メンズエステサロン【エルセーヌMEN】
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源氏である佐竹氏は,なぜ同じ源氏である頼朝と戦ったのか。
平家である千葉氏や上総氏など板東平氏はなぜ頼朝に味方したのか。
源氏が平家の子分で、平氏が源氏の子分 ?
鎌倉殿の13人を面白く視聴している。
独断と偏見で、上半期6月までで選ぶ「鎌倉殿の13人 興味ランクベスト1」は、 何と言っても、『頼朝武士団(源氏を旗頭とする平氏武士団)と、佐竹武士団(平家と結んだ源氏武士団)』の戦い。
源氏側が平氏集団で、平家側が源氏集団というネジレが私には面白い。
覚えているだろうか。佐藤浩市さん演じる上総広常が佐竹氏をまんまとだまし、大勝する場面。
場面設定など、本当は「ちょっとまって」といいたくなるところもあるが、今回そこには触れない。
また、
○なぜ、頼朝は、板東の平氏を仲間にできたのか。
○なぜ、千葉常胤や上総広常など主だった板東平氏は、平家打倒の前に佐竹征伐を頼朝に進言したのか。
など、いろいろハテナが浮かぶが、今回は、『なぜ、源氏である佐竹氏は、同じ源氏の頼朝に従わず、平家の側に立ったのか。』について考える。
頼朝の祖と佐竹氏の祖は誰なのか
おそらく、この点に佐竹氏が平家側につく遠因がある。
頼朝の祖先は、源氏嫡流とされる八幡太郎義家。
対して、佐竹氏の祖は、八幡太郎義家の弟の 新羅三郎義光。
つまり、頼朝の祖先は、佐竹氏の祖先のお兄さん。
頼朝の祖先八幡太郎義家は、源氏の嫡流。頼朝はその末裔。
佐竹氏の祖の佐竹昌義は、新羅三郎義光の孫で分家筋。
ちなみに甲斐武田氏も新羅三郎義光の血筋。つまり、血筋的には頼朝より佐竹氏の方に近い。
この血筋の違いが、どうして佐竹が平家と結ぶことになるのかは、もう少し歴史を見ていかないと答えに行き着かない。
源氏が東国で足場を築けたのはなぜか
前九年、後三年の役での活躍による。
前九年の役は、1051年から1062年
後三年の役とは、1083年から1087年
前九年の役は、一言で言うと源氏と清原氏が安倍氏を滅ぼした戦い。
後三年の役は、源氏と後の平泉藤原氏が清原氏を滅ぼした戦い。
頼朝の鎌倉幕府成立に向けた戦いの、おおよそ100年前の戦い。
この戦いで、源氏は東国に自分たちの地盤を築いた。
ちなみに、前九年の役で滅びた安倍氏だが、運良く生き延び山口県に流された、あるいは逃げてきた安倍氏の末裔が、先日凶弾に倒れた安倍晋三前首相だという。(合掌)
兄を助ける兄弟愛
後三年の役で兄の苦戦の報を聞いた義光は、官職をなげうって兄の戦いに助太刀してきた。古代末期から中世戦国時代にかけて、兄弟どうし親子どうしで殺し合うことも度々あった。損得勘定を抜きにした義光の行動は、美談として戦前の小学校の国史教科書に「兄を助ける兄弟愛」として掲載されていた。
本当に損得勘定を考えずに、純粋に兄を助けるためとは思えないが,兄弟で協力し清原氏を滅ぼした。
これによって、源氏は東国での勢力を伸ばし、義光は常陸北部あたりに地盤を得ることができた。
義光は、どうやって常陸で勢力を伸ばしたか
板東に地盤を得た義光は、このあとどうやって勢力を伸ばしていくのか。
常陸の国には、すでに平氏一族である大掾氏が勢力を伸ばしている。この大掾平氏と組んだ。なぜ大掾氏と組まなければならなかったのか。兄弟愛で結ばれていたはずの兄義家の子(義国)が、下野から常陸に進出してきたからだ。攻められたら守らなければならない。そこで源氏と平氏が手を組む。源氏の義光は自分の息子と、大掾平氏の吉田清幹(きよもと)の娘を結婚させた。生まれたのが義業(よしなり)。義業までは京住まい。そして義業の子、義光にとっては孫の昌義(まさよし)が、京から常陸佐竹に居を移し、佐竹氏の祖となった。
ということで、佐竹昌義は、源氏とはいえ大掾平氏とのハイブリッド。どちらかといえば平氏集団を基盤としていた。
保元・平治の乱後の常陸
保元の乱 1156年
平治の乱 1160年
前九年、後三年の役の約100年後の乱。
頼朝の父義朝が殺され、源氏はほぼ滅び平家の全盛時代がやってくる。
常陸にも伊勢平氏の力が伸びる。伊勢平氏から常陸の介として、つまり一番偉い人となってやってくる。佐竹氏は、大掾平氏と深く結び付いていたので、常陸に進出してきた伊勢平氏とも強く結び付いていく。
力を強めた佐竹氏は、板東平氏の地盤の下総へ進出する。例えば、千葉常胤の土地は自分の土地だと、所領権を主張するなど、南側の平氏と土地問題を起こす。そうなると、南側の平氏は、伊勢平氏や伊勢平氏と強く結び付いている佐竹氏をなんとかしないとならなくなる。
そこで、北側の平氏と結び付いた源氏に対して、自分たちは、源氏と結び付いた平氏集団となることで対抗する。
まず 佐竹を攻めることを提言するのは当然
鎌倉殿の13人を観ていて、伊東祐親や大庭景親を滅ぼし勢いに乗る頼朝が、「このまま平家を攻める」と主張した。しかし、主だった人々が、「その前に佐竹を責めましょう」と言った。「なぜ」と違和感をもった人もいたのではないか。
そうなんですよ。このときの板東武者たちは、本当は平家そのものはそんなに重要では無かった。重要なのは、自分たちの土地を脅かすかもしれない北の佐竹氏だった。
このあたりの、複雑で、入り組んだ事情によって当時の人々は動いている。
自分の土地を守ってくれる「ご恩」に対して、動く「奉公」する。これがすべての行動原理だった時代。
- 作者:高橋 崇
- 中央公論新社
- 作者:岩田慎平
- 中央公論新社
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