こんにちは、なおじです。
ばけばけ119話の感想と史実を、元教師なおじがじっくり語ります。
119話「ブードゥー人形」は、執筆スランプに陥ったヘブンが待ち続けた手紙を受け取るものの、イライザからの返信を含めてことごとく「ノー」。
そんなどん底のヘブンに、トキが手作りの新しい人形と「学のない私でも読める本を書いてほしい」という一言を差し出す回でした。
この記事では、ばけばけ119話の感想と史実を「感想6:史実4」の比率で掘り下げます。

この記事でわかること
- ばけばけ119話「ブードゥー人形」のあらすじと見どころ
- トキの「私でも読める本を」が史実の怪談誕生とどう繋がるか
- 高石あかりさんの演技がなぜ涙を誘うのか
- ヘブン(ラフカディオ・ハーン)の代表作「怪談」はいつ書かれたか
トキの人形に祈ったのに、手紙は全滅だった

トキが作ったブードゥー人形と「お祈り」
118話でブードゥー人形を失ったヘブンのために、トキが新しい人形を手作りしました。
そして二人でその人形に向かって祈ります。
「手紙が早く届きますように」と。
なんとも微笑ましい場面です。
しかも、祈りが通じたのか、手紙は本当に届いた。
ブードゥー人形の御利益か!と思いきや……。
ことごとく「ノー」だった手紙たち
届いた手紙を開けたヘブンの顔が、すうっと曇っていく。
仕事の空きを打診していた先々からの返事は、全部「ノー」。
イライザからの手紙も、ノーだったんです。
ブードゥー人形は手紙を「届ける」ことには御利益があったけれど、内容まではどうにもならなかった、というわけです。
このズレが、なんとも切ない。
お祈りした甲斐がないどころか、返事が来てしまったぶん余計につらい。
元教師のなおじからすると、進路希望をことごとく弾かれた受験生が、最後に頼った先生からも「難しい」と言われた瞬間に似た空気がありました。
励ましの言葉がもうどこにも届かない段階というのが、人間にはある。
手紙来た でも中身まで 届かない人形
帝大クビと400円の喪失を告白するヘブン
さらに、ヘブンはついに帝大をクビになったことを家族に打ち明けます。
400円という給料が消える。
社会科の授業の息抜きにハーンの話をするとき、「明治後期の400円は今の感覚で年収の柱一本分」と話すと、生徒が「えっ」とした顔をしたんですよ。
一家の生計を支えていた金額がごっそり抜け落ちるイメージです。
「家族を養えない」という言葉は、ただの不安ではなく、作家としての存在意義が根底から揺らいでいる宣言に近かったと感じました。
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トキの人形と「私でも読める本を」の史実的意味

手を動かすトキ、言葉より行動の愛情
「ヘブンさん。私が新しく作ります」
そう言って、トキはブードゥー人形を作ってたんです。
慰めるわけでも、気の利いたことを言うわけでも、頑張れと励ますわけでもない。
ただ、作る。
バスケ部の顧問をやっていたとき、スランプの選手に声をかけるより、ただ隣で一緒にシュート練習をしているほうが伝わることが多かった。
あのトキのブードゥー人形は、まさにそれで‥。
しかも、ブードゥー人形はアイルランドやカリブ海文化に根ざした異文化の象徴的なもの。
それをトキが「なくしたなら作る」と、当然のように手を動かせる。
文化を評価しない、ただ受け入れる。
元社会科教師として言うと、文化理解の究極は「評価しないこと」なのでは‥。
この場面に、トキという人の器の大きさが凝縮されていると感じました。
「私でも読める本を」は史実の怪談誕生と重なる

