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グ・ヨンチョル氏の嘘を暴く「軍艦島の真実」

産経新聞令和4年12月2日
目次

『軍艦島の朝鮮人差別を否定をする日本政府』を応援する

 令和4年12月2日(金)の産経新聞一面に「軍艦島の朝鮮人差別 否定」という記事が載っている。

 内容を抜粋する。

◎政府が、ユネスコに提出した『長崎県の端島炭鉱 (通称・軍艦島)を含む世界文化遺産』に関する報告書の内容について。

○「戦時徴用された朝鮮人労働者をめぐる日本政府の説明が不十分」とのユネスコの指摘に対し 
  ☆「誠実に履行している」 
  ☆「徴用は全ての日本国民に適用」
  ★国家総動員法に基づき、国民徴用令は全ての日本国民に適用
  ★当時、朝鮮人も日本国民
  韓国などで
   『軍艦島をナチスドイツの収容所と同列視する主張』に対し、
   『根拠を挙げ否定』

○近くユネスコが報告書を公開
○来年の世界遺産委員会で審議(予定) 
                    
○「産業遺産情報センター」(東京・新宿)の展示内容を変更(来年3月までに)
 ☆出典が明らかな資料や証言に基づく

改めて軍艦島とは

 軍艦島は、長崎にある炭鉱の島。2015年に世界文化遺産に登録された。東京ドーム1.3個分程度の島。

 明治に端島(軍艦島)を財閥の三菱が買い取り、炭鉱としての設備が整えられた。端島で取れる石炭は、質が高く有名になった。

 端島の採掘は、24時間体制で行われていた。0-8時、8-16時、16-24時の三交代制を取った。常に誰かが炭鉱で働いていたことになる。

 端島の労働者は、島の居住スペースに住んだ。住居はすべて財閥三菱の社員寮だった。
 この社員寮の家賃は破格で安かった。
 さらに、給料も高級であった。当然、軍艦島で働きたいという希望をもち、人が大勢集まる。

端島で働く人々

「地獄の島」というグ・ヨンチョル氏の主張

 その端島(軍艦島)で少年時代を過ごしたという具然喆(グ・ヨンチョル)氏は、「わが民族のもっとも痛々しい記憶の場所が端島だ」と主張した。

「食料を得るために、皿を一つもって列をなしている強制連行された青年たちの様子が幼心にも不思議でした。その横には日本の軍人が棒を持って立っています。その前を頭を上げることも出来ず、皿だけをもって、わずかな食料を得ようと列を成している様子を見て、あまりに凄惨だと思いました。」

これに対し、元島民の方々は、強い疑問を抱く。

「100%虚偽だ。支離滅裂、しっちゃかめっちゃか。皿をもって道路端で、おかずちょうだい、なんていうお涙ちょうだいだなんて馬鹿げている。」

 と憤る。当時の三菱の独身労働者の食事は寮の食堂で配膳された。道ばたで配膳することは無かった。
 日本人の兵士が、労働者の食事の管理をしたという事実も無い。

 具氏は、『神仏山』という本の中でも、軍艦島に関する体験とされる記事を書いている。
 しかし、この内容についても、元島民たちから「あり得ない」という批判が上がる。

「朝鮮人たちは、動物の檻と変わりがない合宿所に集団で起居しながら、毎日迫り来る死の脅威にさらされていた。どれほど多くの人が死ぬのかは、子供たちがより多くを知っていた。教室に座っていると、中ノ島がくっきりと見えた。島から黒い煙が上がると誰かが死んで燃やしているという事であった。戦争末期には毎日のように黒い煙が上がった。学生たちは教室で勉強しながら、今日は何人死んだと数えることもあった。」

「実際教室からは、中ノ島は見えないですよ。そんな話を子供たちはしたことがないし、それも朝鮮人ばかり中ノ島で火葬されて、毎日煙が上がっているなんて事実では無いです。」

 戦後の鉄筋コンクリートの校舎では確かに中ノ島は見える。しかし、戦前の木造校舎は現在と立地位置が違うので、中ノ島が見えないのだ。
 この時点で、具氏の主張は嘘だと言うことが明白。

