
【歴史を「暗記」から「考える」教科書に変える方法】
歴史の授業って、昔の年号や用語をひたすら覚えるだけになっていませんか?
山本博文さんの『歴史をつかむ技法』は、そんな常識をくつがえす一冊。
例えば「鎌倉幕府の成立は本当に1192年?」「『幕府』って言葉は当時から使われていたの?」といった素朴な疑問からスタートし、裁判のように証拠(史料)を調べて真実に迫る方法を教えてくれます。
この本のすごいところは、司馬遼太郎の小説と学術研究の違いをわかりやすく解説しながらも、AIを使った新しい歴史研究の可能性まで見せてくれるところ。
学校の先生から「歴史が苦手」な人まで、目からウロコの連続! 歴史を暗記科目から「考える楽しさ」へ変える、今までにないタイプの歴史入門書です。
著者紹介:【山本博文さんってどんな人?】
歴史の「常識」をひっくり返す面白い研究で知られる山本博文さん。
主な著書『歴史をつかむ技法』では「裁判のように史料を調べる方法」を提案し、「鎌倉幕府の成立年には6つの説がある」といった意外な事実を教えてくれます。
教科書に書かれていない歴史の裏側に迫るのが得意で、「幕府」や「天皇」という言葉が時代でどう変わったか、政治と文化で時代区分がズレる理由などを解説。
司馬遼太郎の小説と研究の違いをはっきりさせつつ、AIを使った古文書解析の未来にも目を向けています。
学校の先生からも支持され、「歴史用語の使い方トレーニング」が全国の授業に導入されるなど、歴史教育の新しい風雲児!
武士のお金の流れを経済システムで読み解くなど、堅苦しいイメージの歴史を「生き生きとした物語」に変えるのがとっても上手なんです。
第1章要約:「歴史のとらえ方」
第1章「歴史のとらえ方」では、歴史をどのように理解し、解釈するかという基本的な視点が示されています。
まず、歴史用語の基礎知識について解説されています。
歴史用語には、同時代に実際に使われていた言葉と、後世の歴史学者が研究のために作った言葉の二種類があります。
例えば「幕府」という言葉は、鎌倉時代には実際には使われておらず、当時は「鎌倉殿」と呼ばれていました。
「幕府」という言葉が武家政権を指す言葉として一般的になったのは江戸時代末期になってからです。
同様に「藩」という言葉も江戸時代にはほとんど使われておらず、各大名の統治機構は「家中」と呼ばれていました。
また、天皇号についても、天武天皇の時に成立した称号ですが、在位中の天皇は「今上天皇」あるいは単に「天皇」と呼ばれ、○○天皇という呼称は死後に贈られるものでした。
天皇の呼称には「詮号」と「追号」があり、詮号は業績を賛美してつけられた呼称で、追号は住居や陵墓の地名などを用いたものです。
国号についても、「日本」という国号が正式に定められたのは天武天皇の時代で、文武天皇の時代の701年の遣唐使が中国に対して初めて用いました。
網野善彦氏は、それ以前には「倭人」はいたけれども「日本人」はいなかったと主張しています。
次に、歴史学の考え方について説明されています。
歴史は科学であり、裁判に例えると理解しやすいとされています。
裁判では証拠に基づいて事実を認定し、それを解釈して判決を下しますが、歴史学でも史料に基づいて「史実」を明らかにし、それを「解釈」し、さらに解釈の集積として時代像や人物像を「イメージ」します。
歴史研究者には、史料の真偽を判定する最低限のスキルが必要です。
例として、明智光秀軍法書の信憑性の問題や、桶狭間の戦いにおける奇襲説の否定などが挙げられています。
歴史学の論争は史料に基づいて行われ、記述者の立場や史料の成立年代など、それぞれの史料的性格を吟味して判断します。
また、各時代には特有の「時代の観念」があり、これを理解することが歴史研究において決定的に重要です。
例えば、赤穂事件では「喧嘩両成敗」が武士社会の常識となっていたことを知らないと、事件そのものを理解することはできません。
歴史には時代固有のルールがあり、現代の感覚で安易に過去を見ないことが大切です。
最後に、歴史イメージと歴史小説の関係について論じられています。
多くの人が持つ歴史イメージは、歴史小説や時代劇、漫画などから得たものであることが多いですが、これらは創作作品であり、歴史そのものではありません。
時代小説は、歴史の中からある一定の時空間を切り出して物語が展開される小説形式で、池波正太郎の『鬼平犯科帳』や藤沢周平の作品などが例として挙げられています。
