日本の神社は全国で約8万社ある。そのうち一番多いのは、どの神をお祭りしている神社だろうか。第一位は八幡様を祀る八幡神社(約8千社弱)。二位が伊勢信仰にかかわる神を祀る神社(4千5百社弱)。第三位が天神様を祀る神社(4千社弱)、そして第四位がお稲荷様を祀る神社(3千社弱)。八幡神は、古事記や日本書紀に登場しない。つまり外国からやって来た神。その外来の神が日本で一番多いのはなぜか。また、いつから、どういう理由で、日本でもっともメジャーな神となったのだろうか。
八幡神は、「古事記」にも「日本書紀」にも登場しない
日本の神は、多神教の神であり、「八百万(やおよろず)の神」と称される。いたる所に神がいらっしゃる。長靴の中にも、お手洗いにもいらっしゃる。すべてが神なのだから、なん柱(神は人ではなく『柱』と数える)の神々がおいでになるのか分からない。
とりあえず、古事記と日本書紀、合わせて327柱の神が登場する。だが、その中に『八幡神』の名は見当たらない。八幡神は、もともとは渡来してきた人々がもたらした外来の神だった。
八幡神が日本の文献に登場するのはいつか
八幡の神が最初に登場する文献は「続日本紀(しょくいほんぎ)」。
続日本紀とは、『日本書紀』に次いで編修された勅撰国史。 桓武天皇の延暦16年(797年)に完成した。
扱われている期間は、文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)の95年間。
その続日本紀の天平9年(737年)の条に、八幡神の記述があり、これが文献上最初の登場である。
この記述によると、
天平9年(737)の1月に、朝廷は『新羅に使節を派遣したが、受け入れをこばまれる』などして、日本と新羅との関係が悪化していた。そこで、『八幡神などの神々(八幡神の他に、伊勢神宮・大神神社・筑紫の住吉や香椎宮など)に、ささげ物を奉った』と、記されている。
八幡神は戦神。新羅との対立に対して朝廷は八幡神に祈りを捧げる。
またこのすぐ後に起こる藤原広嗣の乱(天平12年・740年)でも、朝廷は八幡の神に戦勝祈願をして勝利している。つまり8世紀の初頭には、戦神としての八幡神が、メジャーな存在となっていたことが分かる。
さらに戦神としては、八幡神が源氏の氏神だったことも、日本に八幡信仰が広まったことの一因となっている。
ところで、新羅との関係が悪化していた天平9年(737)は、天平のパンデミックの年でもある。今のコロナ禍以上の疫病の蔓延が起こっていた。これにより、聖武天皇は東大寺に大仏をつくることになる。実はこの大仏建立も、八幡神信仰が日本に広まる一因となった。
聖武天皇の大仏建立と八幡神
聖武天皇は、天平15年(743年)10月に、大仏造立の詔(みことのり)を出した。この大仏建立について、「正倉院文書」によると、『宇佐の八幡宮から東大寺に多額の建設費用が送られた』という記述がある。
これに対し朝廷は、聖武天皇の名で安倍虫麻呂を派遣し、宇佐八幡にお礼をしている。
さらに聖武天皇が天平18年~19年(746~747)に病気になったとき、宇佐八幡に祈祷して平癒した。そのとき聖武天皇は、宇佐八幡を三位に叙している。
東大寺の大仏は、天平勝宝元年(749年)の10月に鋳造が終わる。そして、大仏建立にも大きく貢献した八幡神に、平群郡(へぐりごおり)・【現在の奈良県】の地を与え、梨原宮という神宮がつくりそこに八幡神を祀った。この神社が後の手向山八幡宮となった。
このように大仏建立という日本国家の大事業を支える上で、八幡神は大きな役割を担い、それにより八幡神は、日本の神々の中でも、もっとも重要な存在となっていった。
万世一系の危機 【弓削の道鏡事件】と 八幡の神大仏
日本の天皇は万世一系だが、歴史上幾度か、その危機が訪れている。その一つが、「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と称徳天皇(しょうとく)のスキャンダル」だ。
道鏡は、物部氏一族の弓削氏の出身。
この道鏡、孝謙女帝(こうけん)と深い関係を結ぶ。孝謙天皇(重祚して後に称徳天皇となる)は、聖武天皇と光明皇后との間に生まれ、お二人に男子が誕生しなかったので、女性の天皇となった。
さて、当時の大問題は「称徳天皇の後をどなたが継ぐか」ということであった。
称徳天皇は、なんとご自分と深い関係にあり、太政大臣と法王の身分を与えた弓削道鏡に位を譲ろうとした。
称徳天皇は、宇佐八幡に「道鏡を天皇にしてよいかどうか」、神の言葉を聞いてくるよう命じたところ、「道鏡を皇位につけるよう託宣(たくせん・神のお告げ)が下ったという知らせが届く。
この託宣が本物かどうか、再度神にうかがってくるよう、称徳天皇は、和気清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐に遣わした。
ところが清麻呂は、先の託宣とは全く逆の内容の託宣を持ち帰る。