「熊本は、海を挟み端島からはっきり見渡せる場所であった」

「端島から熊本が見えるはずが無い。」

 この点も嘘。具氏は、このように戦時中の端島について嘘を並べる。具氏とはいったいどのような人物なのか。

グ・ヨンチョル氏とはどのような人物か

長崎新聞

昭和 6年(1931年) 慶尚南道で生まれる。
昭和14年(1939年) 父が働いていた端島に、家族とともに移住
戦後は、左翼の活動家として知られる。

 この経歴を見た元島民は、「父が働いていた端島に家族を移住させたなら、端島が地獄の島では無かった」と言うことだ。
「地獄の島に家族を呼んだりしない。」と言う。元島民の批判はもっともだ。

 さらに、この年齢・年代のどの元島民に聞いても、グ・ヨンチョルなる人物が端島の小学校に転校してきたという事実を知るものは居ない。

 後に、具氏は、創氏改名で「松山」を名乗っていたので、学校の名簿に「具」が無いのは当たり前だと主張する。

 すると、元島民たちは「松山なら、下の名前は何かを明らかにしてくれ。」と質問状を送るが、返事が無い状態だという。

 嘘を並べすぎて、動きが取れなくなったか。

 具氏は、こうも言っている。

「敗戦の方が伝えられ意気消沈している日本人の舎管や管理職員全員が、突然姿を消したのだ。日本人鉱夫の姿さえ見られなかった。朝鮮人は、彼らが連絡船で夜逃げしたことを知った。島に残ったのは、朝鮮人と沖縄人だけだった。実に奇っ怪な状況であった。」

「そんなことは絶対に無い。」

「馬鹿馬鹿しい。船が出る時間は決まっているのに、どうやって夜逃げをするんだ。」

「満州から強制的に連行された中国人労働者が千人近く居たが、日本人が去った翌朝から、ついに一人も見ることは無かった。よもや千人をも虐殺するなど純朴な朝鮮人の想像を遙かに超えることだった。日本人が中国人だけを鉱内に閉じ込めて入り口を爆破して皆殺しにしたのではないかと疑うようになった。」

元島民は、これに対しても批判

「端島を知らない人が想像で書いている。なりすまして言いたい放題を書いている。」

 では千人分の遺骨はどうなったのか。こちらも隠蔽していると言い張るのだろうか。

長崎新聞の言い分

長崎新聞関係者

具氏の主張を新聞に載せた長崎新聞は、元島民の質問に対し次のように答える。

皆さんが言っていることも、もちろん真実だと思いますし、徴用工の方たちが証言していることの中にも真実があると思います。ただ、それをどう判断したら良いのか。一方の主張だけが出回っていくのでは無く、今まで黙殺されてきた皆さんの話っていうものも、やっぱり重要だと思いますので、きちんと報道していけたらいいなとは思っております。

元島民の、長崎新聞の言い分への批判

 実在していた(端島で本当に暮らしていた)人が、自分の体験談とか、苦労を言うのであれば、親身になって聞かなければいかんでしょう。だが、グ・ヨンチョルなる人物は、端島で暮らしていたという事実に疑問があるわけですから、(グ・ヨンチョル氏が)第三者のことをいろいろ述べているわけですけども、それに対して(長崎新聞が)彼の意見を尊重すると言うことは、ありえんと思うんです。それをさっきから論議しているわけです。実際の話であれば、我々も反省するところはあるでしょうけれども、実在しない人が(端島にいなかった人が)実在で無い(実際には無い)話をするものですから、皆が論議されているわけです。(皆が批判しているわけです。)その辺を誤解しないでくださいよ。

 当然の主張だ。それなのに、なぜ端島島民の声は黙殺されてきたのか。
 なぜ議論はかみ合わないのか。
 なぜユネスコは、明らかな嘘を見破れないのか。それとも、分かっていて目をつむっているのか。

 日本政府のさらなる奮闘を期待する。

産経新聞令和4年12月2日

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