歴史小説は、実在した人物を主人公としてほぼ史実に即したストーリーが描かれるもので、山岡荘八の『徳川家康』や司馬遼太郎の作品などがあります。
司馬遼太郎の作品は史実を大事にしていることが特徴で、特に『坂の上の雲』では事実に拘束されることが百パーセント近いと自ら述べています。
しかし、歴史小説と歴史学は手段も目的も違います。
歴史学者は史料に基づいて時代像を描き、史料がなければ推測することすら禁欲的に抑制することが多いのに対し、歴史小説ではフィクションを交えることが許され、それによって独自の歴史解釈をすることもあります。
著者は、天文学の例を挙げて、歴史学者と歴史小説家の違いを説明しています。
天文学者が研究機関で宇宙の大きさや成り立ちを研究しているのに対し、アマチュア天文家が新天体を発見するように、歴史学者と歴史小説家もそれぞれ異なる立場から歴史に向き合っているのです。
第1章は、歴史をつかむための基本的な視点として、歴史用語の理解、歴史学の科学的方法、時代の観念の重要性、そして歴史小説と歴史学の違いを明らかにしています。

第2章要約:「歴史の法則と時代区分」
第2章「歴史の法則と時代区分」では、歴史の法則性と時代区分の考え方について詳しく解説されています。
まず「歴史に法則はあるのか」という問いから始まり、多くの人が歴史は原始から現代へと進歩してきたと考えがちですが、これについては様々な見方があることが示されています。
歴史学者の岡田英弘氏は「歴史には一定の方向がある」という考えを否定し、歴史は無数の偶発事件の積み重ねであると主張しています。
一方、渡辺京二氏は「人類史には筋道がある」と述べ、自然に法則があるように人間の歴史にも法則があると考えています。
著者はこれらの極端な見方の間をとり、偶然に見える歴史的事件にもその時代に固有の「時代的な要因」があると考えています。
次に「時代とは何か」という問題に移り、日本史における時代区分について詳しく説明されています。
時代区分は古代、中世、(近世)、近代と大きく分けられますが、これはもともとヨーロッパの歴史学に由来するものです。
日本では特に「近世」という分類を立てていますが、これは江戸時代が中世とも近代とも異なる特徴を持っていたためです。
時代区分の意味については、マルクス主義史観では各時代に特有の生産様式があるという考え方がありましたが、日本の歴史にはそのまま適用できない面があります。
しかし、各時代には確かに独自の特徴があり、研究者も自然に時代ごとに専門が分かれています。
日本史の時代区分は政権所在地によることが多く、奈良時代、平安時代、鎌倉時代などがその例です。
ただし、鎌倉幕府の成立時期については諸説あり、1180年説から1192年説まで六つの説が並立しています。
これは何をもって「幕府」と見なすかという解釈の違いによるものです。
室町時代は南北朝の合体後から始まるとされ、応仁・文明の乱以降は戦国時代となります。
安土桃山時代は織田信長・豊臣秀吉による統一政権の時代で、江戸時代は徳川家康が将軍に任官した1603年から始まります。
文化史の時代区分も紹介されており、政治史の時代区分とは必ずしも一致しません。
例えば飛鳥時代は「飛鳥文化」と「白鳳文化」に分けられ、平安時代は「弘仁・貞観文化」「国風文化」「院政期の文化」に分けられます。
鎌倉時代は「鎌倉文化」、室町時代は「北山文化」「東山文化」、江戸時代は「寛永文化」「元禄文化」「化政文化」などに分けられています。
著者は、時代の呼称や文化の呼称には厳密な定義がなく、区分にもゆれがあり、多分に便宜的な面があると指摘しています。
しかし、こうした呼称は慣習的なものでもあるため、新しい名前を考えるよりも従来の呼び方を覚えた方が混乱が少なく相互理解も早いと述べています。
この章では、歴史の法則性についての様々な見方を示しつつ、時代区分の意味と具体的な区分方法について詳しく解説しています。
特に日本史における政治史と文化史の時代区分の特徴を明らかにし、それらが必ずしも厳密なものではなく、研究者の解釈や便宜によって変わりうることを示しています。
第3章要約:「日本史を動かした血筋」
第3章「日本史を動かした『血筋』」では、日本の古代史において天皇の血筋(皇統)が政治的に重要な役割を果たしてきたことが詳しく解説されています。
まず、「ヤマト朝廷とは」の部分では、邪馬台国論争について触れ、九州説と畿内説の対立が日本の王権の成立時期をめぐる論争であることが説明されています。