『我が国は君主と臣下は厳格に区別されております。皇統と無縁な道鏡を皇位に据えるなど、あってはならないことです。』
清麻呂がそう告げると、称徳天皇は激怒した。清麻呂を流罪とし、名を「和気清麻呂」ではなく「別部 穢麻呂(わけべの きたなまろ)に改名させた。
しかし、この日本史上まれにみる大事件も神護景雲4年(770年)称徳天皇の死で、道鏡の野望はくじかれて終わる。(下野国に左遷され、そこで一生を終えた。)
八幡神は 韓国出身の神だった
このように、8世紀までに日本の朝廷と深く関わった八幡の神、古事記や日本書紀にあらわれないこの神は、いったいどこから来て、何時から日本の神となったのか。
🔶『承和縁起(じょうわえんぎ)』に見る八幡の神の起源
八幡の神の起源については、二つの史料が有名。一つは、「承和縁起」。もう一つが『託宣集』。
最初の」承和縁起」は、正式には『宇佐八幡弥勒寺建立縁起』という。(末尾に承和11年(844年)とあるので、9世紀の作と思われるが異論もある。原本は失われ、15世紀の末の写本が京都石清水八幡宮にある。)
この「承和縁起」の中には、系統の異なる二つの伝承が書かれている。
◈「八幡神は応神天皇の霊」 説
八幡の神は応神天皇の霊であり、欽明天皇の時代(?~571年ころ)、現在の大分県(豊前国宇佐郡馬城嶺)に八幡の神が出現し、その神を『大神比義(おおがのひぎ)という人物が、鷹居社(たかい社)を建てて自ら祀った。その後小椋山に移された。」とある。
『八幡神=応神天皇の霊』であり、この場合八幡神は、はじめから日本の神である。
◈「八幡神は韓国の神」 説
欽明天皇の時代(西暦6世紀ごろ)、現在の大分県(宇佐郡辛国宇豆高島)に天下った八幡神は、大和国に移り、さらに紀伊国、吉備を経て、馬城嶺に現れたとされる。(転々として馬城嶺)
さらに、遷座を繰り返した。鷹居社の時代は、『八幡神の心が荒れていて、その場に5人居たら3人を殺し、10人なら5人を殺すほどの荒ぶる神だった』と書かれている。
🔶『託宣集』に見る八幡神の起源
託宣集は、正式には『宇佐八幡託宣集』という。書かれたのは、鎌倉時代末期(正和2年・1313年)。
八幡神の起源については、
「辛国(からくに)の城に、初めて八流の旗と天下って、吾は日本の神と成れり」という一文がある。この説では、八幡神は、加羅の神だったことになる。
本地垂迹説では 八幡神は弥勒菩薩
神道は仏教の影響によって、本地垂迹説(奈良時代にはすでにこのような考え方が見られる)という考えのもと、日本の神は仏教に取り込まれていく。
八幡神も、本地垂迹説では弥勒菩薩であるとされる。
八幡神が、弥勒菩薩とされるのは、『法蓮(ほうれん)』という僧の存在による。
🔶続日本紀に登場する 僧「法蓮」
法蓮は続日本紀に2回登場する。
1回目は、大宝3年(703年)。「医術に秀でた法蓮という僧」として紹介される。ここで言う「医術」は、医者という事では無く、祈祷によって病を治すことを指す。
2回目の登場は、養老5年(721年)。法蓮が医術によって人々を救済しているので、元正天皇が法蓮の功績を認め「宇佐君」という姓を与えたという記事。
このように法蓮は、人々を助ける僧として当時人々から慕われていた。
🔶法蓮と八幡神(弥勒菩薩)の関係
その法蓮の逸話が残っている。
法蓮は、彦山というところの般若窟で修行を行った。その結果、宝珠を得ることができた。
すると、どこからともなく白髪の翁が現れ、宝珠を奪おうとする。法蓮は大いに驚くが、翁は法蓮に語り出す。
わしは、実は八幡の神だ。もし、お前がその宝珠を私にくれるなら、私は宝珠の力によって地域の守り神となり、さらには日本国を守る神となりたい。
そして、弥勒菩薩がこの世に現れるのを助けるために弥勒寺(神宮寺)を建てたいのだ。法蓮よ、お前はそこの別当になってもらいたい。
と言い出す。
そこで法蓮は、八幡神の願いを聞き入れ、宇佐神宮に宝珠をおさめた。
という話だ。
つまり、八幡神=弥勒菩薩である。
八幡神は 応神天皇の霊であり 弥勒菩薩である
八幡神は「承和縁起」により応神天皇の霊(皇室とのかかわり)とされ、さらには、法蓮の逸話により、弥勒菩薩であるとされた。
弥勒菩薩とは、お釈迦様が入滅後、ある一定の期間の後に、再び地上に下っておいでになるという仏様である。その弥勒菩薩が一刻も早く地上に下ってくることを願うのが、弥勒信仰。人々を救ってくださる弥勒菩薩に対する信仰だ。
僧形八幡神
神と仏は一体(神仏習合)の時代には、「人と神の距離は小さい」と考えられ、「人が成仏を願い仏道修行する」ように、「神もまた、神の身を脱し仏になるための修行をする」と考えられていた。
僧形八幡神は、八幡神が神の身を脱するために修行をしている姿を現す、とされた。
まとめ
日本で一番多い、神社である八幡神は、古事記や日本書紀に現れない神だが、応神天皇の霊と一体化し、さらに弥勒菩薩と一体化したことで、日本でもっともポピュラーな神として根付いた。
コメント