社会科で「主体的・対話的な学習」は、どうすれば実現できるか
若い教師から、「社会科で『主体的・対話的な学習』は、どうすれば実現できますか」という質問を受けました。
時代は繰り返すと言います。我々が若い頃は、まだまだ講義式の授業が主流でした。そこで、私たちの関心事は、「どうすれば効果的・効率的に問題解決的な学習を実現できるか」ということだったのです。
「問題解決的な学習」が「アクティブラーニング」とか、「主体的・対話的な学習」に変化しましたが、おそらく目指す点は同じだと私には感じられます。
新しい酒には、新しい皮袋が必要ですが、「問題解決的な学習」という概念の中には、「アクティブに児童・生徒が主体的に動き、対話的に関わり合って問題解決を進める」という要素が既に位置付けられています。
若い教師に「主体的・対話的な授業」のイメージを聞いてみた
質問者の若い教師に、「先生は、『主体的・対話的な学習』とは、どのような学習だと捉えていますか」と質問してみました。すると若いその教師は、
全体的な流れとしては「つかむ・調べる・まとめる・ひろげる」というような流れだと思います。「問題をつかむ場面では、子どもたちが主体的になれるように。自分たちで問題設定が出来るようにします。」「調べる場面でも、自分たちの力で調べることができるようにします。また、活動の場面を取り入れてアクティブな時間を設定します。」「まとめる場面、発表する場面も子どもたち相互に対話ができるように仕組みます。」「ひろげる場面では、さらに調べたいことを発表する場、意見交換をする場をもうけます。」
と言います。
まさに我々が現役時代に目指した「問題解決的な学習」です。
社会科は「事実調べ」「事実発表」のみの学習ではない
若い教師に更に問うてみました。
「先生は、子どもたちに何を調べさせ、何を発表させるのですか。」
この問いこそが、私たちが現役時代に、多くの教師が陥っていた問題点(改善のポイント)です。
問題解決的な学習を、「主体的・対話的な学習」と呼び方を変える必要があるとするなら、この点の改善を図った学習活動でなければなりません。
何を調べ、何を発表するのか。
単に、主体的に事実を調べ、対話的に事実を発表するだけでは、「主体的・対話的な学習」は成立しないのです。
「主体的・対話的な学習」を成立させるためのポイントは何か
ポイントは、学習課題の設定、そして学習問題化する場の設定です。
学習課題の設定
まず、学習課題の設定についてお話しします。
単元の最初の方で、「何個ぐらいあるのか」「どのようになっているのか(どのような過程を経て作られているのか)」「いくらくらいか」など、「事実」を調べる問いが設定されます。
仕組みを調べる、状況・状態を調べる、数量を調べるなどです。これら事実調べのための問いは、KJ法などで子ども主体に設定させてかまいません。
しかし、単元のねらいに迫る課題は別です。たいていの場合、単元の最初の段階で設定することは難しいです。ましてや、子どもたち自身が、自分たちで課題設定をすることは、とても難しいです。
課題は、教師が設定することが前提です。この点をまず理解しておいて下さい。
社会科は内容教科です。何でも良いから調べれば良い、という教科ではありません。その単元には「考える」観点があらかじめ設定されています。
単元で予定されている「考える項目」を逸れて考えさせて理解を得ても、それは社会科の単元でねらう知識(知恵)とはなりません。
例えば平成20年版の学習指導要領、3・4年の地域学習では、
地域の様子は(地形的条件や社会的条件により)場所によって違いがあることを考えている。
上記が単元の最終的な出口です。
教師は、この学習指導要領で定められた出口に導くように、学習課題を設定しなければなりません。
単純に、示すとしたなら、
○○町は、場所によってどんな違いがあるのか。それはなぜか。
【教師があらかじめ準備した『学習課題』】
となるでしょう。
単元を貫く学習課題は、単元全体のどのあたりで設定されるのか
課題に関わる、一つ目のポイントです。
単元を貫く学習課題は、単元全体の、どのあたりで設定されるのか、という点です。
単元を貫く学習課題は、ある程度の知識が無いと設定できません。例えば
① 特色ある地形,(地形の様子)
② 土地利用の様子(市街中の広がり)
③ 主な公共施設などの場所と働き,
④ 交通の様子
⑤ 古くから残る建造物
などの事実を調べた後に、やっと「なぜ地域に差があるのだ」という疑問がわいてくるのです。つまり真の課題は、単元の中盤あたりで設定されるのが自然なのです。
これを、単元最初に行ったkJ法の中に、子どもたちがそれらしい問いを書いていたからと切実感も無しに単元の学習課題として位置付けたのだとしたら、その「主体的・対話的な学習」は、高い確率で失敗します。
課題設定が、学習の成功・失敗を分けるのだということです。
学習課題を学習問題化するとは、どういうことか
次が、教師の最大の腕の見せ場です。
教師が準備した「学習課題」を、児童があたかも自分たちで設定しと勘違いできるように、教師の腕の中で(転がしながら)「学習課題」を「学習問題」として設定する場を演出します。
例えば、先ほどの「身近な地域の学習」の発表会で、児童たちから単元最初に設定された問いに基づいて、調べた事実を発表する場を設けたとします。
一般的な授業では、この発表で単元は終了してしまいますが、実は事実発表の場が学習課題設定の場になるのです。
事実調べ、事実発表をしているうちに、児童のだれかから社会的事象のもつ「意味」に通じる発言が出たときが勝負です。出ないときは、自然な流れで教師から仕掛ける必要があります。教師は支援という言葉に甘えず、指導として必要な場合は積極的に児童に働きかけます。
児童たちが、事実を調べ、発表している最中に、発表ないし気付き(つぶやき)として、「僕んちの周りは家がたくさんあるのに、道路の向こうには人が住んでる家が一軒も無いよ、工場ばかりだ。」とか、「お店屋さんは、太い道路のあるところにいっぱい固まってる」などの発表をとらえ、子どもたちから自然と発せられる「なぜ?」を、授業に位置付けます。
子どもたちから出なければ教師が発問します。
子どもたちが、「本当だ、なんでだろうね」となったとき、つまり子どもたちが、「あれ、どうして」と思えたとき、教師の設定した「課題」は、子どもたちの切実感をもった「問題」となります。
この課題(問題)、つまり「社会的意味」を追究することで、単元のねらいは、初めて実現できるのです。そして、子どもたちは、「主体的・対話的に学習」しています。
ただし、これは時間がかかりますので、中学生など時間の無い中で学習を進める場合は、教師が「適切な課題」を提示することは最低限の線でゆるされます。
中学校の教師であっても、ある程度の事実認識(知識)が無いと、「適切な課題」は設定できない、という点は小学生たちと同じです。
- 「主体的・対話的な学習」を成立させるためには、単なる事実調べ・事実発表の学習を想定しているだけでは足りない。
- 学習課題(問題)は、単元の中盤で切実感をもって生まれる。
- 社会的事象の意味・意義に対する、「自分の考えの正しさ」を調べ、発表し、話し合うことで、「考えを修正し合う」授業の実現がポイント。
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