南朝正統』を主張しなかった。
また、「方広寺鐘銘事件」では、家康が豊臣に対して見え見えの「言いがかり」をでっちあげたということを朱子学者として知っていたが、家康の意図に従って「秀頼よ、お前は徳川を呪詛している」と、文書にまとめた。

羅山は、朱子学に対する造詣の深さがあった。だが、その知識を裏付けとした上で、なお現実的な対処をした。

自らの夢である「文事政治実現のため、朱子学思想を教える学校を創設する」ために、自らの主張・信念をねじ曲げることもできる人だった。
朱子学者林羅山のこの態度、そして思想を、どう評価するかは個々で違うだろう。

まとめ:朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理」・「性」とは何か

朱子学では、人の「心」には生まれながらにして「本然の性(天が定める正しい道徳・秩序)」が備わっている。
だが、人間には「情」があり、一人一人「気質の性(性質)」がある。時に「気質の性」によって、「本然の性」を見失ってしまうことがあるので、「気質の性」を磨く必要がある。

修養の方法としては、客観的な修養として「観察」があり、主観的な修養としては「常に生活態度を見直し、慎ましやかに暮らす」という方法がある、とする。

だが実際の羅山は、「気質の性」に従って「本然の性」を曲げる行動を取った現実主義者であった。
幕府の学者であるという現実的な立場、時代の要請ということが羅山の現実的な行動の裏にあったのだろうが、評価は個々でことなるだろう。

羅山自身に思想的独創性はあまりなかった。そこで『啓蒙的儒者』という評価が一般的。
「理」と「性」の朱子学思想を理解した上で、現実的な行動をとった思想家だった。

儒者・林羅山

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