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寺田心と濱田龍臣が演じるらんまんの『山元虎鉄』は、万太郎の息子になるのか

ヤッコウソウを発見する万太郎と虎鉄

万太郎を慕って、土佐から青年が上京してきた。大荷物を背負い十徳長屋を訪れた青年の名は、「山元虎鉄」。この青年は、どういう青年なのだろうか。「らんまん」の劇中ではどのような役割を果たすのか。そして、史実として「山元虎鉄」という人間は実在したのか、また実在したとしたらそのモデルは誰か。このブログでは、この謎に迫る。

目次

まとめ:「山元虎鉄」とは、どんな人

〇「らんまん」の中の「山元虎鉄」は、遍路宿「角屋」の息子
・「ヤッコソウ」という新種の植物を発見した人物
・万太郎の助手となった。
・万太郎の次女:千歳(遠藤さくら)と年の差婚をする。
〇実際には、「山元虎鉄」という人物は存在しない。
・ただし、モデルと考えられる人物が複数人いる。

・山本一(やまもとはじめ)【ヤッコウソウの発見者とされる】
・高知県幡多郡の中学生(名前は分からず)【ヤッコソウを山本一に見せた】
小山鉄夫(こやまてつお)博士【手紙のやりとりをしていた】
・吉永虎馬(よしながとらま)・【キレンゲショウマなどの発見者】
・山本も吉永も富太郎の協力者ではあるが、助手ではない。
・山本も吉永も、富太郎の娘と結婚していない。

寺田心と濱田龍臣が演じる『山元虎鉄』とは、どんな人物か

少年時代の山元虎鉄(演者:寺田心)

万太郎と寺田心の虎鉄の出会い(NHK)

第19週に登場した寺田心君演じる「山元虎鉄」少年は、お遍路さんが泊まるお遍路宿「角屋」の息子として描かれている。

少年の時に、フィールドワーク中の万太郎と山中で出会う。「角屋(すみや)」というハッピを着て、お遍路さんの道案内をした帰りだった。

この出会いの時に、虎鉄少年から教わった植物こそ「ヤッコソウ」。
「ヤッコソウ」の学名は、「Mitrastemon yamamotoi Makino(ミトラステモン・ヤマモトイ・マキノ)」という。

「らんまん」では、万太郎が山元虎鉄君の名である「ヤマモト」を学名に入れたことになっている。

青年時代の山元虎鉄(演者:濱田龍臣)

上京してきた濱田龍臣の虎鉄(NHK)

少年時代に万太郎と出会った虎鉄少年は、その後も万太郎と手紙のやりとりを続けていた。

そして24歳の時、妹が婿をとり実家の遍路宿を継ぐことが決まったのを機に、東京に出て来る。
大きな荷物を背負い、万太郎が住む十徳長屋に現れる。

だがこのとき、万太郎は台湾出張中。
万太郎不在の長屋で、寿恵子や万太郎の次女の千歳らと共に、帰りを待つことになった。

実は、「らんまん」の中で、虎鉄君は万太郎の次女の千歳(オトナ役:遠藤さくら)と結婚することになる。
だが、このとき千歳はおそらく10歳をちょっと越えたぐらいなので、もうちょっと先の話ではある。

虎鉄は、台湾から戻った万太郎の助手となって活躍する、という流れとなるだろう。

「山元虎鉄」のモデルは誰か

ヤッコソウ発見(NHK)

史実に、「山元虎鉄」という人物は存在しない。
では、「山元虎鉄」のモデルはだれだろうか。

「らんまん」は、他にも見られるのだが「複数の人物を混ぜ合わせてモデルにする」というケースがある。「山元虎鉄」の場合も、複数人を合わせてモデルにしているようだ。

モデルその1:「ヤッコソウ」を発見した「山本一(やまもとはじめ)」と現地の中学生

「ヤッコソウ」は、高知県幡多郡で現在の中学生にあたる、高等小学校の生徒が見つけたものだった。この植物を、高知の師範学校の教師だった山本一氏が調べたがよく分からない。

そこで山本は、明治40年(1907年)に高知に滞在していた、東京帝国大学農科大学教授の草野俊介に調べてもらうことにした。

だが、草野も分からない。そこで草の葉、牧野富太郎博士に調査を依頼する。
そして、明治42年(1909年)、富太郎博士は、この植物を「ラフレシア科の親属・新種」として発表。
さらに、この植物は他のどの植物にもあたらない新科であるとして「ヤッコソウ科」を創出した。