そして、トキのあの言葉。
「学のない私でも読める本を書いてくれないか」
字面だけ読めば地味なセリフです。
しかし、ばけばけ119話の史実的な見どころは、まさにここにあります。
史実のセツ(トキのモデル)は、日本語のほぼ分からないハーンのために、各地の昔話や怪談を語り聞かせた人物でした。
代表作「怪談(Kwaidan)」に収録された物語の多くは、セツが語った話をハーンが英語で書き直したものです。
つまり、「学のない私でも楽しめる話」こそが、世界に届いた名作の原石だったわけです。
学なき声 それが怪談の はじまりに
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高石あかりさんの演技が涙を呼ぶ理由
この一連のシーンでの高石あかりさんの演技がとにかく素晴らしかった。
大げさに泣き崩れるわけでも、叫ぶわけでもない。
でも、小さな声で「私でも読める本を」と言ったときの表情に、愛情・不安・信頼が全部入っていました。
なおじ、テレビの前で完全にヘブン目線でトキ(妻)を見ている自分に気づきましたよ。
これは何だろう、と思いました。
トキの人間性への共感?
ヘブンの妻に対する愛情を疑似体験している?
おそらくその両方で、トキの素直な思いの表現に対して、狂おしいような、愛しいような感情が混ざり合った瞬間でした。
夫婦の関係がひっくり返った転換点

「守られる妻」から「信じてくれるパートナー」へ
帝大クビと400円消失を知らされたトキは、取り乱しもしない。
「これで時間ができたじゃないか。著作に専念できる」
「そんなことで、うちの家族はへこたれない」
これ、能天気な励ましに聞こえるかもしれない。
でも、これまでの苦労や貧しさを何度も乗り越えてきた実績がある人間だけが言える言葉なんですよね。
「お金がなくなっても、うちは壊れない」という宣言は、ヘブンの存在価値を、給料や肩書きではなく「あなた自身」に置いているという表明でもあります。
👉関連記事:小泉八雲とセツの物語│二人の絆を史実で辿る
119話はヘブンとトキの「逆転」の瞬間
なおじが119話を見ていてじわじわと感じたのは、ヘブンのトキに対する目線の変化です。
最初のころのヘブンは、どこかトキを「日本での生活を助けてくれる人」として頼っていた部分がありました。
しかし119話では、ヘブンがトキの言葉によって作家として再起動しているんですよね。
守る側と守られる側がきれいにひっくり返っている。
夫婦の関係って、どこかのタイミングで「どちらかが支える側で、どちらかが支えられる側」から「二人で同じ方向を向く」に変わる瞬間がある。
なおじには、119話がまさにその転換点に見えました。
そして、その転換点で生まれたのが「次に何を書くか」という答えだったわけです。
👉関連記事:ばけばけ110話|壬申戸籍と史実が見せるお百度の奇跡 では、トキとヘブンの人生の岐路を史実とともに振り返っています。
119話の史実|怪談はいつ、なぜ生まれた?

