こんにちは、なおじです。
今朝の『ばけばけ』第52話、借金取りが来ても朝ごはんを続ける松野家を見ていたら、妻が「あら、うちとそっくりね」と一言。
「え、うちに借金取り来たことないよ?」と聞き返したら、「来ないように私が必死で家計回してるのよ」だって。
ごもっともです。
ヘブン先生の「松江を離れる」話と、リヨお嬢様の恋の行方。
そしてトキちゃんの、心ここにあらずな表情。第52話は、身分と恋心が静かにぶつかり合う回でしたね。

この記事でわかること
- 借金取りと松野家の朝のやり取りから見える、明治庶民の生活感と価値観
- ヘブン先生とリヨお嬢様の「ハンコ場面」が象徴する、身分差と心理的距離
- 「通りすがり」と呼ぶ側・呼ばれる側、それぞれの心の位置関係
- 知事邸の快気祝いと”プロポーズ情報”ににじむ、上流階級の力学
- 教師目線で読み解く、トキちゃんの孤独感と自己評価の低さ
- リヨお嬢様の行動力に映る、「明治の新しい恋愛像」
- 若者の恋心と、家計・身分・家族の事情がぶつかるときの葛藤
松野家の朝と、憎めない借金取り
今朝も松野家には、いつもの借金取り・森山銭太郎(演:前原瑞樹)がおなじみの顔でやって来ます。
ところが松野家一同は、取り立てよりも「ヘブン先生が来年の冬、松江を去る」という話のほうが大問題。借金どころではありません。
このあたり、ばけばけの世界観の面白さ、出てるなー。
好きです。
借金取りが横から口を挟んでも、誰も本気で相手にしていない感じが、この家の”図太さ”と”諦め”を同時に物語っているね。
「松野家らしーぃ」と、思わず画面に向かってつぶやいてしまいました。
おじじ様の「貧乏人というやつが貧乏人だ」という一言、小学生かーい。
しかも、二回繰り返す。
思わず、苦笑い。
一方で、母フミは「おタエ様に10円を渡せなくなる」ことを本気で心配しています。
生活は苦しくても、人への義理や情だけは守ろうとする。これこそ、古き良き日本の庶民感覚。
やがて話題は、「リヨお嬢様がヘブン先生と結ばれてくれれば、トキは知事家に仕える女中になって給金アップ」という、身も蓋もない打算へ。
松野家、品も格もない。
でも、これが没落士族の現実なんでしょうね。
松野家全員で「ガンバレ、ガンバレ、ヘブン先生、ガンバレ、ガンバレ、オジョウサマ」と大合唱するありさま。
ちょっと滑稽で、ちょっと悲しい。
朝から、笑いと切なさが同時に押し寄せてきました。
ヘブン亭:おトキのアンニュイと「チェア」発言
舞台はヘブン亭に移ります。
おトキちゃん、アンニョイな雰囲気で本を読んではいます。しかし、どう見ても内容は頭に入っていない様子。
ふと漏れた一言が、「先生が松江を離れたら、チェアはどこへ行くんですかね」。
この「チェア」ってなんだっけ?
メジロ?
椅子?
それとも、自分自身の居場所?
明治の日本には、西洋のことばや概念が一気に流れ込んできました。
教師時代にも、カタカナ語を使いながら、まだうまく言葉にできない自分の気持ちを表現しようとする生徒がいました。
おトキの「チェア」も、そんな”揺れ動くトキの心の椅子”のように感じちゃいました。
ヘブン先生がいなくなったあとの、自分の立ち位置をそっと探っているような、あの言い方が忘れられませんなぁ。
👉関連記事:トキの失言に見る明治の善意文化と個人情報意識|ばけばけ41話
ヘブン+リヨのハンコ場面と、おトキの引きつった笑顔
そこへ、ヘブン先生がご帰宅。
そして当然のような顔で、リヨお嬢様が後ろからついて来る。この並びだけで、トキの胸のあたりがざわついていたはずだよね。
二人は一緒に作ってきたハンコを取り出して、「どう?」とばかりに見せ合い。
極めつけは、紙にお互いの印をポンと押し合う、あの距離感。明治の松江にしては、なかなかのイチャイチャぶり。
その様子を見ているおトキちゃんの口元は、きゅっと真一文字。
女中としては笑って見守るのが役目。でも、一人の若い女性としては、とても笑っていられる状況ではありません。
教師時代、教室の隅から、好きな子が別の子と楽しそうに話しているのをじっと見ている生徒がいました。
あのときの、なんとも言えない表情が、トキの顔とぴたりと重なって見えたんですよね。
玄関先でリヨを見送る場面では、「よかったですね、楽しい時間をおすごしになられたようで」と、教科書どおりの言葉を口にするトキ。
本心の半分くらいは、きっと別のところにあったはず…。
一方のリヨお嬢様は、「フィーリング」「ベター」「メモリアル」と、嬉々として英単語をちりばめていましたね。
明治の”西洋かぶれ上流階級”のお手本のようで、演技と分かっていても、ちょっと鼻についた。なおじも、画面の前で思わず顔をしかめてしまいました。
知事邸の快気祝いと、ストーブ&”プロポーズ情報”
場面は変わって、知事邸の快気祝い。
庶民の家とは空気の密度が違う、広い座敷に人が集まり、そこへヘブン先生がお呼ばれです。