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文から、5世紀には「ワカタケル大王」(雄略天皇)の支配が関東から九州にまで及んでいたことが実証されたことが重要な発見として紹介されています。
古代の皇統における「直系」という概念については、河内祥輔氏の研究に基づき、父子で皇統を継承する際に「母が皇女であること」が資格とされていたことが説明されています。
この「直系」の概念によって、聖徳太子(厩戸皇子)が天皇になれなかった理由も理解できます。
聖徳太子は用明天皇の皇子で母も皇女でしたが、敏達天皇と王女広姫の間に生まれた押坂彦人大兄皇子がより有力な天皇候補だったのです。
古代の政争は、この「直系」による皇統継承をめぐる争いとして理解できます。
中大兄皇子(後の天智天皇)と藤原鎌足による「乙巳の変」で蘇我氏が滅ぼされたのも、皇統をめぐる争いの一環でした。
壬申の乱も、天智天皇の子の大友皇子と弟の大海人皇子(後の天武天皇)の間の皇位継承争いであり、大海人の勝因は美濃や尾張など地方豪族の兵力が味方したことでした。
「仏教と政争の奈良時代」の部分では、律令制に基づく政治体制と遣唐使の派遣について説明されています。
『日本書紀』や『続日本紀』などの歴史書の編纂も奈良時代の重要な事業でした。
奈良時代の政争については、長屋王の変、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の変、恵美押勝の乱などが紹介されています。
これらの政争は従来、藤原氏の権力伸張の過程として理解されてきましたが、実際には天皇の意志に沿った動きであったと見るべきだと著者は指摘しています。
聖武天皇は藤原氏出身の光明子を皇后に立て、その間に生まれた娘を即位させて孝謙天皇としました。
孝謙天皇は太上天皇に退いた後も権力を握り、恵美押勝(藤原仲麻呂)を攻め殺害しています。
このように奈良時代の政争は、聖武系の皇統をめぐる天皇家の思惑が背後にあったと見るべきだと著者は主張しています。
「摂関政治と院政」の部分では、平安時代の政治体制について説明されています。
摂政・関白は律令制にない「令外官」でしたが、天皇を前提とした官職でした。
藤原氏は北家が権力を掌握し、摂関政治を行いました。
摂関政治の象徴的存在である藤原道長は左大臣にとどまり、関白にはなりませんでした。
これは左大臣として政治を主宰するためだったと説明されています。
院政は、後三条天皇の長男である白河天皇が自分の血筋で皇統を継がせようとして始まりました。
自分の子供を早く即位させ、自分は上皇として君臨するのが最も確実な方法だったのです。
院政の成立は、摂関政治を否定するためではなく、天皇家内部の皇統をめぐる動きによるものだったと著者は指摘しています。
平安時代末期には、武士が台頭し、天皇や上皇の私兵として使われるようになりました。
保元の乱では、後白河側に付いた平清盛や源義朝らの武士たちが崇徳上皇を攻撃し、勝利しました。
武士が天皇や上皇を躊躇なく攻撃するという事態は、天皇と藤原氏中心の古代社会の終焉を告げるものでした。
平氏政権は、清盛の娘徳子が高倉天皇の女御となり、その子が安徳天皇となったことで成立しました。
平氏一族は朝廷の高位高官を占め、経済基盤も摂関家と同じく全国の荘園や知行国でした。
平氏政権は摂関政治に似た面もありますが、自らの軍事力を持つ後の鎌倉幕府に先行する武家政権だったと著者は考えています。
第4章の概要:日本の変貌と三つの武家政権」
第4章「日本の変貌と三つの武家政権」では、鎌倉幕府の成立から江戸幕府の崩壊までの流れが描かれています。
まず鎌倉幕府については、源頼朝が平氏を滅ぼした後、守護・地頭の設置権を朝廷から認められ、征夷大将軍に任じられて幕府を開きました。
鎌倉幕府の政治機構は政所・侍所・問注所が置かれ、地方には守護・地頭が配置されました。
しかし、源氏将軍は三代で断絶し、北条氏が執権として実権を握ります。
承久の乱では後鳥羽上皇が北条義時追討を命じましたが、幕府軍が勝利し、上皇は隠岐に流されました。
これにより朝廷の権威は大きく低下します。
その後、北条氏は得宗として権力を集中させていきます。
鎌倉幕府滅亡の原因となったのは、「両統迭立」に始まる天皇家の皇統をめぐる争いでした。
後醍醐天皇は自己の血筋で皇統を続けるため挙兵しますが、捕らえられて隠岐に流されます。
しかし、楠木正成らの反幕府勢力や足利高氏(尊氏)の離反により、1333年に鎌倉幕府は滅亡しました。
