歴史雑感– category –
- 江戸時代・徳川
徳川秀忠てどんな人、【二代将軍秀忠の評価】
徳川秀忠の業績を探る、日本史の旅に出かけましょう。将軍として権力を握り、武士の時代に多大な影響を与えた彼の名声と歴史的意義にまつわる謎を解き明かすのが、この探検の目的です。徳川秀忠の評価と日本史への貢献の謎を解き明かし、彼の評価とその意... - 江戸時代・徳川
【初代将軍『家康』の評価】:他の戦国武将に比べて人気が低い理由
徳川家康という名前は、日本の統一と徳川幕府誕生の代名詞です。彼は、日本の歴史、文化、社会を形成する遺産を持つ、日本で最も影響力のある指導者の一人と考えられています。家康のリーダーシップは、その軍事的戦術から政治的才能に至るまで、何世代に... - ブギウギ
ブギウギ福来すず子(笠置シヅ子)、戦時中「敵性歌手」と見なされる
羽鳥善一(「服部良一」)と組んで、絶頂期を迎える福来すず子(「笠置シヅ子」)だったが、時代はそれを許さなかった。戦争の時代への突入である。戦局が悪化して行くにつれ、すず子(「笠置」)の歌や踊りは「敵性」と見なされていく。そしてついに松竹歌劇団は、解散となってしまった。この地獄のような時代、それでもすず子にとって運命の人との出会いがあった。その人物とは…。 - 神社仏閣
天孫族タケミカヅチを祀る鹿島神宮が、なぜ常陸(現茨城県)にあるのか
鹿島神宮は常陸の国の一宮。祭神はタケミカヅチ。下総国の一宮香取神宮とセットで霞ヶ浦を挟んで祀られている。香取の祭神はフツヌシ。タケミカヅチと同様天孫系の武神。大和から遠く離れた関東に、なぜ両神宮社が祀られているのか。 - ブギウギ
笠置シヅ子に移籍問題勃発:初恋の人と絡む「義理と恋とワテ」の意味
ブギウギはいよいよ東京編に入る。笠置の上京は1938年4月。それから約1年後1939年の春、笠置の東方への移籍問題が勃発する。裏で糸を引いたのは、どうやら笠置がほのかに恋心を抱いていた演出家の益田次郎冠者こと貞信。史実でもブギウギでも「松竹愛に溢れるはずの主人公(シヅ子・すず子)」は、はたして松竹を捨ててライバル企業の東宝に移籍してしまうのか。このブログでは、笠置の移籍問題を史実に沿って追究する。「松竹」対「東宝」のライバル争い - ブギウギ
「ブギウギ」鈴子の東京進出:母の涙「根性なし」でまとまる家族の絆
ギウギの鈴子は家族に「東京へ行きたい」と話す。父と弟六郎は大賛成。だが、母うめは声を荒げて反対する。母の反応に、鈴子は内心「母が本当の家族では無いから反対している」と感じてしまう。そんな鈴子に、弟の六郎が声をかけた。「ほんまの家族や。ほんまの家族屋から、お母ちゃんめちゃめちゃ淋しいんや。」実際の静子は、家族とどんな別れをして、東京で誰と出会うのだろうか。 - ブギウギ
朝ドラ・ブギウギモデル『笠置シズ子』、専務との出会いで松竹歌劇団に入る
笠置シズ子は、養父母の勧めで三歳から日本舞踊や三味線を習い始めた。このあたりは、ブギウギの花田鈴子でも忠実に描かれている。幼児期から始めたこの芸事が、笠置のその後の人生を決定づけた。そして小学校を卒業した年、松竹楽劇部の音楽部部長・林嶽男との出会いによって松竹歌劇団に入ることができた。 - ブギウギ
ブギウギ:笠置シズ子の出生の秘密と、後援会会長となった東大総長南原繁
笠置シズ子が、「自分はもらい子だ」と気付いたのは17歳のころだった。それまでは、養父母こそ実の父・母だと何の疑いもなく信じていた。実の母と再会したときシズ子はどんな様子だっただろうか。また当時著名な政治学者であり、戦後初の東大総長となった... - 歴史雑感
朱子学者「林羅山」の思想:朱子学で言う「理気二元論」とは何か
日本人の思想的な根幹を造っているのは、儒教だと言って過言では無い。その日本儒教の基(もとい)を創り上げたのは、林羅山。羅山が日本に広めようとした朱子学の思想とはどういうものか。そして羅山自身の思想とは。 - ブギウギ
朝ドラ『ブギウギ』の意味:笠置シズ子から、笠置シヅ子へ
朝ドラの主人公花田鈴子のモデル笠置シズ子は、ブギの女王と呼ばれ、「東京ブギウギ」など一連のブギを歌った歌手です。この記事では、日本においてヴギウギが流行した意義と、ヴギの歴史について、さらにはなぜ「笠置シズ子」は「笠置シヅ子」になったのかを紹介します。