リヨお嬢様は、ヘブン先生のために部屋にストーブをどーんと設置。
暖炉ではありませんが、「寒いなら、家ごと温めてしまえばいいじゃない」という発想そのものが、上流階級ならではの力技ですなぁ。
借金取りにおびえる松野家とは、同じ松江とは思えない世界ですね。
視聴者としても、この温度差に、ちょっとクラクラしてしまいます。
宴の最中、リヨは「私の話を聞いてください」と、真剣なまなざしでヘブンに向かいます。
その一言で、場の空気がスッと引き締まりました。ここで一気に物語が動きそうな予感です。
同じころ、おトキちゃんは街角で、新聞記者から「リヨお嬢様がヘブン先生にプロポーズするらしい」という話を聞かされます。
店の前には人が大勢いるのに、画面の中でぽつんと浮いて見えるのは、トキ一人だけ。
群衆の中の孤独。
近代文学の教科書に出てきそうなテーマを、さらっと朝ドラのワンシーンに忍ばせてくるあたり、なかなか憎い演出です。
心ここにあらずで立ち尽くすトキの姿が、見ているこちらの胸にも、じわりと残りました。
「ガンバレ、オジョウサマ」の影で、ガンバレと言ってもらえない娘が一人いる。その構図が、なんとも切なかったですね。
社会科教師が読み解く明治の恋愛格差
身分とお金が支える「ガンバレ、オジョウサマ」
知事の娘リヨお嬢様には、明治の恋愛ゲームで有利に働くカードが、いくつも配られています。
- 英語を自在に使える教養
- 知事の娘という家柄
- ストーブや暖炉を用意できるだけの経済力
松野家が「ガンバレ、ガンバレ、オジョウサマ」と声援を送るのは、もちろん恋を応援しているからではありません。
その先にある「トキの勤め先」「松野家の家計の安定」が、しっかり計算に入っているから。
教師として日本史を教えていたときも、「恋愛と結婚は、身分や経済とセットで考えないと見えてこない時代だった」と話してきてたんですよねぇ。
第52話は、その教科書的な中身を、笑いと切なさのドラマにうまく溶かし込んだ回だったなあ。
👉関連記事:清光院ランデブーと明治の恋愛観|ばけばけ第50話
「通りすがり」と言われた側の自己評価
一方のおトキちゃんは、以前ヘブンから「通りすがりの異人」と距離を置かれた言葉を、どこか自分自身のラベルとして抱えてしまっていますよね。
「自分は、ただの女中」
「自分は、通りすがりに仕えるだけの存在」
こういう自己評価の低さは、明治だから特別というわけではありません。
現代の教室でも、良いところがたくさんあるのに、「家柄」「成績」「見た目」などの物差しで自分を低く見積もってしまう生徒を、何人も見ているんです。
第52話終盤、群衆の中でひとり”心ここにあらず”なトキの姿は、そうした若者の自己否定感を象徴しているように感じました。
明治の松江を舞台にしながら、令和の私たちにも突きつけられているテーマなのかもしれません。
本日の主な登場人物
- 松野トキ(髙石あかり):ヘブンへの思いを胸にしまい込みながら、リヨとヘブンの仲を後押しする立場に追い込まれていく女中
- ヘブン(トミー・バストー):来年、松江を去ることを宣言し、周囲の心を大きく揺らす異国の先生
- リヨ/リヨお嬢様(北香那):知事の娘。ヘブンへの恋心を隠さず、英語と行動力で距離を詰めていくお嬢様
- 松野勘右衛門(小日向文世):貧乏を笑いに変えながらも、現実から少し目をそらし続けている家長
- 森山銭太郎(前原瑞樹):非情になりきれない、どこか憎めないコント要員のような二代目借金取り
Q&Aで振り返る第52話
Q1:明治時代、知事の娘が自分から「プロポーズ」するのはあり得る?
形式的には、親同士が話を進めるのが主流。
ただ、都市部の上流階級では、娘の意思が前面に出るケースも少しずつ増えていきます。リヨは、その”新しい時代の恋愛像”の一歩手前にいる存在と言えそうです。
Q2:トキのような女中に、恋愛の自由はどれくらいあった?
ゼロではありませんが、家計や身分を優先した縁談がほとんどでした。
トキのように、自分の気持ちを後回しにして家族を優先する生き方は、当時としてはごく自然な選択肢だったはずです。
Q3:松野家が「ガンバレ、オジョウサマ」と叫ぶ姿は、卑屈なのか?
表面だけ見ると卑屈に見えますが、そこには「なんとかして家族を食べさせたい」という必死さもあります。
笑いながら現実と向き合う庶民のしたたかさと読んでみると、また違った味わいが出てきます。
筆者紹介|なおじ
元社会科教師として、約35年間教壇に立ってきました。
現在は7つのブログで、ドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学びについて、日々感じたことを綴っています。
ドラマの記事では、とくに「時代背景」と「登場人物の心の揺れ」を、ゆっくりと言葉にしていくことを大事にしています。
かつて教室で話していた”ちょっと脱線気味の雑談授業”のような感覚で、楽しんでいただければうれしいです。