室町幕府については、後醍醐天皇の建武の新政が失敗し、足利尊氏が光明天皇を擁立して征夷大将軍に任じられます。
これにより朝廷は南北朝に分裂しました。室町幕府の政治機構には将軍を補佐する管領や侍所があり、全国には守護が置かれました。
室町幕府は義満の時代に最盛期を迎え、南北朝の合体を実現しますが、応仁・文明の乱以降、守護大名の領国支配が進み、下剋上の風潮が広がって戦国時代へと移行していきました。
織豊政権については、まず国際環境として大航海時代の到来と東アジア情勢の変化が説明されています。
1543年には種子島に鉄砲が伝来し、戦国大名の戦術も変化しました。
織田信長は将軍義昭を擁して入京しますが、やがて対立して義昭を追放します。
信長は朝廷と良好な関係を築き、官位を受けましたが、本能寺の変で明智光秀に討たれました。
豊臣秀吉は信長の後継者争いに勝利し、関白となって政権を運営しました。
秀吉は太閤検地や刀狩りによって兵農分離を実現し、近世社会の基礎を築きました。
また、「唐入り」と呼ばれる朝鮮侵略も行いましたが、これは明を屈服させて東アジア海域の貿易主導権を握ろうとした可能性があります。
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、1603年に征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開きました。
江戸幕府の政治機構は老中を中心に整備され、大名は親藩・譜代・外様に分類されました。
江戸幕府は260年余り続きましたが、1853年のペリー来航以降、尊王攘夷運動が高まり、幕府は朝廷の意向を無視できなくなりました。
十五代将軍慶喜は大政奉還を行いましたが、薩摩・長州を中心とする新政府軍によって旧幕府勢力は敗れ、明治維新を迎えました。
明治維新後は、廃藩置県によって藩が廃止され、身分制度も撤廃されました。明治政府は富国強兵政策を進め、日清・日露戦争を経て近代国家への道を歩みました。
この章では、武家政権の変遷を通じて、日本の政治体制が変化していく過程が描かれています。
特に権力の正当性の根拠が、天皇の権威から武力へ、そして再び天皇の権威へと変化していく様子が重要なポイントとなっています。
終章の概要:「歴史はどう考えられてきたか」
終章では、歴史学の潮流と歴史を学ぶ意義について論じられています。
まず、歴史学の理論的変遷について説明されています。
マルクス主義史観は歴史に法則があるとする見方でしたが、その後、従属理論や世界システム論など、より広い視野で歴史をとらえる理論が登場しました。
また、アナール学派は社会史や民衆の日常生活に注目し、気候や風土といった要素も重視しました。
日本でも網野善彦らによって新しい歴史像が提示されました。
次に、「司馬史観」と「自由主義史観」について触れています。
司馬遼太郎の歴史小説は高く評価されましたが、その歴史観をめぐっては賛否両論があります。
著者は、司馬の作品は文学作品として評価すべきで、歴史学とは区別する必要があると指摘しています。
歴史を学ぶ意義については、以下のような点が挙げられています:
- 人生の教訓として活用できる
- 現代社会を相対化する視点を得られる
- 歴史的思考力を培うことができる
特に「歴史的思考力」の重要性が強調されています。
これは、現代の事象を歴史的な視野の中で考える能力のことで、物事を複眼的に見ることができるようになります。
著者は、歴史を学ぶ最大の効用は、人生を豊かにする教養を得ることだと主張しています。
ただし、先入観や狭い視野に囚われず、意識的に歴史的思考力を身につける必要があると指摘しています。
終章の最後では、歴史をさらに学びたい人へのアドバイスが述べられています。
興味のあるテーマから始めて徐々に専門的な本に進むこと、
名著とされる歴史書を読むこと、
史料を自分で読んで判断する力をつけることなどが推奨されています。
また、大学で改めて歴史を学ぶことも一つの選択肢として挙げられています。
著者は、多くの人に歴史を学び続けてほしいと願っており、それによって人生がより豊かになることを示唆して本書を締めくくっていました。
【『歴史をつかむ技法』のネット上の読者レビューまとめ】
この本は「歴史の暗記が苦手な人」にこそ読んでほしい一冊!
多くの読者が「歴史の見方が変わった」と評価しています。
✨ 支持されるポイント
・「裁判のように史料を調べる」方法がわかりやすく、歴史が「探偵ゲーム」みたいに楽しめる!