1904年、ハーンの死の年に完成した名作
ばけばけ119話の史実として押さえておきたいのは、代表作「怪談(Kwaidan)」の発表時期です。
史実のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「怪談」は1904年(明治37年)に発表されました。
そしてこれが、ハーンが亡くなった年の作品です。
ドラマでは「死の何年前に怪談を書く」という展開になるのかまだ分かりませんが、時間軸としては最終盤に登場するラインが史実と重なります。
120話の予告ではヘブンが怪談を書き始めることが示唆されており、そろそろその瞬間が近づいてきた雰囲気があります。
「学のない語り」が世界に届いた逆説
怪談が世界的名作になった理由のひとつは、難解な文体を使わなかったことです。
ハーンは視覚に障害があり、セツ(トキ)の口から語られる日常の物語を英語に変換していきました。
難しい学術語も、文学的技巧の衒示もない。
ただ「こんなことがあった」という語り口が、英語圏の読者には逆に新鮮に刺さりました。
「学のない私でも読める本」こそが「世界で読まれる本」になったというのは、実に逆説的で面白い史実です。
授業の息抜きに生徒へハーンの話をすると、「耳なし芳一があのセツという人の語りから生まれたんだ」と聞いたとき、生徒がハッとした顔をするんですよ。
119話のトキのお願いを経て、あの「耳なし芳一」が生まれると思うと、感慨深いものがあります。
人形が先 怪談はまだ 白紙の上
ドラマが史実と違う点はどこか
ひとつ確認しておきたいのは、ドラマのセリフはあくまで脚本家の創作である点です。
「学のない私でも読める本を」というトキの言葉が、史実のセツが実際に言ったかどうかは確認されていません。
ただ、セツがハーンの語り手・素材提供者として機能していたことは史実として確かです。
「そのセツの在り方を、脚本がどう解釈して言語化したか」という観点で見ると、あのセリフは史実の精神に非常に忠実な表現だとなおじは感じています。
史実を知った上でドラマを見ると、一つひとつのセリフの重みがまるで変わってくる。
それが「ばけばけ」の楽しさのひとつではないでしょうか。
👉関連記事:小泉八雲と家族の熊本史実│ばけばけと何が違う?
ばけばけ119話 よくある質問
Q1:ブードゥー人形とはどんなものですか?
118話でヘブンが無くしてしまい、119話でトキが作り直した人形です。
ブードゥー人形は、カリブ海・西アフリカ由来の呪術文化のアイテムで、守護・幸運・念を込める用途で使われてきました。
ハーンはアメリカ時代にカリブ海文化に深く関わっていた経歴があるため、ヘブンにとって文化的なお守りとして描かれています。
それをトキが「作り直す」ことで、異文化を自分の手でそっと包む姿が象徴的に表現されていました。
あなたも身近に「捨てられないお守りグッズ」がありませんか。
Q2:トキのセリフ「私でも読める本を」は史実に実際にある?
ドラマのセリフの直接の出典は確認できません。
ただ、史実のセツが日本語を解さないハーンに昔話や怪談を語り聞かせ、代表作「怪談」の素材を提供していたことは複数の資料で確認されています。
そのため、あのセリフは史実の関係性を踏まえた脚本の創作として、非常に史実の精神に忠実なセリフだとなおじは受け取っています。
Q3:ばけばけ119話の史実として、怪談はいつごろ描かれる?
公式の発表はありませんが、120話でヘブンが怪談を書き始めることが予告されており、最終週に向けて代表作の完成が描かれると考えられます(この部分は予想です)。
史実では1904年発表のため、ドラマの時間軸と照らすと最終盤での登場が自然な流れです。
どんな場面で「怪談」執筆のシーンが来るのか、なおじとしても楽しみにしています。
Q4:高石あかりさんの演技で注目すべき場面は?
なおじが一番感動したのは、「学の無い私でも読める本を書いてください」とヘブンにお願いする場面です。
トキの仕草、声のトーン、奥ゆかしさ。
直接的な励ましでも、感情をぶつけるわけでもない。
ただ静かに、でも真剣に、「あなたの本を読みたい」とお願いする在り方。
妻として、人として、パートナーとして、こんなふうにそばにいてくれる人がいたら、どんなスランプでも立ち上がれると思いませんか。
なおじ、じわーっと感動して涙が出てしまいました。
気づいたら完全にヘブン目線になっていて、「うちの妻、本当に素晴らしい」と呟いていましたよ。
なおじの妻じゃないんですけどね(笑)。
Q5:なぜトキのひと言がヘブンを再起させられたのか?
励ましには、いろんな種類があります。
「頑張れ」「大丈夫」という直接的な励ましは、どん底にいる人にはむしろ届きにくい。
しかし、「あなたのことが必要だ」という具体的なお願いは、違う。
トキの「私でも読める本を」は、ヘブンに「書く理由」を手渡すお願いでした。
一番身近な読者から「あなたに書いてほしい」と言われたとき、作家はもう逃げ場がない。
そういう意味で、あの一言はどんな励ましよりも強かったんだと思います。
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筆者紹介|なおじ
元教師・元校長のブロガー
公立小中学校で社会科を35年教え、校長・指導主事も経験しました。
現在は茨城県在住のキャンピングカーオーナー兼ブロガー。
現在は8つのブログでドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評を書いています。
この記事のコンセプト
「学のない私でも読める本を」というトキの一言と史実の怪談誕生を結ぶ線を、元教師なおじが感想を史実を交えて語りました。