車に乗り、脇道から本道に出ようとしていた。
土曜日なので、道は混んでいる。「これは、しばらく出られないな」と覚悟した。
すると、右側から来た30代の男の方の運転する車が、私の車の少し右側で止まり、「どうぞ」と、言うように、左手を上げてくれた。
『ありがとう』
と、声を出さずに言いながらお辞儀をして、その方の車の前に入れてもらった。
日本人は、優しい。
こういうことが、自然にできる民族だ。
このような優しさ、しかも総ての人に平等にむけられる優しい人間性は、どのように培われたのだろうか。
日本人の持つこの優しさは、日本思想史上最古の人物の一人と数えられる「最澄」の思想により培われた、とする説がある。
「総ての人は仏の前に平等。どのような人も仏によって救われる」という最澄の思想が、日本人の魂を培ったのではないだろうか。
日本を創った思想家としての『最澄』の略歴
最澄は、近江古市郡(滋賀県大津市)に生まれた。西暦780年に出家し、最澄を名のる。785年に受戒し、国家が認める僧とななった。
そうになった最澄は、比叡山に籠もり、12年の修行を積む。そして、804年国費留学生として唐に渡った。
1年後に無事帰国。806年1月、勅許を得て日本天台宗を開く。伝教大師である。
最澄のとなえる『一乗思想』とは何か
最澄は、日本の思想史上の「最初の一人」、「最古の一人」と言っていい。
最澄が生きたころの仏教界は、南都六宗の時代であった。その中の法相宗(ほっそうしゅう)が、仏教界を支配していた。
法相宗の考え方は『三乗思想』だ。最澄はこの考え方に対し、『一乗思想』を展開する。
『乗』とは何か
「乗」とは、迷いの此岸から悟りの彼岸へ衆生を渡す「乗り物」のこと
日本を創った思想家たち
『乗』を乗り物と説明されると、凡人にはピンとこない。
「救いの方法」、「救われ方」、凡人の私には、このように思われる。
『三乗』については、次のように説明される。
声聞(しょうもん)乗と縁覚(えんかく)乗、そして菩薩乗の三種
声聞乗とは、『釈迦の教えを直接聞いた弟子たち』という意味だと説明される。
縁覚乗とは、独覚乗とも言われ、一人で(釈迦の)縁によって覚る(悟る)ことだと言う。
この二つは、小乗仏教(小さい乗り物)の考え方。
さらに、菩薩乗とは、『自分だけが覚りを目指すのではなく、他人をも覚りに導く大きな立場に立つ者の助けで覚る』ということ。
この考え方は、大きな乗り物としての大乗仏教ということになる。
法相宗の三乗思想を簡単に言うと
法相宗の三乗思想では、
人間には、仏になれる人、なれない人、小乗仏教にとどまる人、仏教に無縁な人がいる。
と、説く。
つまり、努力しない人は救われない。
人間性が悪い人は救われない、そもそも、生まれつき救われない性をもった人も居る、ということか。
最澄の一乗思想では
対して、最澄の一乗思想では、
どのような者でも、仏教の究極の目的である成仏が出来る。
と説く。
つまり、最澄の説く『一乗思想』は『仏は、すべての人を平等に救う。』という思想。
この思想は、天台宗を学び、後に天台を出て浄土真宗を起こした親鸞にも引き継がれた。
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