牧野博士は、この植物の学名を「Mitrastemon yamamotoi Makino(ミトラステモン・ヤマモトイ・マキノ)」と命名する。
学名中の「ヤマモト」は、「山本一」氏の「ヤマモト」だったということだ。

山本一氏と牧野富太郎博士は、実際に出会っているわけではない。だが、このようなエピソードから虎鉄君のモデルは、「山本一氏と高知県幡多郡の中学生」を合わせて創造した人物、とも考えられる。

モデルその2:手紙のやりとりをしていた小山鉄夫(こやまてつお)

小山鉄夫宛ての万太郎からの書簡(小山鉄夫先生プロフィールより)

山元虎鉄君と言えば,長年万太郎と手紙のやりとりを続けていた。
この手紙のやりとりと、子ども時代からの牧野富太郎博士の弟子、という点からすると、該当する人物は小山鉄夫博士。

彼は、11歳のころから富太郎先生の弟子となり、週に二度ほど先生の家に通い、教えを受けていたという。
また、書簡のやりとりを続けていたと言えば、この人物だろう。

小山鉄夫は、昭和8年(1933年)東京に生まれている。
東京大学理学部を卒業し、さらに東京大学大学院生物系研究科博士課程を修了している。
理学博士、植物学者。

カナダやアメリカ(ニューヨーク)などで活躍した後、高知県牧野記念財団専務理事に就任した。
著書に「黒船が持ち帰った植物たち」などがある。

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モデルその3:遍路宿「スミヤ」の息子、吉永虎馬(とらま)

寺田心君が来ていたハッピには、「角屋(スミヤ)」とあったが、吉永虎馬(よしながとらま)の実家の遍路宿は「墨屋(スミヤ)」。

この人物は、明治4年(1871年)生まれ。富太郎の郷里高知県佐川町の遍路宿墨屋の息子。
高知県内の小学校・中学校の教員だった。

植物学者として菌類やコケ類の研究をしていた。
キレンゲショウマの発見者だ。
らんまんの中では、田邊彰久教授と万太郎が、ほぼ同時に「キレンゲショウマ」を発見したが、一歩及ばず田邊彰久教授が「キレンゲショウマ」の名を付けた人物となったと描かれていた。

実際は、吉永虎馬が発見し、採集調査のために高知に来ていた田邊彰久教授のモデル矢田部良吉教授に「これは何でしょうか」と見せたことで、矢田部良吉教授が、「キゲンゲショウマ」の発見者となる。

吉永虎馬氏は、その他にも「コオロギラン」、「ナカガワノギク」「ミカンゴケ」などの新種を発見している。
「マキノヤスデゴケ」は、吉永虎馬氏の命名になる。

濱田龍臣演じる山元虎鉄は、富太郎の次女千歳と結婚する

虎鉄と将来の嫁:千歳との最初の出会い(NHK)

らんまんの中で、虎鉄君は、後に万太郎の次女千歳(遠藤さくら)と結婚することになるという。
虎鉄は、万太郎の義理の息子になるわけだ。

虎鉄が上京してきたのは24歳という設定になっていて、このとき千歳は10歳ぐらい。
ということは、14歳の年の差婚と言うことになる。
だが、万太郎と寿恵さんも年の差婚なので、あまり問題にならなかったのだろう。

では、実際に虎鉄のモデルの誰かが、富太郎の娘と結婚したのだろうか。
残念ながら、それはないようだ。

子ども時代の千歳(NHK)
大人になった千歳を演じる 遠藤さくらさん

富太郎の実際の娘たち

富太郎の娘のうち、成人した者は、4名いる。
香代、鶴代、巳代、玉代だ。

長女の園子は、幼くして死没しているので、次女だが一番の年長は香代さん。
この人が、らんまん千歳のモデルだろう。

香代(千歳)は、石川県の実業家の細川正也さんと結婚している。
香代さんは、末の娘たちが嫁いだ後は、富太郎博士と同居して身の回りの世話をした。

また、鶴代、巳代、玉代も、虎鉄のモデルに当たる人たちとは結婚していない。
虎鉄との結婚は、らんまんの中での創作ということになる。

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