ブギウギ、スズ子に恋の季節が訪れる。お相手は、9歳年下の村山愛助(水上恒司)。村山愛助のモデルは、吉本穎右(えいすけ)。「ワテより十も下や」と、スズ子が悩むのもよく分かる。穎右は笠置シヅ子(実名「亀井静子」・ブギウギの「花田鈴子・福来すず子」)のc夫になるはずだった運命の人。穎右は、吉本興業の御曹司。二人の間には娘(ヱイ子)が生まれる。しかし、静子と穎右が一緒に暮らすことが出来たのは、ほんの数か月。二人は正式には結婚していない。さらに穎右は、娘のヱイ子が生まれる約一か月前にこの世を去ってしまう。このブログでは、ブギウギ花田鈴子のモデル亀井静子(笠置シヅ子)と、吉本穎右の恋の顛末について追究する。
ブギウギ:愛助の死とスズ子の出産
2月2日の放送で、スズ子は愛子を出産。
おそらく同時刻に愛助(水上恒司)は、スズ子らを思いながら息を引き取っていた。
死を目前にして愛助は、最後の力を振り絞りスズ子に最後の手紙を書き残す。
愛助の死をまだ知らないスズ子は、無事生まれた娘を抱いて幸せな時間を過ごしている。
まさにそのとき、マネージャーの山下(近藤芳正)らが病室に入ってきた。そして、愛助の死を伝えるのだった。
幸せあふれた空間が一転し、悲しみの極地へ突き落とされた。
その転換の数秒間、スズ子は表情を無くし、ただ無言のままの時間が流れる。
人形のようなスズ子の姿に、涙…。
史実で愛助のモデル吉本穎右(えいすけ)は、笠置が出産する前に死んでしまっている。
この事実を史実通りに描かなくてよかった。
史実通りだったら、あまりにもスズ子がかわいそうだ。
少なくとも、愛娘の愛子(史実のヱイ子)が生まれるまでは幸せな気持ちでいさせてあげたいと、多くの人が思っていたと思う。
涙なくして観られなかった2月2日の放送(愛助の死、スズ子の出産)だったが、「愛助の死がスズ子 の出産前ではなかった」という、この演出だけは救いだった。
そして、趣里さんの沈黙の演技、見事だった。
静子と吉本の御曹司、吉本穎右との出会い
笠置シヅ子こと亀井静子が最愛の人である吉本穎右(えいすけ)に出会ったのは、戦果が烈しくなった1943年(昭和18年)6月28日のことだった。
当時の笠置は、松竹歌劇団が無くなってしまい、意には染まないが、渋々「地方への巡業」や戦時下で「工場慰問」などをして、細々と活動を続けていた。
名古屋への巡業の際、旧知の間柄だった辰巳柳太郎が出演している劇場の楽屋を訪ねる。
笠置はそのとき、先客としてその場にいた眉目秀麗な青年(自伝『歌う自画像』より)に出会う。
ただし、このときはまだ言葉を交わすしてはいない。
後日、今度は、笠置が出演していた太陽館という劇場に、吉本興業の名古屋主任が先日の眉目秀麗な青年を伴って訪れた。
そして、この青年を、「吉本興行の御曹司で、『笠置の大ファンだ』」と紹介する。
青年は、笠置に緊張した面持ちで、一枚の名刺を差し出し、
「自分は、吉本穎右(えいすけ)と申します。」
と名乗る。
ちなみに、このときの名刺を笠置は終生持ち続けたという。
恋の始まり
吉本穎右(えいすけ)が笠置の出演する太陽館を訪れたとき、笠置と穎右は初めて言葉を交わした。
会話の中で、
「明日、大阪に行く用事がある」
と、穎右は笠置に話す。
すると笠置は、
「自分も明日、神戸の相生座(あいおいざ)という劇場に行く予定だから、一緒の汽車で行きましょう。」
と誘った。
穎右は即座にOK。
二人は翌日、同じ汽車に乗る。
約束の日、笠置が名古屋駅に着き穎右を探していると、吉本興業の支配人が来て、
「穎右さんは、もう汽車に乗っていますよ。」
と告げる。
笠置は、
「荷物が多いから、穎右さんを呼んできてください。」
と支配人に言ったという。
支配人は、『荷物持ちなら自分がするのに』と思ったが、考え直して穎右の元へ走り、笠置の言葉を伝える。
穎右は、すぐに笠置の荷物を運ぶためにホームに降りてきた。
会って間もないこの時点で、笠置は何やら穎右を尻に敷いている感じがする…。
さらに穎右は、大阪に行くはずなのに、大阪を通り越して笠置の目的地の神戸まで同行した。
笠置を見送ってから、大阪にとんぼ返りをしている。
献身的に女性に尽くす、初々しい青年の姿がそこにある。
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