・「鎌倉幕府の成立年には6つの説がある」など、教科書に載らない最新研究が新鮮。
・司馬遼太郎の小説と歴史研究の違いが明快に説明され、「創作と事実の区別」が学べる。
・AIを使った史料分析の未来像がワクワクする!「歴史×テクノロジー」の可能性に驚き。
⚠️ 注意したい点
・「歴史の技法」というタイトルに期待すると、「具体的な勉強法」より「考え方の解説」が多いと感じる人も。
・古代の血統論や政治史の話が少し専門的で、「初心者にはハードルが高い」との声もあり。
・経済や文化の話題が少ないのが残念…「武士の日常生活も知りたかった」という要望も。
💡 こんな人におすすめ
・「歴史が暗記科目でつまらない」と感じている学生さん
・時代劇や歴史小説の「本当のところ」が気になる人
・AIで歴史研究がどう変わるかに興味があるテック好き
🌟 総合評価
平均 3.8/5点(主要書評サイト調べ)
「歴史の面白さを再発見できる」(30代男性)
「授業で使いたい」(高校教師)など教育現場でも支持されつつ、「もう少し実例が多いといい」(歴史ファン)
といった改善点も。
📚 読み方のコツ
まず「裁判モデル」の章から読む→歴史の調べ方がイメージしやすい!
- 気になる時代の章だけ拾い読みOK→全5章中どこからでも楽しめる
- 用語解説ページを活用→「荘園制」「院政」など難しい言葉もすぐ確認
歴史が「暗記科目」から「推理ゲーム」に変わる、新感覚の入門書との評価あり!
【筆者の個人的評価】(★★★☆)】
『歴史をつかむ技法』は、歴史を「暗記」から「思考」に変える画期的な一冊だと感じました!
特に「裁判モデル」という比喩で史料分析を解説する手法は秀逸。
例えば鎌倉幕府の成立年を6つの説から比較する章では、「歴史に正解は一つじゃない」と実感できます。
◎ 光るポイント
・時代のキャッチフレーズ的定義(本の中で明示はないが、著者の分析からブログ筆者が推測):
・「鎌倉時代=武士がルールを作った実験期」
・「室町時代=権力が分散したパワーシフト時代」
・「江戸時代=システム化された平和の時代」
こうした時代の本質を、政治構造の変化から浮き彫りにしています。
実は、この本に求めていたのは、学校歴史教育で指導のねらいとして「時代の大まかな流れをつかませる」とあるのですが、「時代の大まかな流れ」について、学習指導要領やその解説に、何の明示もないのです。
ということで、教師は子供たちに「どのようにすれば『時代の大まかな流れ』をつかませることができるのか」わからないのです。
そのヒントをこの本に求めました。
結局、この本にもその明確な答えは示されていません。
私の理想としては、歴史学の成果として「鎌倉時代とは〇〇のような時代」というイメージが示され、そのうえで子供たちが、歴史学の成果を批判的に追究し ・「鎌倉時代=武士がルールを作った実験期」 ・「室町時代=権力が分散したパワーシフト時代」 ・「江戸時代=システム化された平和の時代」などと、自らの言葉で時代のイメージを作り上げる、というイメージをもっています。
できれば、文科省はあいまいで抽象的な表現ではなく、この時代はこういう時代だという歴史学の成果としての時代イメージを学習指導要領やその解説の中に明確に示してほしいと願っています。
話がこの本の書評からずれてしまいました。思いが先行しすいません。
以下、書評(評価)に戻ります。
・歴史用語の「正体暴き」が痛快
「幕府」という言葉が江戸時代の創作だと知ると、「教科書の用語も疑ってみよう」という姿勢が自然に身につきます。
・AI×歴史の未来像が刺激的
古文書解析ソフトを使った実例紹介は、「歴史研究もデジタル時代!」とワクワクさせます。
△ 惜しい点
・時代のキーワードが散らばっている
「〇〇の時代」という明確な定義が欲しかった! 例えば戦国時代を「ルール崩壊と再構築の時代」とまとめるだけで、全体像がつかみやすくなります。
・経済と文化が影薄い
武士の給料体系や町人の暮らしなど、社会史の具体例があると「人間味」が増したはず。
・ビジュアル不足
年表や比較表があれば、「時代の特徴がパッと比較できる」のに…と感じる場面が多々ありました。
💡 こんな人に刺さる
・歴史のテストで「出来事は覚えても流れがわからない」と悩む学生
・時代劇を見ながら「本当はどうだったんだろう?」と考えるのが好きな人
・AIを使った新しい学び方に興味がある教育関係者
🌟 総評
「歴史の見方を変える」という約束は十分に果たしています!
ただ「時代のイメージを一言でつかむ」部分が物足りないのが残念。
改訂版で各章の冒頭に「この時代のキーワード」を追加すれば、初心者にもっと優しい名著になるでしょう。
歴史好きなら星5つ、一般読者には星3.5つ…でも「思考法を学ぶ価値」で星4つと判断しました!