諸外国の脅威が高まる幕末に、専門的な国旗研究をした鱸重時
ぺりー来港の7年前の1846年(弘化3年)、水戸藩士、鱸重時(すずきしげとき)が著した、286か国の旗が記載される「萬國旗鍳(ばんこくきかん)」が発刊された。
鱸重時とは、水戸弘道館に属した蘭学者。1815年~56年にかけて生きた人である。
ちなみに、重時が生まれた1815年は、斉昭が水戸藩の第9代藩主となった年である。
重時は、1843年(天保14年)、水戸藩の藩校「弘道館」勤務となった。28歳ぐらいの時である。
1848年(嘉永元年)からは、水戸藩代9代藩主・徳川斉昭の命によって、蘭学を学び始め、後に水戸藩有数の蘭学者となった。
鱸重時の地球儀は明治天皇にも献上
重時は、オランダの本の翻訳をしながら、1852年(嘉永5年)に、地球儀を作成し、斉昭に献上。さらにその地球儀を元に作成された大型地球儀は、斉昭によって幕府と朝廷に献上された。
鱸重時が指揮した日本初の西洋式軍艦「旭日丸」の製造
1853年11月、鱸重時は、「大船製造懸(おおふねせいぞうかかり)」を命じられる。
そして、日本初の西洋式軍艦『旭日丸(あさひまる)』の建造を指揮した。旭日丸は、江戸時代末期に幕府の命で水戸藩が建造した西洋式帆船。 幕府海軍で使用され、明治維新後も輸送船として実用されている。
史実エピソードとして探すことが出来なかったが、おそらく「日本国の旗(日本国惣船印)」を「日の丸」にするかどうかを検討している時期、斉昭はこの鱸重時の意見を聞いたことだろう。
松浦静山の後も、多くの学者が「外国旗」について研究を進め、何種類かの専門的な出版物が出ていたが、水戸藩の鱸重時は当代随一の「外国旗研究家」だった。
「日の丸」の国旗制定は、徳川斉昭の決定による。しかし、その決定を支えたのは、弘道館の蘭学者鱸重時らの知識があってこそ。
日本国民、ましてや水戸に住まう人々に「鱸重時」の名を知って欲しいと願う。
鱸重時の努力の結晶 「萬國旗鍳」に載る国旗の数は286種
『日の丸』が日本国惣船印となったのは、1855年(嘉永8年)のこと。この決定の裏には、幕府とアメリカが1854年に結んだ日米和親条約が関係する。
(詳しくは、『ペリー来航で慌てる幕府を説き伏せて、「日の丸」を国旗とした水戸の斉昭』を参照)
幕府がアメリカと条約を結んだ後、同様の条約をロシア・イギリス両国や他の列強とも相次いで結んだ。
これにより、どの国旗がどの国のもので、どのような時にどのような種類の旗が掲げられるのかを知る必要性が、さらに高まった。
この要望に鱸重時の『萬國旗鍳(ばんこくきかん)』は、十分に答えられる内容だった。
「ペリー来航以前に、ここまでの内容がまとめられていたとは信じられない」と、後世の学者も述べているほどだ。
『萬國旗鍳』には、イギリスの「ユニオン・ジャック」をはじめ、スコットランド、アイルランド、オランダ、スペイン、ポルトガル、イタリア、フランス、デンマーク、スウェーデン、ポーランド、ドイツなど合計286旗が紹介されている。
ペリー来航前に増補されたものの中には、アメリカの「星条旗」も入っていた。
萬國旗鍳の中で一番詳しく載っていた旗は、どの国の旗か
断然詳しかったのは、やはりオランダの国旗についてだった。オランダの国王旗、オランダ商船旗、オランダ軍艦旗など、オランダ一国で24種類の旗が載っている。
さらに、「萬國旗鍳」は、イギリス国王旗の紋章についても、同時代のどの本より詳しく、さらに正確に載っている。
ただし、フランス旗、星条旗などは、やや間違いが見られるが、幕府の役人は、この書を懐に入れて、各所に出向き、この本によって、
『あの船は、どこの船の、どのような種類の船だ』
と、判断していたのだろう。
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